設立趣意書

20世紀は、世界の一体化が急速に進んだ時代であった。科学技術の革命的発展が、地球最大の海である太平洋をすら交流のための内海と化すに至った。

アジア太平洋地域は、その空間的広がりに劣らず、文化の多様性を特徴としている。異なる民族、宗教、価値、文化が接触するとき、そこには交流の実りとともに、摩擦の火花が散るものである。外的な接近が内的な一体化をただちにもたらすものではない。戦争と革命の20世紀にあって、太平洋の両岸の物理的接近は、両者の協調と融合よりも時として反目と対立を優先させる悲劇すら生みだした。

幸いにも20世紀の最後の四半世紀には、太平洋の平和と東アジアの驚異的な経済発展がもたらされ、冷戦が終結した1989年にはAPEC(アジア太平洋経済会議)が発足した。かつては全く異質な存在であったアジアと太平洋が、一つのゆるやかな共同体を形成する可能性を告げたのである。

われわれはグローバルな協力の重要性を深く認識しつつも、このアジア太平洋における文明の進展に格別の関心を注ぐものである。なぜなら一方で異質性と多様性、他方でダイナミックな活力と変動を特徴とするこの広大な地域こそ、危険性を孕みつつも大きな可能性を秘めており、21世紀の人類社会を左右する主要な要因の一つだからである。

新しいミレニアムを迎えた今、われわれはこの地の国家、民族、宗教、文化の多様性を対立要因とするのではなく、活力と創造力の源泉として「多文化共生」のアジア太平洋世界の形成を展望したい。そのための知的交流の場として、そして21世紀のコミュニケーション文明の一拠点として「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」を設立するものである。

われわれがこれを淡路の地に設立することには特別の動機がある。近代都市の生活を断ち切り、6,400名余の生命を奪ったあの1995年1月17日の大地震は、ここ淡路島の北端に近い海域が震源地であった。今この地には明石海峡大橋が架かり、人と自然のコミュニケーションをテーマとする淡路島国際公園都市が誕生し、その理念の芳しい実践としてジャパンフローラ2000も開催されている。この地に「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」を開催し、21世紀文明の創造に参画することは格別に意義深いことと考える。

それは、第一に新たな美しい社会を築こうとする人間の息吹が、あの粗暴な大地の悪魔の挑戦に屈しなかったことを実証している。われわれは大自然の暴挙に屈することなく、自然との調和による新しい文明を築くことに誇りを覚えるものである。

第二に、この地の体験は、社会の担い手が官であるに劣らず民であり、国である以上に地方と市民であることを告げた。大震災後3か月間に延べ120万人ものボランティアがこの地に集まり、見知らぬ人々が助け合った。そのことは象徴的ではなかろうか。大自然の脅威のみならず、政府の失敗、あるいは市場の失敗が人々を直撃するとき、「いやいや大丈夫、われわれには地域があり、シビル・ソサエティ(民間団体)がある」といえる21世紀を持つべきではなかろうか。地方が自らの手で地域社会を築き、充実した民尊の社会を実現することが望まれるのである。

第三に、この地は双方向の国際的な交流と協力を象徴している。大地震に際して、60カ国もの世界中の人々から支援が寄せられた。われわれはそのことを忘れない。この地の復興を図り震災を記録し記念する活動を行い、そしてトルコや台湾など世界各地の震災に対して速やかな支援活動を行ってきた。あの時に受けたものへの感謝の念がわれわれにそうさせるのである。そしてこの淡路の地において、21世紀のグローバルな「多文化共生」、とりわけアジア太平洋の平和と協力の構築に寄与するコミュニケーションの場を提供することは、やはり双方向の協力のもう一つの結晶たりうるであろう。

それゆえ、「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」は、国家の枠組みにとらわれず、市民レベル、都市・地域レベルにおける相互理解、相互交流の輪を広げつつ、知的・精神的連帯を深め、21世紀の世界に必要な新しい認識の創造に資することを目的とする。内外の著名な個性による文明的な視点からの提言と対話を通して、アジア太平洋地域の多様な文化が共生する “新たなアジア太平洋のビジョン”を構築し発信するため、「淡路島国際公園都市・淡路夢舞台」での活動を2000年より開始するものである。

2000年 8月

【設立発起人】
建築家
安藤 忠雄
神戸大学大学院教授
五百旗頭 真
(財)兵庫県国際交流協会理事長
(兵庫県知事)

貝原 俊民
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