第8回井植記念「アジア太平洋研究賞」佳作 受賞者:岩谷 將(いわたに のぶ)氏 論文要旨

写真: 岩谷 將 氏

岩谷 將(いわたに のぶ)
【経歴】
1999年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2003年同大学院法学研究科政治学専攻前期博士課程修了。2007年同大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程単位取得退学(2008年博士号(法学)取得)。この間、中国人民大学中共党史系普通進修生(2000-2001)、中央研究院近代史研究所博士学員(2006)。2007年4月より防衛省防衛研究所教官。
(要旨)

本論文は中国国民党が行った訓政について、その理念形成・統治体制の成立から変容までの過程を解明する。訓政とは代行主義に基づいた開明専制―権威主義の亜種―であり、地方自治を通じて政治的に未熟な民衆を訓導して民主化を行い、その訓導を正当性の担保として党による支配(以党治国)を行うものである。先行研究は訓政が権威主義的特徴を備えた政治体制であったことを明らかにしているが、民主憲政を準備すべく始められた訓政が権威主義的体制に変容を余儀なくされた原因を究明するには至っていない。したがって、本論文の課題は民主憲政の実現を目指した訓政が、なぜ個人独裁と管理的で非民主的な統治制度に帰結せざるを得なかったのか、その原因を解明することにある。

訓政は党による民主化と支配を理念として掲げた統治体制であったが、その担い手となる国民党は制度化のレベルの低い脆弱な党組織にとどまっていた。党の制度化が進まなかった原因は、インセンティブ・システムの未確立と党中央による地方資源の不完全な掌握にあった。この低位にとどまる制度化は訓政体制に二つの特徴をもたらした。それは、基層レベルにおける散漫な党組織と党中央レベルにおける不安定な寡頭制による政治指導であった。当初、国民党は党組織の形成ならびに党内政治の運営において、自らが掲げた訓政の理念に背馳しないよう強権的な独裁を忌避した結果、基層部における党組織の液状化と、上層部における不安定な政策決定を招来した。その結果、地方自治は基層党組織を介さずに政府組織によって行われる必要が生じ、また、政策決定に党内の反対勢力が介入しないよう党の影響力が弱められる必要が生じた。

国民党において個人独裁ならびに管理的な統治体制への志向が生じた原因は、党組織が形骸化している状況にもかかわらず、党支配の唯一の源泉である訓政の理念に忠実であろうとするために、党外では地方自治を推し進め、党内では合議と党内民主を維持しなければならなかったことにあった。個人独裁の強化と非民主的な諸制度は、逆説的ではあるが、安定した政権運営を行いつつ訓政を実現するために必要とされた。

しかしながら、それら非民主的な諸制度の実現は、同時に民主憲政を目指すべき「訓政」の正当性を、さらにいえば「党」の正当性をも掘り崩していくのであり、国民党はその権力の安定を求めるにしたがって、政権の正当性を内部から浸食していかざるを得ない構図にあった。国民党の訓政体制が抱えた根本的な問題は、独裁の出現そのものにあったのではなく、むしろ独裁を通じた一元的な権力の確立による政権の安定が、自治を中心とした訓政の理念―すなわち政権の正当性―の実現と両立しないことにあった。以上の検討から、本論文は国民党の訓政が党という主体を欠いたまま民主を標榜した理念に忠実であろうとしたため、結果として理念とは対極にある個人独裁と非民主的な統治制度に帰結せざるを得なかったことを明らかにした。

ページのトップへ戻る