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HATコラム

もう一つの震災

清野 純史(人と防災未来センター上級研究員)

人と防災未来センター上級研究員 清野 純史

1957年生まれ
京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。
工学博士
京都大学大学院地球環境学堂教授
京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター上級研究員

世の中には、一方の事件がとてつもなく大きかったために、同時期に起こった他の事件がその陰に隠れてしまうということが往々にしてある。それが単体で起こったら大変な事件であったはずなのに。2011年東北地方太平洋沖地震の際の福島県須賀川市の藤沼ダムの決壊はそんな事例の一つではないかと思う。

2011年3月下旬の調査から2012年12月上旬にかけて、私は学生と共に計4回現地を訪れた。土質試験のためのサンプラーや藤沼ダムの振動性状把握のための微動計を持ち込んで、試料を採取し計測を行った。ここでは、主に現場での調査と、室内試験の結果を用いた数値解析から得られた資料を基に当日の様子を顧みる。

2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の大地震が東日本を襲った。3分以上も続く大きな揺れの中で、さまざまな構造物に被害が生じ、道路・鉄道を含むライフラインは至る所で遮断され、沿岸地域や河川流域、海岸や湖沼の埋め立て地盤を中心に大規模な液状化が発生。揺れによる恐怖が冷めやらぬまま、時を待たずして大津波が東日本沿岸一帯を襲い約2万人の命を飲み込んだ。その後、日本は福島第1原発事故という未曽有の大災害へと容赦なく引きずり込まれていく。
こうした一連の災害連鎖の中で、福島県岩瀬郡長沼町大字長沼字追木沢にあった農業用水(灌かん漑がい)用のアースダムにも異変が起こっていた。1949年に竣工した灌漑用のダム湖はほぼ満水で、約150万立方メートル(長さ500m×幅300m×深さ10mの大プールを想定した時の水量)の貯水量である。近傍の須賀川市のK-net観測点(FKS017)では震度6強(ただしFKSH08(長沼)は震度6弱)を記録した。
さらに、地震の揺れも堤体の数Hzという固有振動数を含む短周期成分が卓越している。そんな長い揺れが続く中、堤高18.5m、堤長133m、堤頂幅6m、勾配1:1.5~1:2.8のアースダム(土を盛ったダム)の堤体が崩壊し始めた。なぜか。アースダムの性質上、堤体の、特に中・下部の粘性土における液状化による破壊は考えにくい。粒度分析の結果からも、中・下部は上部に比べ細粒分が多いことが分かっている。堤体斜面に円弧状のすべりが発生し始めたのだ。そのすべりは、まず旧藤沼湖沼から下流に流れ出ていた小川の跡の部分、すなわち基盤面の深い中央右岸寄りで、浸潤面の高い湖水側(上流ため池側)から生じ、この堤体斜面のコンクリート防護枠やブロック張もろとも湖底に押し流していく。同時に堤体下流側の斜面にもすべりが生じ始めた。
さらに、強く長い震動の影響で堤体が変形し始め、堤頂がメートルオーダーで沈下していく。ダム湖の水は一気に越流を始めた。堤体の破壊は中央右岸側を中心に波及的に全域に広がっていく。越流した大量の湖水は下流の土石や樹木を激しく巻き込み、土石流となって沢を直線的に駆け下りる。奔流は江花川の支流である簀すの子川に真横から激しくぶつかり、直角に曲がりながら川沿いの滝地区の一部を洗い流して橋を越え、下流の長沼地区を襲うことになる。

この藤沼ダム決壊による被害は、死者行方不明者8人、全壊・流出家屋19戸、床上床下浸水家屋55戸(河北新報社2011年5月18日)であった。

ダム湖の畔には藤沼神社という神社がある。御祭神は富士山信仰の総本社の浅間神社(静岡県)と同じ木この花はな咲さく耶や姫ひめである。その社殿前には樹齢600年以上といわれる3本の大杉の御神木が泰然とただずんでいる。再現期間が数百年から千年といわれるM9クラスの巨大地震の猛威とその爪痕を目の当たりにして何を思うのであろうか。