淡路会議声明 2007

2007年8月4日(土) 第8回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

2007年8月3日、4日の両日、第8回のアジア太平洋フォーラム・淡路会議が「エネルギー問題に直面するアジア」をメインテーマとして、淡路夢舞台国際会議場において開催された。エネルギーをめぐる国際政治経済が激しく揺れ動く現下の状況において、例年にもまして充実した報告と活発な議論が本年の会議において繰り拡げられた。

かつて60年代を中心とする18年に及ぶ日本の高度経済成長は「奇跡」と形容された。また、80年代を中心に1997年の経済危機まで続いた日本―NIEs―ASEAN―中国とつらなる東アジアの経済発展連鎖も、再び「奇跡」と呼ばれた。今、「奇跡」の第三局面がわれわれの眼前に繰り拡げられている。鄧小平が「改革開放」に着手して以来、中国の高率の経済成長は30年に及ぶ。さらにもう一つの巨人インドがその後を追って90年代より経済成長の軌道に入った。日本の10倍をこえる人口を擁する中国やインドの経済躍進がもつインパクトは途方もなく大きい。

巨大な経済発展は膨大なエネルギー消費を伴う。GDPとエネルギー需要の伸びをグラフにしてみれば、高度な相応性が認められる。果して世界は、中国、インドを中心に爆発的に拡大するアジアのエネルギー需要をまかなうことができるのか。本会議に国内・国外から参集した専門家は、それはほぼ可能であろうと見ている。「石油はあと30年、40年分しかない」との説明がしばしばなされてきたが、それは従来の前提での掌握分であり、技術を高めコストをかければ、埋蔵資源の開発はまだまだ拡がりを持ちうる。

ただ、地球上の資源総量は足りるとしても、それが地域的に著しく偏在していることは小さくない問題である。しかも最も石油資源に恵まれた中東が政治的に不安定であり、次いで恵まれたロシアに資源ナショナリズムが高まりエネルギーを政治的手段とする傾向が見られることは憂慮される点である。

アジア諸国に看過しがたい問題は、エネルギー源を圧倒的に石油・石炭・天然ガス等の化石燃料に頼っていることにある。原子力などの利用が比較的進んでいる日本ですら約80%が化石エネルギーである。中国やインドは化石燃料の中でも石炭利用の比重が大きい。そのことが環境への負荷をいっそう深刻なものとしている。つまり、中国・インドを中心とするアジアの爆発的な経済発展を、世界はエネルギー資源の面では支えることができるかもしれないが、環境面ではきわめて困難であるといわねばならない。化石燃料の大量利用は、炭酸ガス(CO2)はもとより、硫黄酸化物(SOX)や窒素酸化物(NOX)を発散し、その地の空気と水を汚して公害をもたらすだけでなく、広域の酸性雨の原因となり、ひいては地球温暖化の一角をも担うこととなる。

途上国においては貧困の克服が国民的願望を背にした国家的課題であり、経済発展の軌道に乗った国は工業化の持続を最優先政策課題とする。エネルギーの調達はそれを可能にする絶対的条件と受けとめられているが、工業化が引き起す地域の深刻な公害に対しては次第に関心を持たざるを得ない。それに対しCO2による地球温暖化の問題については、関心は薄く、先進国の責任において対処すべき問題と逃避しがちである。コストへの考慮から、積極的な対応策は見送られる傾向も見られる。

このような状況のもとで、われわれはいずこに地球環境を守る経済活動の光明を見出しうるだろうか。会議における返答の第一は、技術的解決である。日本のエネルギー効率は世界でもっとも高い水準にあるが、それは1970年代の石油危機と公害深刻化の中で、燃費効率のよい自動車エンジンを開発し、脱硫装置つきの発電装置などを開発するという技術革新を遂げた結果である。効率化と低公害を結び合わせる技術革新の機会は、プリミティブな産業から先端産業に至るまでのすべての段落において追求可能であるまいか。

60年代後半の米国におけるマスキー法と同じく、70年代前半の日本も、政府が民間企業に対して厳しい排ガス規制を課した。当時、それは自国産業の存立を困難とする危険を冒すものとの声もあったが、10年のうちに技術革新を遂げた企業が国際競争力を劇的に高めたことが明らかとなった。80年代の自動車をはじめ工業部門における日本の国際競争力は、このように国と社会に促された民間企業の技術革新がもたらしたものであった。

それは、過去の物語ではなく、現在も進行中であることが、本会議で報告された。自動車燃料についてさまざまな試みが世界各地でなされているが、石油系燃料に電気を組み合わせるハイブリッドカーは、バッテリー技術の向上によってさらに高効率・低公害を追求している。

エネルギー源の環境親和性を語る場合、使用にあたっての環境負荷だけでなく、動力生産にあたってのそれをも合わせ、考えねばならない。その点、今国際的に注目されているエタノールは、植物生成過程において炭酸ガスを酸素に変え環境貢献的である点、評価される。ただ、エネルギーに劣らず人類に重要な食糧との二者択一関係を起しうることもあり、一定限度の有効性しか持たないであろう。バイオ燃料の可能性とともに、太陽光エネルギーについての技術的進歩と展望が報告された。風力発電も各地で実施されている。

エネルギー技術に関して、目下のところ一つの決定的解決策は現れていない。さまざまな大小の技術的解決のベスト・ミックスをもって応えてゆく他のない状況にあるといえよう。また、CO2排出のないエネルギー源としての原子力が再び国際的に注目を集める中、過日の中越沖地震における柏崎原発の事故が日本国民に衝撃を与えた。安全性と廃棄物の問題についてコストを投じての対応に努めつつ、原子力をも当分利用することが求められよう。

技術的解決に劣らず重要なのが、政治と制度によるエネルギー環境問題への対処である。先の低公害に向かっての民間の技術革新も政治によって促されたものであった。欧州諸国がすでに導入した環境税について、日本国内では意見の一致を見ていない。日本は全世界的にこれを導入するイニシアティブをとるべきではないかとの意見が示された。

政治の課題は国際的であり、グローバルである。地球温暖化をめぐって、先進国が中国・インドのような巨大途上国の不参加を理由に背を向け、途上国が先進諸国の責任を語って自らは経済発展のためのエネルギー使用を主張する状況は、地球環境の破滅しかもたらさない。先進国に主要な責任があることは明らかであるが、きわめて貧しい国はともかく中国やインドのように現に大きなエネルギーを消費する国は共に一定の責を負わねばならない。それを自国経済への負担と損失であると考えるのではなく、自国の公害を抑え、地球上で持続的に発展する合理的方途と受け止めることが望まれる。

ひるがえって、先進諸国は自らがすでに達成したエネルギー環境技術を途上国に提供し、地球上での持続的発展を可能にする努力を払わねばならない。もし全世界的な環境税が成立すれば、そのためのコスト面を容易にするであろう。

アジアにおいて重大化しているエネルギー環境問題は、一つ間違えば関係国の仁義なき争いの原因となりうるが、他方で地域と地球に生きる者の宿命を理解し、協力と信頼を築く機会ともなりうる。たとえば日本が中国にこの分野の技術を提供しつつ、東シナ海をめぐって共同開発の合意を両国がとげるならば、21世紀のアジアは共生への希望を開くことができよう。

本年の会議においては、エネルギー環境をめぐる政府の役割、企業の役割とともに、国民の個々人の親環境的認識とライフスタイルの革新の重要性が各国の例を引きつつ指摘された。

日本国内での技術的、政治的、国民的努力が自国だけでなく、アジアと世界に新たな可能性の光をもたらすことをわれわれは深く希望するものである。

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