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HATコラム

乳幼児とトラウマ

亀岡 智美
兵庫県こころのケアセンター


和歌山県立医科大学卒業
日本児童青年精神医学会認定医
兵庫県こころのケアセンター副センター長兼研究部長

以前は、「乳幼児はショッキングな出来事を体験したり目撃したりしても、起こった出来事を理解できないからそれほど影響はない」という誤解が、専門家の間にさえ広がっていた。しかし、最近ではこのような見解が誤りであることは共通認識となっている。乳幼児は、何が起きたのか理解できなくても、自分の安全や養育者の安全が脅かされるような出来事に遭遇すると、感覚的にそれを体験する。予測できない恐ろしい出来事に関連した視覚刺激や大声、暴力的な動き、その場の緊張感や恐怖をありのまま体験することによって、子どもの安全感は脅かされる。

このような恐怖を体験した乳幼児には、食や睡眠の問題、身体の不調、体重増加不良、すでに獲得した発達スキルの後退(自立排泄できていたのに再びオムツが必要な状態になる、一人で着替えができていたのにできなくなる、発語が認められた子がしゃべらなくなるなど)、退行(赤ちゃん返り)などのさまざまな心身の反応が現れる。年長の子どもや大人と同様に、怖い場面の映像がフラッシュバックしたり、悪夢となって再現されたりする場合もある。しかし、年少の子どもは、トラウマ(心的外傷)体験とそれによって生じる反応との関係を理解できないために、現実でまた怖いことが起きていると信じてしまうこともある。さらに、年少の子どもは、自ら危険を予測することが難しく、自分の安全を守る方法も知らないので、トラウマに対しては特に脆弱であると考えられている。

一方、これらのトラウマ体験は、急速に発達する乳幼児の脳にとって大きなリスクとなりうることが判明した。最近の脳科学研究では、激しい体罰やその他の虐待によって脳のさまざまな部位に萎縮や変化が認められることが明らかになっている。これらの脳の変化は、子どもの記憶力、注意集中力、知覚、認知や言語機能、意識などに影響し、長期的には子どもの知的能力や感情調整能力の発達を阻害する可能性がある。すなわち、トラウマを有する乳幼児への適切な理解とケアは、その後の彼らの人生全般を大きく左右するほど重要なものなのである。

乳幼児は、身体的にも情緒的にも養育者に依存した存在であるだけに、乳幼児のトラウマケアを考える上で、養育者支援の視点は必要不可欠なものである。もし養育者が、子どもの安全性を高め、危険から子どもを守る保護膜としての機能を果たすことができれば、トラウマ体験が子どもに及ぼす影響は、最小限に抑えられる可能性が高い。一方、もし養育者も子どもと共にトラウマ体験した場合、あるいは、その他のストレスによって子どものケアが十分にできない状態である場合、子どもはまともに大きな打撃を受けてしまうことになるからである。

現在の社会において、発達段階の最初期にある乳幼児も、日常的にさまざまなトラウマ体験に曝されるリスクを有している。例えば、乳幼児の子ども虐待被害は、わが国においても深刻な社会問題となっている。全国の児童相談所における児童虐待の相談対応件数はすでに年間8万件を突破しており、その約40%が就学前の乳幼児ケースである。また、虐待により死亡した事例(親子心中以外)のうち、76.5%は6歳以下の乳幼児である。さらに、2011年の東日本大震災では、200人を超える乳幼児が遺児や孤児となった。交通事故や溺水、転倒・転落などの不慮の事故に遭遇したり、暴行・傷害や強制わいせつなどの犯罪の被害を受けたりする乳幼児もいる。身体外傷を一度も体験せずに成人になる人がほとんどいないのと同様に、ほとんどの子どもが成人するまでにトラウマとなるような出来事を体験することが報告されている。それだけに、子どものこころの免疫力(レジリエンス)を高め、健全な育ちを支えるためにも、子ども本人だけではなく、養育者や養育者を支える近親者、コミュニティーまでをも含めた支援システムが有効に働く社会の構築が望まれる。