淡路会議声明 2009

2009年8月1日(土) 第10回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

記念すべき第10回のアジア太平洋フォーラム・淡路会議は、7月31日と8月1日の両日、淡路夢舞台国際会議場において、「世界経済危機をどう生き抜くか-世界の知恵・アジアの知恵・日本の知恵-」をメーンテーマに開催され、活発な報告と討議が繰り広げられた。多岐にわたる内容は三つの分野にわたるものである。第一は世界経済危機への対処、第二にはアジアの知恵、第三には日本の生きる道である。

まず、世界経済危機については、100年に一度といわれるにしては、思いのほか早くに底を打って、回復軌道に乗る希望も芽生えかけている。その一つの理由として、1930年代を中心とする歴史の教訓が生かされているという点は無視し難いと思われる。

今に生きる30年代の歴史の教訓として主要なものを挙げれば、第一に、公的資金の迅速な投入によって、金融システムの全面崩壊を回避すること、第二には、保護主義の国際的連鎖を阻止すること、第三には、経済的絶望の中で生まれがちな政治的暴発を回避することである。

第一の公的資金の投入について、米国は、どういう基準で介入したのか。危ない金融システムをすべて助けるのではなくて、「破産させるには社会的影響が大きすぎる」という基準で、リーマン・ブラザーズは見送ったけれども、AIG(American International Group)は救済する。クライスラーはともかく、GM(General Motors)は助ける。バリー・ボズワース博士が指摘するように、この対処は米国内で不人気であるが、社会的なインパクトの大きさから考えてやむを得ないと受け取られている。

第二は、保護主義からの回避である。現在はその教訓もあって、ホーリー・スムート法は作られていない。むしろG8、あるいはG20において、各国とも外国商品の購入を止めるのではなくて、外国からも買える内需を広げようと声を掛け合っている。その意味で、1930年代と大きく違う。1933年のロンドン経済会議の破綻は、国際協調枠組みの断念を意味した。そのことがホーリー・スムート法とともに世界経済 の底なし沼への転落を象徴したが、このたびは協力の枠組みは死んでいない。

そういう意味で歴史の教訓は生きてはいるが、あまり意識されていないポイントが林敏彦教授の報告で指摘された。アメリカの場合、ルーズベルト政権の下で1934年から一度、回復軌道に乗りながら、1938年に金融引き締めを不用意に行ったために再転落をし、それが10年の大不況に帰結したという点である。日本の90年代も、97年の増税措置が、よみがえりかけた景気の息の根を止めて、「失われた10年」になった。そのことを考えれば、今日の経済が回復軌道に乗ったかに見えると先述したが、この景気の息はまだまだ弱い。これを政策的な、不用意な愚行によって窒息させるならば、もう一度底なし沼に落ちるということもあり得る。その点に留意せねばならない。

第三の政治的暴発についてはあまり議論がなかったが、注意しておくべきことである。1930年代に日本、ドイツ、イタリアが軍事主義、全体主義に変わっていくことを放置して、その進軍を許したことが第二次世界大戦の人類的悲惨をもたらした。これからもそれほどの大規模でないにせよ政治的暴挙に注意が必要である。

やはり重要なことは、世界の金融システムそのものの改革であろう。ボズワース博士が指摘したように、サブプライムローンは既に死んだ。しかし、どのように金融制度を改革するのか。米国では金融商品のあり方および消費者保護に焦点を合わせた改革案が今、次々に出され、ギャンブル性の高い金融ゲームは抑制されようとしている。先述の大きすぎてつぶせないという緊急避難的対処しかできない理由には、大きすぎる企業がのさばるのを放置してきたという問題がある。Too Bigなものを作らせない、独占禁止法的な巨大シェアに対する規制もアメリカで今、考えられている。同時に世界的にもG8ないしG20の場において金融システムの改革が討議されている。しっかりとこの機会にやっておかねばならない。

また、米国の貿易赤字とアジア、中東の黒字という構造はサステナブルではない。太平洋をまたぐ再調整、Trans-Pacific Re-Balancingが必要であるという指摘は重要である。アメリカはもう少し貯蓄を増やし、輸出を増やす努力が必要であり、アジアはより消費を活性化し、内需を高める努力に向かわねば、世界の構造的な行き詰まりが深刻化するであろう。

以上のようなもろもろの努力を行っても、この経済危機を超えるのに早くて3年、普通には5年、対処を誤って二番底を迎えれば10年というような、苦吟する時代をわれわれは持たざるを得ないだろう。ただ、その苦吟する危機の時代はチャンスに変えることができるという認識が重要ではなかろうか。

次にアジアの知恵について、チャロンポップ・スサンカーン博士から指摘があった。1997年の東アジア経済危機に際して、IMF(国際通貨基金)やアメリカには、これがアジアの不健全な病弊クローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)に起因するとか、ガバナンスの欠如に起因するなど、アジアの特殊性に帰する決めつけがあり、西側モデルの高みからアジア経済システムを難じる声が頻発した。しかし、そのアメリカのシステムにも大きな問題があるということがこのたび露呈した。この世に完全な制度は存在しない。どれにも強みがあるとともに脆弱性と危うさがある。それゆえに世界のそれぞれの文化、それぞれの経済は謙虚に学び合い、相手を参照しながら自らの経済社会をエンリッチしていくことが必要である。

今回の危機に際して、アジア諸国はアメリカ発の津波に沈没しないための対処に手一杯である。アジア危機の際に、アメリカが高みから説教をしたのと逆に、アメリカから始まったこのたびの危機について、アジアが高みから説教をする余裕はない。興味深いのは、97年の東アジア危機を機に、アジアにおける協力枠組みが進展したという点である。日本が提案したAMF(アジア通貨基金)は残念ながら斥けられたが、新宮沢構想という形でアジアに多大な協力をオファーし、さらにチェンマイ・イニシアティブという、バイの関係の束のような金融資金面での協力枠組みを危機の中で発足させた。また、ASEAN+3という東アジアの共同体に向かっての歩みも進展した。そして、今回の危機において、チャロンポップ博士自身が尽力されたCMIM(チェンマイ・イニシアティブのマルチ化)というバイの束を共通にプールした一つの大きな国際枠組みとする方向への進展を見ることができた。

また、中国の内需が力強い牽引者となって、この世界経済危機の中でも気を吐いていることは注目される。さらに日韓のFTA(自由貿易協定)関係は行き詰まったが、ASEANが韓国、日本の両方に対してFTAを結ぶというやり方で、東アジアのFTA網が進展している。ASEAN+3において当初はアペンディックスであった日中韓が、昨年、独自の首脳会談を開始した。北東アジアに協力枠組が成育することを期待したい。チャロンポップ博士は大上段にこれがアジア型の資本主義だと気張るのではなく、大事なことはCorrect(良き) Paradigm、そしてPrudence(賢明さ)、そしてPragmatismという三つのPを軸にして、着実な、前向きな対処、健全な対処を考えていくことを提案された。この危機の中でアジアが育むべき知恵であると思われる。

最後に、日本の生きる道である。危機を機会とすること、平時にできないことを危機感を味方にしてやり遂げることを吉原英樹教授は説かれた。日本においては間もなく政権交代が起こるかもしれない。危機の中で行われる政権交代を機に、普段できない変革ができるであろうか。そうあってほしい。外国からの参加者に「間違いなくできる」と申し上げることはできないが、見守り、育てたいと思う。

二つの経済の型についての対比が論じられた。英米型の金融中心、株主中心の資本主義、そして日本やドイツ型のものづくり中心の資本主義(ライン型)である。今日の事態においての英米型金融株主中心資本主義への批判、不信感が、この会議においても強くにじみ出ていた。この事態において当然であろう。

しかもなお、知的に勝利するのはむしろ英米型であろう。国際競争力において英米型資本主義が強いとの指摘がなされた。なぜそうなのかということについての詰めた分析は十分ではない。一方でライン型と呼ばれる実業、ものづくり中心の資本主義の方が健全であるけれども、悪貨が良貨を駆逐するという現象なのだという説明がある。他方、日本企業の利益率は低く、英米型を上回るだけのパフォーマンスを国際競争の場で挙げられずにいるとの議論があった。それをいかに克服するかということについても議論された。

一つはトヨタ、パナソニック、キャノンなど、国際競争に参戦するトップ企業は、ダイナミックな拡大を続ける海外市場の雄たるべく戦わねばならない。ただ、そのことは自ら培ってきた実業資本主義の筋を捨てろということではなく、それを持ちながら世界をこなすということである。吉原教授によれば、「利益率=技術×戦略」である、あるいは「工場×経営」である。日本の場合は技術、そして工場は非常に強い。その分野では日本の方がむしろ上である。しかし戦略という面、経営という面ではアメリカなどに主導権がある。そういう中から出てくる指針は、一方で、日本は強みを生かし、技術、ものづくりの強みをしっかり発揮すべきである。とりわけ現在、世界全体が環境問題に対するブレークスルーを懸命にまさぐっている状況にある。環境、エネルギーに関する新技術において日本が先手をとり、リードすることができるならば、あたかも石油危機後の70年代の日本が80年代における優位を用意したように、新しい技術による躍進という局面をもう一度見いだすことができるのではないか。リチウム電池の可能性などが語られた。

そういう強みを発揮するとともに、他方で弱点を他から学ぶということにより補強することが必要となろう。このたびアジア太平洋文化賞受賞が決まったエズラ・ヴォーゲル教授の『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本の中で、何がナンバーワンであると論じられているのか。日本がアメリカを抜いて一番だなどとは書いていない。海外から学ぶ意欲と能力の素晴らしさにおいて、日本は世界一だと論じている。日本が明治以来近代化を遂げ、戦後もここまで成長する上での大きな強みであった学習能力をもって、世界に対する戦略、経営の面を学んで、国際的に立派な対処を遂げることが期待されるのである。

同時に、日本国内の辺境をしっかり開拓する対処がなされなければならないであろう。例えば日本は少子高齢化社会を急進展させている。来るべき長寿社会に対応するという課題について、本会議で藤井威元大使からスウェーデンモデルが紹介され、注目を集めた。福祉と教育への公的資金の投入が不可欠であろう。少子高齢化社会への対応は、何のためか。一つには長寿社会の安心・安全を築くことが、この時代を生きる者にとって非常に大事な共通の課題である。同時にそのことは、出生率の反転上昇の基盤たり得るという期待が含意されている。この二重の企図をもっての日本型高齢化社会の構築が望まれる。

加えて、そのこと自体が新たなる内需ではないのか。世界危機への対応は各国が保護主義に陥ることなく、輸出ばかり考えて、輸入を嫌がるのではなく、新たなる内需を考えなければいけない。スウェーデンなどを参考にしながら、長寿社会の需要を日本の中で築いていくということは、同じ経路をたどりつつある世界の国々、アジアの国々に対するわれわれなりの試案を作る意義がある。モデル性をも持ち得るのではないか。

日本は大きな国土があるわけでもなく、自然資源もほとんどない。あるのは人材のみである。人材のみを武器として近代化を遂げて経済的に大を成すことができた。それゆえに日本の貴重な伝統は人本主義である。われわれはそのことを誇りにしていいと思われるが、日本の人本主義は「女性と高齢者、外国人を除外した人本主義である」という指摘が吉原教授からあった。「女性と高齢者、外国人を含み込む人本主義」への脱皮を、われわれは考えるべきではないか。

非主流、周辺、辺境に育った変革型リーダーシップが提起された。苦境の中で、どうせ駄目だと思うのではなく、変革型リーダーシップを活性化する力強い提案が、地域活性化を自らリードしてきた南部靖之社長からなされた。われわれは必ずしも外にフロンティアを求めるのではない。フロンティアはわれわれの地域の中にある、われわれ自身の内にある。チャレンジファームの構想に参加者は感銘を受けた。農業、教育、医療の特区についての提案がなされたが、道州制の形式はともかくとして、国内の多極化、地方分権を考えていかなければならない。国内における多元化を考えることは、同時に国際的な場において市場資本主義万能ではなくて、多元的、重層的な世界経済システムを要求することと軌を一にするであろう。

この40年間、アジアは大きな成功を遂げてきた。中国、インドは大きな国内人口を貧困からすくい上げ、現在の世界危機の中でも気を吐いている。それは世界経済にとっても救いである。そして、その地でわれわれは新しいアジアの協力枠組みを模索している。といっても、米国を衰退と決め付け、反米におけるアジアの勃興を語るのではない。われわれはアメリカの大いなる復元力を信頼し、しかしアメリカが傲慢にならずに、他の文化社会を尊重しつつ、多極的、重層的なシステムを作るリーダーシップの発揮を期待する。われわれはそれと協力して、危機を超えて新しいアジア、新しい世界をつくる事業に立ち向かわねばならない。その中で日本が日本らしい輝きを持つ社会を築くことが、この会議における多様な意見の先にある共通の目標であったと思われる。

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