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HATコラム

三大震災比較研究のはじまり

御厨 貴(研究調査本部政策コーディネーター)

研究調査本部政策コーディネーター 御厨 貴

1951年生まれ 
博士(学術)
放送大学教授 東京大学先端科学技術研究センター客員教授
復興庁復興推進委員会委員長代理
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構研究調査本部
政策コーディネーター

三大震災比較研究のプロジェクトを担当している。関東大震災、阪神・淡路大震災、東日本大震災。この時空を越えた3つの大震災を、どうやって比較研究するのか。テーマそのものはアクロバット的な感じを否めない。

だが“地震”というこの国に頻発する自然災害への政治・行政の対応という視角からの比較研究は、これまでにない。危機管理・危機対応の研究としても広がりはある。手さぐりではあっても、若い研究者たちの意欲ある態度が反映されて、今年度から始まったプロジェクトは、順調に進んでいる。

いわゆる資料集めも重要であり、この面の手当ても活発になされている。2年目の研究の進展も見据えて科研費への応募も行った。

私自身は、かつて後藤新平と関東大震災についてサーベイを行ったことがある。異端の政治家たる後藤新平による震災対応は、その後の復興過程を見れば、意外にもまっとうであった。大風呂敷きとか、政友会や伊東巳代治との対立抗争とか、どちらかといえば復興過程の周辺事情ばかりに、これまでは気をとられていた気がする。昭和天皇が戦後の記者会見で、異例にも後藤新平の名前を挙げて、復興プランを高く評価したのは、その意味で特記されるべきである。

阪神・淡路大震災と私との関わりは、政府の復興委員会を率いた下河辺淳委員長に1年間張りついて「同時進行オーラル・ヒストリー」を行ったことであった。月1回の委員会の後、我々のチームはひそかに当時下河辺委員長が勤めていた東京海上研究所に集まり、毎回の委員会における生々しいやりとりを聞いた。下河辺委員長自身の、政治家対策、復興対策、現地対策、マスコミ対策にも、うならされることしきりであった。

後藤新平、下河辺淳という2人の指導者との直接間接の接触体験を通して、いつのまにか私の中に、危機対応への向き合い方が醸成されていったのは間違いない。あの「3・11」の後、五百旗頭真防衛大学校校長からの東日本大震災復興構想会議議長代理への就任要請を、今考えるとどうしてと思うくらい、即座に受けたのは、自らの中に埋め込まれた2人の先人の精神が躍動し始めたからだとしか、説明のしようがない。今やホームページにおいて完全公開された「復興構想会議」全12回の議事録を読んだ諸氏からは、「大変な会議だったのですねえ」「よくまとまりましたねえ」と感心されることが多い。

まだ私の中では過去形で語ることのできない復興構想会議だが、今にして思うと、五百旗頭真議長、飯尾潤検討部会長と私との、「政治学トリオ」のチームワークの良さが、何と言ってもモノをいったと思う。「政治学」が、現実の政治の中で役に立つと思ったことは、正直言って一度もない。しかしこの時はまったく意識しなかったが、危機の現実への日々の対応の中で、三者三様に持てる全てを―そこにインフラとしての「政治学」は当然あったわけだが― 惜しみなくぶつけたと信じる。

会議の現場では、いちいち3人で相談している暇はない。議場からの絶えることのない各委員の発言に対し、3人は応用動作を強いられた。今考えると、これこそが“暗黙知”の作用であった。それはまたメディアへの対応―特に毎回の記者会見―にも発揮された。

今回のプロジェクトの中で、いずれ私が主体的に関わった復興構想会議に関しては、五百旗頭、飯尾両氏にも参加していただいて、座談形式のオーラル・ヒストリーを行ってもよいのではないかと考えている。災後まもなく2年。好機到来ではないか。3人の対応過程をつぶさに見ていた官僚の幾人かにも側面援助してもらえると、なおプロセスが立体化されるであろう。

3つの震災復興過程の比較研究は、思わぬ成果を生み出す予感がする。だからこそ、全力で疾走したいとの覚悟を示しておこう。