• 研究戦略センター
  • 人と防災未来センター
  • こころのケアセンター

HATコラム

私たちのまちには美術館がありません、美しい砂浜が美術館です。

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター上級研究員 矢守 克也

矢守 克也
大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学
京都大学防災研究所教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター上級研究員

これは、南海トラフ地震で、全国最悪の34メートルもの高さの津波が想定されたことでも知られる高知県黒潮町が、30年近く前、「砂浜美術館」という独創的なプロジェクトを始めたときに、牽引役となった松本敏郎さん(黒潮町役場)が掲げたフレーズである。この小文では、このフレーズが、「限界集落」「地方消滅」といった言葉で形容されるきびしい状況下にある地域社会の活性化を支える根幹的なロジックになりうること、また、国内外から注目される黒潮町の防災対策(町づくり)の根っこに、この魅力的なフレーズ(「Xがない、YがXです」)があることを紹介したい。

さて、新潟県川口町木沢集落(現長岡市)は、新潟県中越地震(平成16年(2004年))の被災地の一つである。過疎高齢化が進むこの集落で、長年支援活動を続ける宮本匠さん(兵庫県立大学)が、こうした地域の災害復興における課題を印象的な言葉で表現している。それが「Xがない」である。被災者が、「水源が切れて水がない」「道路がない」「若者がいない」などと訴えて、復興に向けた前向きな雰囲気が出づらかったというのである。

ここで重要なことは、「それなら、水を引きましょう、道路を建設しましょう」と、Xを外部から支援する活動が、逆に地域の依存心を生んで、復興へ向けた被災者の内発的な意気込みや主体的なとりくみの芽を摘んでいる可能性があるとの指摘である。Xの欠落・不足という課題に、Xの提供・支援という対策で応じるのは、一見自然でそこには何の問題もないように思える。しかし、そうではないのだ。

そこで俄然注目されるのが、黒潮町のフレーズである。その舞台となっている砂浜美術館とは、文字通り、砂浜という美術館である。平成元年(1989年)のキックオフ以来、毎年開催されている看板イベント「Tシャツアート展」では、砂浜いっぱいに1,000枚のTシャツが潮風に揺れる。BGMは波の音、月の明かりが照明である。

松本さんは当時をこう振り返っている。「地元の高校を卒業して、この地域に就職した私たちは、いつも都会を追いかけ、あこがれてきた。しかし、いくら一生懸命追いかけても、都会はそれ以上に速いスピードで先を走り、決して追いつくことはできなかった」。都会にはあるがここにはないXを追いかけてもキリがない。むしろ、それは虚しい努力に終わるのではないか。こういう直観が松本さんにはあったのだろう。

たしかに、砂浜美術館のフレーズも、前半部分は「Xがない」の形をとっている。しかし、後半部分に「YがXです」という形で、そこからの脱出路が明示されているのだ。立派な美術館を外部からの支援を頼りに新たに建設するのではなく、目の前に広がる砂浜を美術館にしてしまおう。今ここにあるのに、そのパワーを活かしきれていないもの、その価値に気付いていないこと、そういったYを、Xを追い求める代わりに見つめ直そうという姿勢だ。

こうした転換がひとたび生じると、それが周囲に波及することも大切である。松本さんはこうも語っている。「砂浜が美術館になることによって、松原、海亀、らっきょう、漂着物、砂、波といった『今まで何気なく見てきた物』が『作品』になってしまうことに気が付いたのです」。実際、たとえば、漂着物の展覧会や砂像制作イベントは、今では砂浜美術館の定番メニューであるが、黒潮に乗って流れつく漂着物は単なるゴミの山、砂像は掃いて捨てるほどある砂の山だったはずだ。

そういえば、黒潮町の海岸沿いに防潮堤はそれほど多くない。新設、増強しようとする動きもほとんどない。東日本大震災以後、役場の防災課のトップに転じていた松本さんが、代わってしたことは、全職員に本来業務とは別に町内各地域の防災担当を割り当てる、「地域担当制」を敷くことだった。そして、平成24年(2012年)以後わずか4年半の間に、職員のリードのもと、1,056回もの住民防災ワークショップが開催され、津波浸水域内の全世帯について「戸別津波避難カルテ」が完成した。この間の経緯は、まさに、あのフレーズを地で行くもの、つまり、「私たちの町には防潮堤はありません、地域担当制(戸別津波避難カルテ)が防潮堤です」になっている。

今あるものを活かすことは、もちろん大切だ。しかし他方で、何かが足りないと感じるとき、何がないと不満に思うとき、実はそうしたときこそ、見逃してきたYを再発見し、新しいYを創造するチャンスなのかもしれない。「Xがない、YがXです」は、いろいろな場面で有効な思考法だと思う。