• 研究戦略センター
  • 人と防災未来センター
  • こころのケアセンター

HATコラム

急がれる広域支援の具体化

人と防災未来センター上級研究員 田中 淳

人と防災未来センター上級研究員 田中 淳

1954年生まれ
東京大学大学院社会学研究科修士課程修了
未来工学研究所、群馬大学、文教大学、東洋大学を経て現職
東京大学大学院情報学環附属総合防災情報研究センター教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター上級研究員

今、インドネシア東ジャワ州に来ています。2007年にKelud火山が活動を活発化させ、溶岩ドームを形成し、周辺の住民が避難をしました。その際の警報の伝達や避難指示、そして住民の避難の実態を住民調査や地元行政への聞き取り調査などから研究してきました。今回は、その一貫として、現地で行われた火山防災訓練を見学したのです。地元の地方行政や赤十字、地元の防災リーダーなどが企画、運営し、土曜日の昼12時から翌朝の8時半まで、20時間を超す本格的な訓練でした。Kelud山の活動状況や4段階に分かれている警報時の対応について教育するとともに、避難が必要となる最高レベルの“AWAS“が発表されたとの想定で、5地域各200人、延べ1000人が避難所まで実際に避難をし、宿泊する実践的な内容となっていました。

東ジャワでの訓練内容

興味深い点は、企業が携帯無線やコミュニティFMを寄付したり、地元のボランティアが主導的に運営していた点でした。それ以上に、避難が必要と想定される地域住民の避難訓練に加えて、避難先の地域が受け入れに際して生じるであろう問題への対応策を実地に訓練していた点は、我が国でも学ぶべき点だと感じました。産気づいた妊婦がいたり、トランス状態になった人がでたりといった突発事態が発生し、どう受け入れ先で対応するか、また家畜の受け入れもしていました。

火山噴火は、影響範囲が広く、時に他の市町村、場合によっては他の都道府県にまで避難をする必要があります。実際に、2000年の有珠山噴火時ならびに1986年の伊豆大島や2000年の三宅島全島避難時には、他の市町村へ避難をしています。大規模な噴火時にはさらに広域な避難も覚悟せざるを得ません。広域避難は、火山災害に限りません。実際に、地震災害では2004年の新潟県中越地震時の旧山古志村が、合併が決まっていた長岡市に避難をしましたし、3月に発生した東日本大震災では、多くの方々が依然として地域外への避難を強いられていますし、また種々の広域支援が実施されました。

内閣府が想定をした首都圏大規模水害や東南海・南海地震でも、広域避難や広域応援は避けられません。これまでも広域避難や広域応援は考えられてきましたが、それらの計画は避難する側、応援する側の計画が主なものです。避難を受け入れる側の受け入れ計画、応援を受ける側の受け入れ計画は比較的具体化されていないよう思います。具体化をするためには、支援する側と支援を受ける側の両者が、共同して計画を策定していく必要があります。

今回の東日本大震災では、協定に基づく応援、広域連合による応援ならびに後方拠点計画に基づく応援がなされました。それぞれの利点と問題点とを明らかにしていくことが、実効的な計画づくりに有効でしょう。精神的な協定から具体的な計画へと一歩踏み出すことが、求められていると思います。