シンポジウムでは、井植 敏 淡路会議代表理事による開会挨拶、井戸 敏三 兵庫県知事による歓迎挨拶、アジア太平洋研究賞授賞式に続いて、五百旗頭 真 ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長による淡路会議開催の趣旨説明が行われ、そのあと、三重野 文晴 京都大学東南アジア研究所教授をコーディネーターに、3名の講師による記念講演が行われました。各記念講演の要旨は以下のとおりです。
自由民主党は野党時代、政権を奪還した折にデフレ脱却のための「日本経済再生プラン」を作成した。そこでは、GDP(国内総生産)だけではなく、GNI(国民総所得)も認識しながら日本の経済政策を考えていく必要があるとして、「産業投資立国」を打ち出している。グローバル化が進んでいるため、GDPだけを見て経済政策を検討するのではなく、貿易立国単発でなく投資も含めた双発型の産業国家を目指そうと考えたのである。
経済のあらゆる分野で、ヒト・モノ・カネ・情報、全てのものについて障壁を低くして、あたかも同じ国の中のようにする、まさにTPPのようなものがないと産業投資立国は成り立たない。そのような背景の下に安倍政権が誕生して、TPP交渉に入っていった。
2010年3月、ニュージーランド、シンガポール、チリ、ブルネイ、アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムの8カ国でTPP協定交渉が始まった。日本の交渉参加表明は2013年3月である。2015年10月にアトランタで大筋合意となり、2016年2月にオークランドで署名式が行われた。
TPP協定は、参加12カ国全てが署名した上で、それぞれ国内手続きを完了すればその時点で発効する。ただし、署名から2年以内に12カ国全てが国内手続きを完了しない場合は、参加国全体のGDPの85%以上を占める6カ国が国内手続きを終えた時点で発効するという規定がある。いずれにしても、日本とアメリカが国内手続きをしなければ、TPPは発効しないのである。
物の行き来だけでは済まない時代なので、TPPには30の章が設けられており、サービス・投資の分野で、中小企業も含めた日本企業の海外展開を促進するルールや約束を数多く実現している。日本の関税撤廃率は、全品目で見ると95%なのに対して農林水産物は81%で、他の国と比べると、ここは交渉で勝ち取った部分が大きい。
TPPが発効すれば、当面人口が減っていくわが国にとって、人口が増えて需要が旺盛になる国々を含めた大きな市場に参入できることは、とても大きな意味を持つ。発効した場合の日本のマクロ経済に与える経済効果を政府が分析したところ、日本が新たな成長経路(均衡状態)に移行した時点において実質GDPは2.6%増、2014年度のGDP水準を用いて換算すると約14兆円の拡大効果が見込まれた。これが絵に描いた餅にならないようにすることが大事である。
政府のTPP総合対策本部において決定された「総合的なTPP関連対策大綱」は、「農政新時代」、「新輸出大国」、「グローバル・ハブ(貿易・投資の国際中核拠点)」の三本の柱から構成されている。
「農政新時代」では、攻めの農林水産業への転換、経営安定・安定供給のための備えをはかる。「新輸出大国」では、中小企業、中堅企業を含めて輸出を増やしていく。「グローバル・ハブ」は、わが国を貿易・投資の国際中核拠点として、TPPによる貿易・投資の拡大を国内の経済再生に直結させる方策や、地域の「稼ぐ力」を強化する対策を行う。
今まで述べたプランの大前提はTPPが発効することである。現在その審議は、日本の通常国会において、衆議院で頓挫してしまっており、9月中下旬から始まる臨時国会では最優先事項として通していかなければならないと思っている。
日本が率先してTPPを国内で承認することには、二つの意味がある。一つは他の国、特にアメリカの後押しである。もう一つは、アメリカで「この部分は再交渉できるのではないか」と言う議員が出てきたときに、「日本の国会が承認してしまったので、政府間では難しい」と言えるようになることである。
今後20年、30年は人口が減っていくわが国にとって、大きな経済圏をつくり、ヒト・モノ・カネ・情報が自由に行き来できる権益を獲得していくことは、対中国という意味でも大変意味のあることだ。世界の三極の中で唯一政治的に安定しているわれわれが、しっかりと仕事をしていかなければならないと考えている。
第一に、グローバル・エコノミーが深化し、経済の相互依存が進み、世界が一つになった。すなわち、経済の論理(logics of economy)が大事になってきた。
第二に、科学技術の進歩があった。科学技術の進歩は、非常に大きな破壊力を持つ核兵器も登場させてしまった結果、大国同士の戦争は不可能となった。
第三に、第1次世界大戦、第2次世界大戦という二つの悲惨な大戦を経て、人類は一つの境地に到達した。まず、経済の論理はリベラル・エコノミーである。そして、政治の論理はリベラル・デモクラシーである。
第四に、世界の二分化が確実に起こっている。切り口として、一つはグローバル・エコノミーが順調に受け入れられて発展した国とそうではない国。もう一つは、国の統治(ガバナンス)に成功した国と失敗した国という分け方ができる。それから、先進国、あるいは経済が進んだ国でも、その中で経済の波にうまく乗れた人とそうでない人がいる。
全世界のあらゆる面で、そのような二分化が起こっており、われわれが到達したリベラル・エコノミーとリベラル・デモクラシーという二つの価値観を持った国際秩序が、これに耐えられるかどうかという状況にある。
そのような中で、ナポレオンが「眠れる獅子」と称した中国が目を覚まし、のしのしと歩き回りはじめたのである。
中国には、1840年のアヘン戦争から1945年の日本の第2次世界大戦敗戦まで続く、たった一つの歴史しかない。反帝国主義、反植民地主義、そして独立を回復するという一つの線である。そこで彼らが培った経験は、弱い国は権利も誇りもあらゆるものが踏みにじられるというものだ。従って、国は強くなければならないというのが、彼らが歴史から導き出した結論である。
人類の歴史に対する理解、そして自分の国がどう生きていくかということの理解が、中国とわれわれでは異なるのである。
そして、中国は、新たな世界観を確立できない状況で急速に軍事力を増やし、狭い意味での国益を実現しようとしている。これが、中国がわれわれに突きつけている非常に大きな課題であり、国際社会にとっての最大の挑戦なのである。
習近平は「中国の夢」という思想を掲げた。恐らく「中華民族の偉大な復興」と同義であると思われる。そして、国家が豊かで強くなるには、中国の軍隊は強くなければならないと考えている。このような中国に世界全体が対峙しなければいけない状況にある。
「中国の夢」で強い中国というのがあまりに出てくると、世界全体、あるいはアメリカとの関係が厳しくなってくる。非常に難しいが、中国に考え方を変えてもらうしかない。それには時間が必要だ。その時間を稼ぐために、私たちは軍事的な冒険をしかねない中国に、軍事・安全保障のロジックで対応するしかない。
また、今日までグローバル・エコノミーで発展してきた中国が、それを支える国際秩序であるリベラル・エコノミーを否定することはできない。理屈としては、中国は経済面では既存の国際秩序を修正、改善することはできても、否定はできないのである。
それでは、国際秩序のもう一つの大きな要であり、国連憲章にも代表されているリベラル・デモクラシーを中国は否定できるだろうか。習近平は「中国は国連憲章および国際法を順守し」と明言している。中国人に民主主義のどこに反対なのかと尋ねても、具体的な答えはない。各個人の意見はあるかもしれないが、中国共産党はそれに対して回答していない。
中国の態度が世界に対して挑戦しているように見えたとしても、実はその準備はまだできていないのである。
従って、広い意味での中国との対話を強化し、中国の社会をいかにして早く変えるかが重要だ。中国を短期的に軍事力で抑え込んでいる間に、国民同士をはじめとするさまざまなレベルでの交流を通じて中国社会に影響を及ぼし、同時に経済面では中国がさらに成長できるようにTPPも含めた国際経済システムをさらに円滑に推し進め、相互依存がさらに高まっていく状況をつくり出していくことは、間違いなく安全保障の面からも重要だ。
そして、その上に政治・外交がある。大いに中国との対話を強め、つまらぬ誤解で深刻な事態が発生しないように配慮し、次に向かうべき段階について日本と中国、とりわけ指導者間で忌憚のない意見を交わしてこそ、日本の対中政策がより強固かつ影響力のあるものになってくると思う。
もともと太平洋は自然の障壁で貿易がしにくく、大規模な遠隔地貿易は、大西洋で先に進んだ。戦後、自由貿易体制やアメリカの生産力などを背景に、ほんの一部の西太平洋の沿岸部を巻き込んでアジア太平洋経済圏が成立し、ASEAN(東南アジア諸国連合)からAPEC(アジア太平洋経済協力)あるいはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に至る地域統合の流れが形成された。アジアにはそのような伝統が一つある。
もう一つの重要な伝統は、このような遠隔地貿易の前に、アジア間貿易が数世紀、特に19世紀から20世紀前半にわたって成長し、それが現在の東アジアの高度成長の背景にあるということだ。
現在のアジアの自由貿易体制を考えるときには二つの発展径路を考える必要がある。アメリカに代表される資本集約型・資源集約型の径路と、東アジアの労働集約型径路である。
土地や資源が希少な条件の下で労働集約型の工業化を実現した東アジアは、アメリカでは全く別の方向の技術や制度を発展させてきた。それがタンカーの出現などにより、自然の障壁であった太平洋が、歴史的な時間の中で突然、史上最大のビジネスチャンスの場に変貌したのである。そこで爆発的にアジアの高度経済成長が出現することになる。
ヒマラヤ水系には、黄河からインダス川まで七つの大きな川があり、その先にデルタがある。そこの肥沃な土地で稲作農耕が行われ、東アジアにおいては、16世紀までに揚子江下流で農業関係の労働集約型技術が広範に発達し、日本にも広がった。そして、稲作農耕の中で培われた労働集約型技術と労働吸収的制度の蓄積の中で発達した、労働力の質と資源の効率的利用を追求する資源・エネルギー節約型技術の積極的な探求は1920年代から始まった。
それに対してヨーロッパ型の経済発展は、基本的には化石資源、特に石炭をどう使うかが決定的だった。豊富な土地・資源を持った新大陸(北アメリカ・オーストラレシア)は、西ヨーロッパから資本と移民を受け入れて、相対的には資本集約的・資源集約的な技術・制度を発達させた。その中で、規模の経済を追求するための大量生産方式や規格化、マスマーケティング、科学的労務管理などが発達したのが西洋型の発展径路である。
19世紀末以降のアジアでは、人口でみてもGDPでみても、ウエートがユーラシア大陸の沿岸部、島嶼部に移る。一方で、欧米から持ち込まれたインフラや蒸気船、鉄道を基幹ルートする交通網の発達に従来のジャンク交易や既存の道路網がリンクし、遠隔地貿易を超えるスピードでローカルな交易や地域間貿易が発達した。
大きな人口の固まりがある中で、環境的に多様なものが、海上貿易や河川貿易、鉄道で結ばれていった結果、アジア交易圏が成立することになる。
こうしたアジア間貿易は、1939年の第2次大戦の開始のところで大きく崩壊してしまうが、朝鮮特需が始まる1950年ごろから急速に復活する。
1980年代以降はアジア間貿易の比重が高いところの方が成長率が高い、という非常にはっきりした連関が見られるようになる。最初は日本、1980年代はASEANが引っ張っていく。1990年代になるとNIEsが戻ってきて、2000年になると中国が圧倒的に重要になる。
依然としてアジア間貿易の成長は持続しており、これで終わりということはないと思われる。
1965年や1985年の段階では、環太平洋貿易圏の中では、日本とアメリカが圧倒的に大きく、完全に中国抜きの秩序だった。中国が圏外にいた時期に形成された制度を前提としたまま、アジア太平洋の世界経済における重要性が増し、中国が大きくなっていったのである。近年中国が異論を唱えているのは、この国際秩序である。
アジア太平洋経済圏で爆発的な成長が起こったのは、別々に発達した幅広く奥深い技術と制度が融合したからであって、進んだ地域の技術と制度が遅れた地域に一方的に普及したからではない。環境的な制約の大きい中国西部や中央アジアなどの内陸部、インド・中東・アフリカの乾燥・半乾燥地帯では、同様の速度での普及はあり得ないと思われる。
世界貿易あるいは世界経済の貿易の制度の現状をさらに発展させる可能性があるのは、遠隔地貿易と地域間貿易とのリンケージが一番うまくいっているアジアの自由貿易体制ではないかと考えている。