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HATコラム

精神科の診断をめぐって

理事兼兵庫県こころのケアセンター長 加藤 寛

加藤 寛
理事兼兵庫県こころのケアセンター長


1958年生まれ
神戸大学医学部卒業 医学博士
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構理事兼
兵庫県こころのケアセンター長

精神科の診断というと、どのようなイメージを持たれるだろうか。身体の病気を診ている内科や外科では、血液検査や画像診断などを駆使して診断をするので、最近の若い医者は患者と話をせず、診察室のコンピューターディスプレイばかり見ていると言われることがある。さすがに精神科医は患者と対話しなければ症状を把握できないが、逆に検査などの他覚的な情報によらず、主観だけで診断しているのではないか、精神科医をだますなんて簡単なことだと、馬鹿にされることもある。精神医学もMRIを取っている最中に、ある刺激を与えて脳がどのような働きをするのかを見るfMRIという検査、光トポグラフィーという脳表面の血流変化を光を外から当てることで見ようとする検査、はては遺伝子解析などを駆使して、何とか客観的な指標を得ようと努力しているが、まだまだ発展途上である。

若いころ、患者が診察室に入ってきた雰囲気で診断がつくのだよ、と自慢げに話す先輩医師の言葉に、ほんまかいなと苦笑したことがある。たくさんの患者を診ていると、その人の雰囲気や態度、話し方などで、ある程度は診断がつくようになるというのは、あながち間違っていないなと今は思うが、それでもこんなことを他の診療科の医者に言ったら馬鹿にされるのは請け合いである。

人間は百人百様、問題になる精神状態も同じ病名でも患者によって微妙に違うのだが、それを帰納的にまとめ、診断基準を作る作業が古くから行われてきた。日本は20世紀初頭からドイツの精神医学を学び、その分類方法を使ってきた。1970年代まではそれが趨すう勢せいで、私の一つ前の世代の精神科医たちはドイツ語でカルテを書いていた。しかし、1980年代になると操作的診断という方法がアメリカで提唱された。これは、○○病と診断するためには、このカテゴリーの症状がいくつ、別のカテゴリーの症状がいくつ必要で、症状の持続期間がどのくらいあり、その人の社会的機能が大きく損なわれていることが必要とする基準が普及したのである。たとえば、うつ病と診断するためには、気分の落ち込み、活動性の低下、食思減退による体重減少、不眠、疲れやすさ、などの9項目中5項目以上が2週間以上続き、社会的機能の低下に明らかに影響していることが、必要になる。

症状が生起してきた意味や背景、微妙な違いを考慮せず、症状の数によって診断するのは、精神医学の衰退だと嘆く先人も多かったが、操作的診断は徐々に普及し、アメリカ精医学会が出したDSMだけでなく、WHO(世界保健機関)が出している同様の診断基準ICDも今では標準的に用いられるようになった。ICDは1990年に改訂されたICD-10が使用されている。これは、精神疾患だけでなく、すべての疾病を分類するもので、死因や有病率の統計などのために制定されたものである。厚生労働省はこちらをオフィシャルな疾患分類と位置付けており、年金診断書などの行政文書にはICDの疾患コードを必ず記載しなければならないし、裁判などでもICDの基準に則った診断書の提出が求められる。

これらの診断基準は、10年から20年間の膨大な研究成果を検討して、改訂されてきた。アメリカ精神医学会が出しているDSMは1994年に出された第4版から、2013年に第5版に改訂され、WHOが出しているICDも第11版への改訂が久しぶりに行われようとしている。両者の翻訳は訳語の検討に、膨大な時間と作業が求められた。その過程で、ある言葉をめぐって激論が展開された。それは“disorder”をどう訳出するかということである。これまでは直訳で「障害」という訳語を使っていたが、この言葉が差別的であるという主張から、DSMでは可能な限り使わないよう検討され、現在、翻訳作業の最終段階にあるICDでは使用しないという方針が徹底され、ほとんどの診断名は○○病、もしくは■■症と称されることになっている。たとえば、PTSDは英語ではposttraumatic stress disorderで、これまでは「心的外傷後ストレス障害」と翻訳され、それが広く使われてきたが、ICD-11では「トラウマ後ストレス症」に変更される予定である。しかし、ストレス状況に適応できず、うつ症状や不安を抱えた場合につけられる“adjustment disorder”を「適応症」と訳すと逆の意味になるし、「不適応症」だとかえって嘲笑的な意味になってしまうなど、すべてに適用するのは無理があると筆者は感じている。

「障害」の特に「害」という字の持つネガティブなイメージを嫌い、「害」の代わりに「碍」という古い字を用いたり、あえて「障がい」とひらがな表記したりする場合も増えている。しかし、行政用語や法律用語にも広く用いられている「障害」という言葉をすべて変えることが可能なのか、変えるためのコストはどのくらいかかるのか、変えることがそもそも差別をなくすためにどのくらいの意味があるのか、など議論が必要だろう。差別をなくすには地道な教育と長い時間が必要なことは、自明である。精神医学はその先駆者となるのか、あるいは混乱を招くだけの空砲になるのか、今後の社会の反応を注視する必要がある。