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HATコラム

悲しみの向こうに

理事兼兵庫県こころのケアセンター長 加藤 寛

理事兼兵庫県こころのケアセンター長 加藤 寛

1958年生まれ
神戸大学医学部卒業 医学博士
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構理事兼兵庫県こころのケアセンター長

愛する人の死は誰もがいつかは経験する。悲しみ、喪失感、寂しさなどの感情が、当然生じる反応だろう。看取るまでの時間の中で、家族が死を受け止める準備をするプロセスは、死にゆく人が自分の死を受容する過程とよく似ていることは、キューブラー・ロスが指摘したことであるが、災害や大事故で家族を失った場合は、そのプロセスを経ない突然の死に直面することになる。

通常の死別でも、悲嘆や喪失感とともに強い思慕の感情が生じるが、時間の経過とともに、次第にそれらは背景に退いていく。そして、想起すれば悲しみは感じるものの、死者に関するポジティブな思い出も抱くことができるように変わっていく。これが、正常な悲嘆のプロセスとされる。

しかし、突発的で悲惨な死別を経験すると、痛切な思慕の念が続き、死を受け入れることができない状況が生じることがある。特に、自責感や悔悟の念を伴ってしまうと、日常生活や社会機能に大きな影響をもたらす結果となり、精神的な病と認識できる状態にまで至ってしまう。

正常のプロセスをたどらない悲嘆に関して、さまざまな呼称が与えられてきた。たとえば、精神分析学の創始者ジグムント・フロイトは、「悲哀とメランコリー」と題した論文の中で、メランコリーを説明するために、正常な悲嘆反応と比較している。フロイトは、喪失体験から生じる正常な反応として「悲哀」を位置付けた上で、何らかの脆弱性を持った個人が病態を発展させることがあり、基本的な症状構成には差違はないものの、著しい自我感情の低下、故人に対する両価的で複雑な葛藤などがメランコリー(うつ状態)の特徴であると解釈している。

その後も、通常のプロセスをたどらない悲嘆については、「病的悲嘆」「慢性の悲哀」「遅発性悲嘆」「未解決の悲嘆」「歪曲された悲嘆」などと呼ばれてきたが、1990年代以降の悲嘆研究でよく用いられるのは「複雑性悲嘆」という言葉である。そして、通常とは異なる悲嘆反応を、精神医学の正式な病名として位置付けるか否かの議論が重ねられてきた。しかし、現在のところ「うつ病」という診断で十分だという考えが趨勢で、来年に改訂が予定されている米国精神医学会の診断マニュアルにも収載されないだろうといわれている。

私たちのセンターには、診療所が設置されており、災害、犯罪、大事故、暴力などの経験がトラウマとなって、PTSDをはじめとするさまざまな精神的問題を抱える人たちの、治療に取り組んでいる。患者さんの中には、遺族の方も多く、その悲嘆の大きさに圧倒されることが多い。確かに彼らの示す症状はうつ病と似ているところもあるのだが、抗うつ薬などの通常のうつ病治療にまったく反応しない人が少なくない。ちなみに、うつ病の治療はこの10年ぐらいの間に飛躍的に進み、副作用が少なく効果も十分に期待できる抗うつ薬が多く使われるようになった。

びくともしない悲嘆に対して、複雑性悲嘆療法と呼ばれる認知行動療法が、十分な効果を期待できることが、最近報告されている。私も、この治療法を学び、ほそぼそと実践してきた。ご自身の悲嘆反応を十分に理解してもらった上で、死の場面を何度も何度も想起し語ってもらうという作業を繰り返す。このプロセスをとおして、どんなに悲惨で衝撃的な死の状況であっても、最期のお別れという大切な瞬間として受容できるようになり、恐怖感や自責感などの苦痛な感情が徐々におさまっていく。同時に、死別後のその人の生活、人生を少しでも豊かにするためのプランを話し合い、実践していく。多くの遺族は「自分は一生悲しみ続けなければならない」という考えにとらわれているが、「悲嘆から回復することは死者を裏切ることではありませんよ」と伝えて、現在、そして将来の人生について、ともに考えていくのである。

しかし、1回2時間ぐらいかかる面接を、約3カ月にわたって毎週行っていくので、治療する側も大きなエネルギーを注がなければならず、この治療に取り組んだ日は、通常とは違う疲労を感じてしまうのは、まだまだ、私が未熟であるということなのであろう。