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HATコラム

(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構研究調査本部研究統括 野々山久也

1942年生まれ
博士(社会学)
甲南大学名誉教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構研究調査本部研究統括

少子化現象に対して「この狭い日本に1億人以上の人口が犇めき合っている現状からして少子化現象は望むところ。むしろ少子型社会へのソフト・ランディングのための移行策を講じることこそ先決」という主張がある。この説では少子化が肯定されている。しかし本稿では、少子化が労働力の供給不足や社会保障の財源不足などとは別の根拠から「肯定できない理由」を示し、その解説を試みる。

少子化の原因とは、つぎのように解説される。すなわち子どもの意味の変化が根本的原因である、と。では今日、子どもの意味がどのように変わってきたのか。かつて多くの家族は「家」経営体であって、子どもは明らかに「家」あるいは家族の労働力として貴重な存在であった。また家業の後継者や老後の生活保障としても貴重な存在であった。しかし今日、ほとんどの家族は家業なるものを有さない。サラリーマン化してしまった。 いま家族が子どもをもつとすれば、その子どもの意味は根本的に異なっている。それは夫婦の愛の証であるとか、生活の潤いであるとか、趣味としての子育て、などである。この時点で、必然的に夫婦の愛の証である子どもの数が大勢である必要はない。家族における子どもの意味の変化は1人か、あるいは性を異にする2人の子どもで十分間に合う。社会保障制度の充実やコンドームなど避妊具の普及は、そのことに大いに貢献もしてきた。しかし、これだけで必然的に少子化になるとは限らない。

一方、それまで国家にとっての子どもの意味は労働力であり兵力でもあった。労働力の提供も兵士の提供も、国は全面的に家族に依存していた。家族に命令することで事は足りた。家族はその時点でも実質的には「社会のため」に子どもを産育していたわけではない。それでも家族にとっての子どもの意味と社会にとっての子どもの意味に大きな齟齬はなかった。しかし大きな齟齬が生じてしまっている今日、国家の側の政策転換こそが致命的となっている。

少子化対策とは、国による国のための対策であって家族のための対策ではない。とはいえ子どもは、国家では生産できない。このことに真剣に取り組んだ国ほど少子化対策のあるべき方向や少子化現象に対してもつべき価値観の転換が進み、少子化を緩和でき、防ぐことができている。要するに、産育活動を家族の責任のみでなく社会の責任として位置づけ、社会的存在としての子どもに対する「産育保障」政策に早くから取り組んできている国ほど、少子化現象の悩みから解放され、出生率を回復させてきている。取り組み方は、その国の文化や民度と無関係ではない。

現に少子化を緩和させつつある先進国では、少子化対策を全面的な産育保障の政策へと転換させてきている。第1に、産育する女性の自立支援策である。働く女性たちが保育サービスや育児休業制度を容易に活用できる国ほど出生率が回復してきている。日本でも、この政策に関する限りそれなりの展開がある。ただし保育サービスや育児休業制度の不備や限界のせいで、少子化は防げず、緩和できていない。自立支援策であっても産育保障政策ではないし、非正規雇用の産育保障にもなっていないからである。それが多くの若者たちの未婚化現象の原因にもなってしまっている。

そこで第2は、若者たちへの産育保障の政策である。結婚を前提にして子どもを儲ける若者たちに対する未婚化対策としての家族形成の支援策である。すなわち積極的な就労支援をはじめ住宅サービス政策など、若年期やポスト若年期の法的位置づけによる若者の人生設計への全面的サポートである。若者たちは人生の将来見通しがないのに結婚や出産はしない。日本には少しの就労支援以外、若者政策は皆無である。

第3は、子どもを社会的存在として位置づけ、家族による産育活動の徹底的支援である。特殊事情のアメリカを除く先進国では、国が「産育保障を社会的責任として位置づける度合いの高さ」とその国の「出生率の高さ」とは有意に相関する。社会的責任としての位置づけの高さは、1つには産育保障に対する国家予算の額によって測定される。OECD諸国のなかでも日本が旧態依然とした少子化対策であり、その結果、少子化が緩和できていないことは明白である。

そして第4は、産育活動の支援や保全を国民的価値とする普及政策である。中学教育レベルから教育を開始し、企業や社会機関のすべてが保育サービスを提供する公民運動の活性化である。大学や企業に保育施設があるのは当然という意識の醸成であり、敬老精神ならぬ「産育協働」精神の普及である。少子化を緩和させつつある先進国では、すでに国民的価値になってきている事実を知るべきである。

本稿の問題提起である少子化現象が肯定できない根拠は、以上のことを指す。そもそも孤立して産育することになる日本の女性たちが積極的に産育に励むことなど有り得ない。