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HATコラム

高齢者、障害者と東日本大震災

立木 茂雄(研究調査本部上級研究員)

研究調査本部上級研究員 立木 茂雄

1955年生まれ
関西学院大学社会学研究科修士課程修了後、
トロント大学大学院博士課程修了
同志社大学社会学部教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究調査本部 上級研究員

わが国における災害時要援護者対策は、2004年7月の新潟・福島豪雨水害、同年10月の新潟県中越地震や台風23号水害などを受けて検討が本格化した。翌2005年3月に災害時要援護者避難支援ガイドラインの初版が公開されるや、ほぼ5、6年のうちに1,600を超える基礎自治体のほとんどで全体計画が策定され、約半数では名簿が整備され、2割を超える自治体では個別避難支援計画が策定されるまでに至っている(総務省消防庁の調べ)。このような準備が進められてきたなかで東日本大震災は発生した。そして震災発生から2年を越えた現時点では、各種の統計資料の検討から、東日本大震災時における災害時要援護者避難の実態と課題が明らかになってきた。

死亡者を年齢別に見ると、人口構成割合と比較して、死者の年齢別構成割合は60代を超えると急に高くなり、70代では人口構成割合よりも約2倍から3倍、80代では約2.5倍から3.5倍の高齢者が亡くなっていた。さらに、人口構成割合の上では、高齢の男性の方が女性よりも多く亡くなっていた。また東北3県でも、この割合に違いがあった。すなわち高齢者の被害の割合は、男女とも宮城で最も高く、続いて福島、そして岩手の順となっていた。

高齢犠牲者の割合が宮城で高かった理由の一つに、高齢者向け入所施設における被害の差がある。岩手県と福島県の施設入所者の被害率はそれぞれ2.1%と0.4%であったのに対して、宮城県では5.2%と非常に高かった。宮城では、施設が海辺の景観の良い場所に建てられていたこと、これに対して岩手では高台に、福島では内陸部に施設が多く建てられていたことにより、被害に差が出ていた。その一方で、施設入所者は職員により24時間体制で見守られている。立地さえ安全であれば、入所施設の方が緊急時の対応では支援がすぐに受けられやすい。このような観点から、老人向け施設入所者の割合を3県で比較すると、岩手2.6%、宮城2.0%、福島2.5%となり、東北3県の人口の過半を占める宮城ではむしろ入所率が低いことが分かる。言い換えると、在宅高齢者の割合がより高かったことが、宮城県での高齢者の津波被害がより高くなったことの、もう一つの理由であることを示唆している。さらに、このように考えると高齢者死亡率の男女差についても、男性は高齢でも在宅で妻や家族と暮らす傾向が強いのに対し、男性よりも平均寿命が長い女性は、夫を看取った後に施設入所する傾向が強くなり、結果として施設職員により緊急時の対応が取られた、といった理由で人口構成比上の女性の死亡割合の低さも説明できる、と考えている。

障害者も同様に県別で較差があった。岩手県と福島県では、障害者の死亡率は全体死亡率の1.2倍弱であったのに対して、宮城県では2倍弱と開きがあった。そして、この理由についても施設入所率が関係していた。身体障害者について福祉施設入所者の割合を比較すると、岩手3.1%、宮城0.7%、福島1.3%であり、東北3県で障害者人口の過半数を占める宮城県では、身体障害者についても施設入所率が低い(すなわち地域で在宅の生活を送る人の割合が高い)。しかしながら、逆にその結果として、在宅で津波被害に遭う可能性が高かったことが示唆される。

東北3県における障害者死亡率の較差は、在宅で生活する障害者は施設入所者と比べると見守りが手薄となり、いざという時の支援と結びつきにくいという事情によって、在宅障害者の割合も、実数も最も多い宮城県で被害が拡大していたのである。つまり、在宅福祉や在宅医療への取り組みが進んでいた結果として、高齢者や障害者がより多く亡くなったのである。

以上の結果を基にして、「高齢者や障害者は安全な立地の施設に入所させるべきだ」といった考えに筆者はくみしない。むしろ、いざという時のためには、隔離された施設のコンクリートで高齢者や障害者を守るのではなく、地域における人と人とのつながりを通じて包摂することにより命や生活を支える取り組みを、在宅福祉・地域福祉の一般施策としてもっと積極的に進めなければならないと考える。震災に先立つ2005年5月より、このような取り組みを進めてきた宮城県石巻市八幡町では、地域の要援護者リストに載った17人のほぼ半数が、このような地域の防災ネットワークによって救われていた。八幡町の実績は、現在、わが国の各地で進められている地域住民主体の個別避難支援計画づくりが決して間違ったものではないことを示す好例となっている。