淡路会議声明 2003

2003年8月2日(土) 第4回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

グローバリゼーションについて これは歴史の大きなうねりであり、巨大な現実であり、これを否定できない。この流れを完全に拒否することは破綻国家となることを意味する。グローバリゼーションは、ただ活用のみができる。90年代はグローバリゼーションの世界的うねりを見た。90年代終わりには金融危機、9.11、アルカイダ、SARSのようにマイナス面が見えるようになってきた。それゆえ、今日、このグローバリゼーションをもう一度見直し、反省する時期に入っている。

世界の4分の1が豊かで4分の3が貧しいという格差が拡大した。市場自由主義の名のもとにこれを正当化してきた。また、世界的に破綻国家の面倒をみる義務はないと考えられた。もう一度世界を再構築するに当たり、競争をやめるのではなく、厳しい競争をこなしつつ、他方で社会と人々へのケアの心をもって配慮するデュアリズムが必要である。

人の移動について 短期の旅行者、長期の移動についても、障壁の高さにおいて日本は際だっている。それは歴史的には自己防衛、一国繁栄主義のもと追求されてきた。いまやその損失の方が強い。ミクロのレベルにおける外国人の不法滞在といった問題点をあげ、障壁を守る議論はあるが、もっと大きな観点から、日本にとっての生存と利益という視点を導入せざるを得ない。少子高齢化の中で、衰退を回避するには、障壁を低くすることしかない。そうした観点に立てば、ミクロレベルのポジティブな対応がすでになされている。4万3千のフィリピン花嫁が地方でどれだけ大切にされているか。IT技術者を3年に限って韓国、中国などから招いて活用することは現行法の中でも可能である。

より大事なのはマクロの対応である。これまでは取り締まり的な発想である入国管理で対処してきた感が否めない。国家戦略の観点に立った移民法が重要である。合法的にコントロールしつつ、外国人を住民として迎えることが急務である。その際、日本人らしい受け入れ方とは何なのか、日本の持つべき移民法とは何なのか?技術者、資格者、そして投資と親族を受け入れるというのが国際的に一般的であるが、日本はどのようなオプションを取るべきなのか。日本の特徴を見出しつつ多民族と共生する方向が重要ではないか。

アジアについて 近代日本は「脱亜論」の時代、アジアにいいものはないと考え、欧米に学ぼうとした。強兵による戦争をし、アジアとの和解は、なお未決の課題である。こういう過去を持つ日本とアジアの関係が大きく変わったのは、東アジアの躍進の結果である。東アジアが工業化・近代化を遂げることで、日本と共通化してきた。世界の4分の1が豊か、4分の3が貧困にあえぐなかで、東アジアはその4分の1に移行している。これは偉大なことである。こうしたアジアを我々は注目する。アジアが一つであるからではなく、グローバリゼーションの中でこういう選択をしたことの共感と敬意の故である。

今では、雁行からさらに次のイメージに移っている。国家的な上下、前後はもはや存在しない。IT革命の津波をどう乗り越えるかという点で、すべての国が同じスタートラインに立っている。CEOのサムソン電子はそこから飛び出した先端的企業である。それぞれの国が自らの改革を迫られている。互いに他国からヒントを得て学びあう大切さを我々は正確に認識すべきである。

こうした事態における対処法であるが、まず第一に二面的な対処が必要である。一つは競争の厳しさ、グローバリゼーションの中に自らをさらし、それをこなさねばならない。世界水準に妥協はない、猶予はない。それに臆することなく対応する自己革新が必要である。自らは厳しい競争に立ち向かいつつ、他方で、競争に沈んでいったものを冷たく見放すことがあってはならない。激務の中でも社員を大事にする姿勢は示唆に富む。生存権を奪われることを放置してはいけない。コミュニティを大事にし、伝統的なものを捨てるのではなく、近代化の中でも光を放つことが必要。タイが97年金融危機の中で伝統的なものを捨てず重視しつつ、その上で国際的対応に力を注いだケースは示唆に富む。

第二に、政治制度が重要である。一部のグループが変化をブロックできる日本社会、利益団体と行政、政治の結びつきをどう克服するか、これは気の遠くなることであるが、心の持ち方、考え方の問題が重要である、一つは、危機感を深く持つことが大切である。もう一つは広い心を持つことであろう。開かれた国際観をロジックとし、言葉とすることである。イギリスの経験では、5~7%の移民を受け入れるようになるには問題があったが、外国人を受け入れ、ローカルなレベルで共に生きていけるという実感を持つようになった。日本にはこの経験が乏しい。この点を改めるべきであろう。農業の問題はアジア、世界とのつきあいのなかで深刻である。

第三に、フロンティアなき時代のフロンティアとしての技術革新を重視したい。エネルギー技術、バイオ、新しい農業へのブレーク・スルーが望まれる。

第四に、日本の知恵は存在するか。体験のなかに有用なものがあるか。明治以来の日本は、世界から学習しながら、国をつくり、近代化を図ったが、国内共同体を大事にしてきた。日本は近代化に成功を遂げながら、格差を拡大せず、利益を国民に行き渡らせたことはアジアに無意味でない示唆たり得るであろう。

第五に、グローバリゼーションをもたらす原動力は、自由の意欲、自己実現の意欲である。これにノーブレーキで走ると問題も生ずる。寛容といたわりが他方で重要であり、グローバリゼーションの中で自らの文化を大切にするデュアリズムが重要である。互いに学びつつ、多文化共生を唱え、実行していくことが何よりも大切である。そのことがアジアに共同体意識を育むことになろう。

最後に、こうしたどの国も直面している挑戦に応答するため、日本は人材づくり、とりわけエリートづくりに取り組まなければならない。「つくる」には、“to make”の意味と“to grow”の意味があるが、人を育て、共同体を育てることこそが根本的な課題である。

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