• 研究戦略センター
  • 人と防災未来センター
  • こころのケアセンター

HATコラム

最悪でも最善 窮地でも次善

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター上級研究員 矢守 克也

矢守 克也
阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター上級研究員


1963年生まれ
大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学
京都大学防災研究所教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター上級研究員

東日本大震災を引き起こした地震・津波の発生から5年が経過した。先日、あるテレビ番組への出演を通して、福島県浪江町が直面した「あの日」について深く知る機会があった。

「あの日」とは、2011年3月12日。東京電力福島第一原発の事故に伴う住民避難に際し、よかれと思って避難した町内の山間部(原発から20km圏外)は、結果として、放射性物質の濃度の高いエリアだった。地震・津波による被害対応に加えて、思いもよらない原発事故の発生。国や県から知らされるはずだった情報や指示が入らない中で生じた悲劇だった。避難を主導した町役場職員の中には、今も、自分たちの判断は正しかったのだろうかと自問自答を繰り返している方もいらっしゃった。規模の小さな自治体では、役場職員と地域住民の距離も近い。自分の判断が多くの知人、そして家族や親族に大きな影響を及ぼしてしまったとの思いもいっそう強くなる。

そんな経験と苦い思いを踏まえて浪江町が策定しようとしている新たな避難計画と訓練が、非常に印象的であった。「このバスに乗って避難しろと言うけど、責任取れるんだな」。このように大声で住民から詰め寄られた場面を想定して、そのときの対応を考える訓練が含まれていた。「あの日」、実際に起きたことだそうだ。今、各地で、国が示したガイドラインをベースにして原発事故を想定した避難計画が策定されつつある。しかし、こうした生々しい要素にまで立ち入っているケースは決して多くはない。

この訓練のファシリテーターが「正解はない」と話しているのを聞いて、手前みそではあるが、阪神・淡路大震災を体験した自治体職員を対象にしたインタビュー調査を基に筆者が作成した「防災ゲーム クロスロード」と共通する点が多いと感じた。「まさか神戸で地震が…」「想定外の大津波」と手痛い体験を重ねて少しずつ風向きは変わってきたようにも感じるが、防災業界は今もマニュアル文化が根強い。あらかじめ設定しておいた正解(その集積としてのマニュアル)通りに対応するのが王道という考えだ。しかし、阪神・淡路大震災の最大の教訓は、「そのとき、その場で、みなで正解をつくる」ことの大切さだったはずで、それが東日本大震災でも立証されたわけだ。

さて、避難計画に限らず、一般に防災計画は、「最悪でも最善」という方針で策定されている。最悪の事態が起こっても、人的被害は一切出さないという原理原則である。これは誠に結構な目標である。しかし、そこには「形式的理想性」という落とし穴が待ち構えている。最悪の災害が起きているのに、事前に準備した対策の方はなぜか当たりに当たり、全て順調に機能して万事がうまく回っていく…。

確かにそれが理想だが、そんなタイプの計画や訓練だけに頼っていては、何か一つでも歯車が狂ったとき、その窮地から事態を回復させる力は養われないだろう。事実、「あの日」、浪江町は、避難にとって最も肝心な情報が入らないという窮地での対応を求められたのだ。現実の危機事態では、百点満点を取ることを前提にした準備よりも、満点どころか50点も危ないぞという「窮地でも次善」の手を着実に打って、そこから60点、70点へと合格ラインまで状況を引き上げていく反発力が重要となる。そのことを痛感した浪江町の新たな計画は、「形式的理想性」よりも、むしろ「現実的実効性」を重視したものになっているわけだ。

私たちは、いま一度、「あの日」に立ち返る必要がある。