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HATコラム

非自動車依存型災害対策は急務

中川 大(人と防災未来センター上級研究員)

人と防災未来センター上級研究員 中川 大

1956年生まれ
京都大学大学院工学研究科交通土木工学専攻修士課程修了。
工学博士
京都大学大学院工学研究科教授
京都大学大学院工学研究科低炭素都市圏政策ユニット政策支援センター長
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター上級研究員

“Car-addicted society” という言葉がある。「自動車中毒の社会」と訳すことができるだろう。個人の生活活動を含む社会活動の多くの部分を自動車に依存してしまっていて、エネルギー消費が大きく、健康にも環境にもよくない、持続可能性に乏しい社会を指している。都市計画や交通計画の視点からこの問題に気付いた都市では、自動車依存型の都市構造から脱却してコンパクトで持続可能な都市を築いていこうという考え方が広がっている。

さて、防災対策の各分野、とりわけ災害発生直後の緊急対策に目を向けてみると、相当深刻な自動車依存症に陥っていることに気付く。消防車も、救急車も、パトカーも、すべて自動車である。物資を輸送する手段も、ライフライン復旧機器の移動も、医師団を輸送する方法も、どれも自動車を前提に考えられている。

消防車や救急車が自動車であること自体にはもちろん問題はない。しかしながら思い出していただきたい。阪神・淡路大震災では消防車も救急車も行く手を阻まれて動けなかったではないか。道路の亀裂や陥没、それに大渋滞、自動車の行く手を阻むものは災害時にはいくらでもある。

東日本大震災は、被災範囲が広大であるため、どこでどのような交通現象が発生していたかという詳細は明らかではないが、各地で局所的な渋滞が数多く発生していたことは事後の記録から知ることができる。また、広い範囲でガソリン不足が発生し、それだけですべての緊急活動がまひする可能性があるという自動車依存型災害対策の大きな脆弱性も露呈された。阪神・淡路大震災の経験によって、「大災害時には自動車は自在に使えない」ということが広く認識されていたにもかかわらず、自動車依存症は変わっていなかったと言わざるを得ない。

さて、それでは何を目指さなければいけないのか。救援物資を担いで走れと言っても効果的ではない。少し違う視点から見ることが必要である。サプライサイドからではなくディマンドサイドからの対応である。自動車依存症は、救援を待つことになる側にも発生している。火災が発生すれば、消防車が来てくれる。水や食料がなくなれば、物資を運んできてくれる。多くの人がそう思っているのが現状であり、取り組んでいかなければいけないのはその部分である。

大災害時には自動車は自在には動くことはできず、消防車も救急車も物資運搬車両も来てくれる可能性はほとんどない。まずは、このことを防災知識の常識として定着させる必要がある。災害の規模にもよるが、大災害の場合は少なくとも48時間程度はこのような状況を覚悟しておくことが必要であろう。

これらを踏まえると、事前に実施しておくべき対策はおのずと明らかになる。消防車が来ないことを想定して地域内の防火能力を高めること、物資運搬車両が来ないことを想定して地域内備蓄を行うことなど、非自動車依存型の災害対策である。また、地域内の個人開業医を中心とした地域内医療能力や、近隣商店街を中心とした地域内物資供給能力など、日常の生活の中で、徒歩圏で自立できる生活システムを構築していくことである。

多くの都市では、自動車の利用で便利になるにつれて商業や医療の郊外化が進んでいる。日常社会が“Car-addictedsociety”となっていることが、地域の災害対応力の低下も招いているということが分かる。

大渋滞の原因は、被災して低下した道路容量に対して、過大な交通量が発生するからである。自動車による救援を必要とせずに自力で頑張ってくれる地域が多ければ多いほど、救援に必要な自動車交通量が減り、その結果、消防車や救急車はそれを最も必要とするところに迅速に向かうことができる。自動車が不必要であるのではなく、必要な自動車を最大限に活用するために非自動車依存型災害対策を進めてくことが不可欠である。

最後にあらためて繰り返すが、大災害の時に自動車が自在に動けないことは最初から分かっていることであり、明らかに想定内の事象である。防災関係のどの分野の人たちも、このことに対する考え方が甘すぎるのではないかと感じられる。「渋滞によって緊急対応策が妨げられた」は言い訳にならない。このことを基本として、現在の緊急対応策を再点検する必要がある。