フォーラムでは、井植 敏 淡路会議代表理事の挨拶に続いて、片山 裕 京都ノートルダム女子大学副学長の進行により、4人の講師からの基調提案をいただき、そのあと、参加者は3つの分科会に別れて、それぞれのテーマで活発な討論を行いました。
昼食を挟んで午後から行われた全体会では、村田晃嗣 同志社大学学長の進行により、初めに分科会の座長から各分科会での討論の概要について報告をいただき、参加者全員でさらに議論を深め、最後に2日間にわたる淡路会議の締め括りとして、五百旗頭 真 淡路会議常任理事から総括と謝辞が述べられ閉会しました。
地域レベルでの減災活動は災害の被害を減らす上で効果的かつ有用であると証明されている。また個人や家族だけでなく、隣近所に住む住民も災害時の初動対応を担うことになる。
阪神・淡路大震災の後に、高校生に意識調査を行った。教育、意識、予防・準備の3つの観点で分析した結果、意識はある程度高いが、それがあまり準備につながっていないことが分かった。学校教育は、防災に対する意識を高める上で重要である。しかし、予防・準備で大事になってくるのが地域の教育と家庭の教育である。今、日本の学校教育の中でも、このギャップをどう埋めていくかが大きな課題である。コミュニティと、コミュニティ防災の大切さを理解する必要がある。
特に途上国の場合、コミュニティによってさまざまな課題があり、災害の話が出てこない。よく使われる英語の「resilience」は直訳すると「復元力」である。災害の影響から立ち直るまでの時間を短くする上での大きな課題は、毎日の生活の中でどのぐらい防災のことを考えているかということである。
コミュニティといっても、地域によって非常にばらつきが大きいので、一つのモデルで全ての地域のコミュニティ防災を行うことは不可能である。地域に特化したものを考えないと、持続可能にはならない。それは学校の役割であり、地域の中でどのような技術移転をするかということでもある。途上国の場合は、衛生関係やごみなど環境問題が取っかかりになることもある。重要なのは、「Locally Acceptable Affordable」、すなわち現地で受け入れ可能、実施可能なコミュニティ活動をしない限りは長く続かないということである。
災害対応においては瞬発力が必要であり、そのためには資金をプールしておく必要があるが、単体のNGOでは多額の資金をプールできない。そこで、NGO、経済界、政府が対等なパートナーシップの下、三者一体となり、それぞれの特性・資源を生かし協力・連携して、難民発生時・自然災害時の緊急援助をより効率的かつ迅速におこなうためのシステムとして、ジャパン・プラットフォームを2000年に設立した。
国内での活動については、2004年の新潟県中越地震でイオングループと連携して避難所を運営した。その際に直面した課題は、自治体との調整不足と企業の力を支援に取り込む仕組みの欠如である。その経験からその後、国内向けの大規模災害に備えた連携組織Civic Forceを設立した。
2011年の東日本大震災では、ヘリコプター会社との事前の協定に基づき、震災翌朝からヘリで宮城県沿岸部を調査し、初期の人員と物資の輸送にもこのヘリを活用した。また、引っ越し会社の協力で物資を輸送した。
こういった経済界・政府・NGOが連携したプラットフォームをアジアに広げるために、2012年に日本、フィリピン、韓国、インドネシア、スリランカの5ヶ国で組織するAsia Pacific Alliance for Disaster Management (APAD)を日本の主導のもと始動させた。
民軍協力の可能性については、2010年にCivic ForceやPeace Winds JAPANを含む日本の民間4団体が米軍主催のパシフィック・パートナーシップに参加した。こういった米国海兵隊・海軍および陸海空自衛隊との民軍が連携した活動について、今後しっかり取り組んでいきたいと考えている。
我々は、イトーヨーカドーの総合スーパーを発祥とした小売中心のグループである。取引先、店舗に入っているテナントも含めた仲間達と一緒に店舗運営を行っている。これは、災害対策を含め、当社グループの事業活動の基本理念である。
地域に信頼される誠実な企業として、災害時には早期営業再開を基本に、本部機能は、店舗をいかにスムーズに営業させるかということのサポート役という形の意味づけをしている。このため「大規模災害対策」を作り、具体的に本部・店舗の役割分担をこの中で決め、災害時の権限は基本的に店長に委譲する形の体制を組んでいる。
また、社会的責任の観点から災害時の地域貢献を推進する上で、自治体との連携も重要と考え、94の自治体と災害協定を結んでいる。
東日本大震災では地震発生4分後に対策本部を立ち上げ、情報収集をし、店舗の被害状況から事業継続等を判断した。関東地方を含めた129店舗が何らかの被害を受けたが、結果的には翌日から175の全店舗で商品を供給した。震災翌日から緊急支援物資の搬送を手配し、無償・有償計約16億円、61団体に供給した。
東日本大震災後、事前に計画を持って実施したものが、本当に効果があったかどうか、損保会社5社の幹部をその構成員とするリスクマネジメント研究会においてチェックのうえ対応している。
南海トラフ巨大地震の被害範囲は、全国の事業者数の46%、燃料供給の50%、製造品出荷量の78%に及ぶので、食料品を中心としてどのように供給していくのかが今後の課題である。
インフラストラクチャーでこの国をどう守っていくかという観点から考えると、最大危機として、いまだに続く東京首都圏への一極集中と「非常時のモード」の欠如がある。首都圏一極集中の問題では、わが国は、首都機能移転論でこの問題を解いてこようとしたが、これが失敗した現在、これに変わる処方箋が全く出せていない。
直近の2013年で東京圏に9.7万人を集めている。人口減少の時代に社会増がこれだけ起こっていることは、地方の人口減少を促進していることになり、これが最大の問題である。
このように人口集中している首都圏に直下型地震が起こって、南海トラフ地震が起こる。首都直下地震では、経済被害は95兆円。南海トラフ地震では経済被害は220兆円の想定であり、大恐慌時のアメリカ並みのGDP毀損が起こる可能性がある。1755年のリスボン大地震でポルトガルが世界の表舞台から消えたように、日本も同じことになる危険がある。だからこそ、立ち直れる状況を作っておかなければならない。
わが国は、1959年の伊勢湾台風までは大災害が当たり前のように起こっていた。ここから阪神・淡路大震災まで大災害の空白の36年がある。われわれは自然大災害が襲ってくる国であるという認識を欠いてきたのではないかと思う。
阪神・淡路大震災の起こった1995年はわが国の大きなターニングポイントとなった。作家の村上春樹氏は、「この年以降日本人は自信をなくした」と述べているが、まさに何もかもがこの年を境に一変した。この年財政危機宣言が発せられ、財政・経済政策の混迷と転落の歴史が始まった。そしてデフレの進行もあって、わが国を経済成長しない国にしてきたのである。
最初に、政府、NGO(非政府組織)、あるいはミリタリーなど、様々な組織の間で情報を整理し、しかも的確に伝える、一種の情報のクリアリングハウスのようなものが必要ではないかという議論があった。
2点目に、阪神・淡路大震災と東日本大震災を比較すると、ソーシャルメディアやネット、携帯の果たした役割は格段に違い、今後の災害ではそういった情報テクノロジーをもっと駆使すべきではないかという意見が示された。
また、第1分科会で意見がやや分かれた問題が、どこまでミリタリーが災害に参加し、救援活動をすべきかという点で、ラストリゾート(最後の手段)であるべきではないかという議論もある一方で、災害の規模が大きければ、そんなものは待っていられないという意見も示された。
他方、NGOの現場はだいぶ意識が変わっていて、Ph.D.を持つプロフェッショナルがたくさんいる中で、安全保障に対して熟知している人が多いので、NGOには一般の日本の世論とは違う認識があるという報告があった。
報告者:阿部 茂行(同志社大学政策学部教授)
最初に、準備が非常に重要で、ロジスティックス等で代替案を用意することが功を奏するという意見が、複数の方から示された。IT産業では代替案を用意するのは当たり前で、コンピューターで言えばプライマリーコンピューターとセカンダリーコンピューターを用意しておく、データも二重、三重に保存しておく、インターネットや携帯電話のようなキャリアも2回線を持っておく。そうすると非常時に代替案が使えてうまくいくという意見も示された。
2点目に、連携が重要で、民間と自治体、民間と警察、民間と自衛隊との連携を視野に入れて、準備しておかなければいけない。東日本大震災では、自治体が用意する避難所には食料供給がきちんとなされていたが、被災地内にある小売店舗への物流は考慮されなかったため、公共の避難所から自宅に戻ると食料がないということで、避難所に居残る、また一旦自宅に戻った人が避難所に舞い戻るということが発生し、避難所が非常に生活しにくいところになったことなどが指摘された。自衛隊との連携という点では、自衛隊は民間物資を運べないという決まりがあるが、被災地まで悪路が1本しかない場合、悪路は自衛隊の車両が運ぶという形で調整を進めているとの報告があった。
3点目に、危機管理にはコストが掛かり、トップの意識が非常に重要であることの意見が示された。ハラスメントのケースも同様で、予防策をきちんと取り、トップが積極的にそれに関与している組織では問題が少ないとの報告があった。
さらに、海外で企業活動を行う場合、現地スタッフの活用も、リスク管理の方法の一つということで、四川大地震の際、現地の人に全て責任を持たせて対応したことや、タイ洪水の際、現地スタッフを責任者にして、タイ語、英語、日本語と訳す手間が省けて、生の情報が早く伝わったという実例が報告された。
また、地域との共生も非常に重要で、関西広域連合と、地域のゴルフ場との連携により、災害時にゴルフ場の施設を開放するという取り組みも、既に行われているという報告があった。
大学は実はリスクがてんこ盛りで、一番遅れているのではないか、これをどうにかしなければいけないという議論があった。
最初に、危険性を正しく捉えないといけないという点で、神戸なり兵庫県の人たちは、阪神・淡路大震災を経験しているので、地震は大体ああいうものだと軽く考えているところがあり、それをどういう形でうまく切り替えていくかという議論が展開された。
リスクの捉え方で言うと、火力発電所やコンビナートが太平洋側にほとんど集積しており、そこが津波でやられた場合を考える必要がある。兵庫県なり関西の経済を考えたときには、もう少しグローバルな目で被害リスクを捉える視点が必要で、個々の暮らしだけではなくて全体のリスクも考えなければいけない。
リスクを見える化する、わが事として心に入っていくように伝えたり、考えたりする機会や場所を設定しなければいけない。目に入るようにすることによってリスクを身近に感じられるというように、リスクを伝える手段をもう少し考え直さなければいけない。
2点目に、正しく危険を知って、リスクから備えにどう切り替えていくかという議論で、幾つか重要な点が指摘された。まず、兵庫県の被害想定と、それに対しての取り組みの説明があり、すぐにみんなで避難するシステムをしっかりつくれば、2万9千人の死者数が一気に400人ぐらいに減る、あるいは5.6兆円という経済被害を3分の2ぐらいに抑えることができるとの報告があった。
また、太平洋側で大きな被害が起きるというリスクの認識を踏まえて言うと、日本海の港湾の整備や内陸部の開発を進めていくことが、次の南海トラフ地震に対してはとても重要ではないかという意見が示された。
そういう議論の延長線の中で、二拠点居住やクラインガルテンなどの話もあり、災害が起きたときに、もう一つ生活する場所があるということを、あらかじめ考えておくことも必要であるとの報告があった。
正しく備えるという中で、国土構造や日本海側の重要性を認識しようということが、二つ目の大きな議題である。
3点目に、コミュニティの在り方が議論になり、従来のコミュニティが高齢化したり、都会ではほとんどコミュニティがなくなったりしている中で、コミュニティにおける日々の暮らしの延長線上に防災を進めるという提案があった。一つは、従来の住んでいる人だけのコミュニティではなく、コンビニやガソリンスタンド、町工場、あるいはNPO(非営利団体)、NGOなど中間組織の人たちを含めた新しいコミュニティの形成をしっかり考えていかなければいけないという議論で、もう一つは、BCP(事業継続計画)あるいはコミュニティレベルのCCP(コミュニティ継続計画)など、災害を受けたときにどう生き抜いていくのかという計画をコミュニティ自身がしっかり持たないといけない。
単に共助が大切だという議論ではなくて、どのような形で生き抜いていくコミュニティをつくるのかということを、コミュニティ自体が考える仕掛けをつくらなければいけないという議論があった。自助、共助、公助の他に、もう一つ「縁助」が必要で、一つ一つの重要なつながりをつくり、それをベースにして助け合うシステムが必要ではないかというという提案があった。
4点目に、広域的な視点として、関西広域連合の取り組みの報告や、兵庫行動枠組も踏まえて、アジアにどのような貢献ができるかという提案があった。行動枠組の五つの枠のうち、遅れているのは人材教育と、貧困や災害をもたらす背景要因への対処であるとの意見が示され、人材教育について、アジアの大学間のネットワークをつくって教育のシステムをつくろうという提案、人材教育や貧困の問題に、日本がいろいろな形で協力していかなければいけないという意見も示された。