• 研究戦略センター
  • 人と防災未来センター
  • こころのケアセンター

HATコラム

東日本大震災の復興技術を使いこなす

研究戦略センター政策コーディネーター 牧 紀男

牧 紀男
1968年生まれ
京都大学大学院工学研究科環境地球工学専攻博士課程指導認定退学 博士(工学)
京都大学大学院助手、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、防災科学技術研究所地震防災フロンティア研究センター研究員等を経て、京都大学防災研究所都市防災計画分野教授(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究戦略センター 政策コーディネーター

年度から当機構のプロジェクトとして「南海トラフ地震に対する復興のグランドデザインと事前復興計画のあり方」という研究を行っている。この研究は南海トラフ地震を見据えて「事前復興」を考えるものであり、南海トラフ地震による被害が想定される地域で、被害を受ける前に復興について検討を行っている。「事前復興」は、東日本大震災後に注目されるようになったが、阪神・淡路大震災以前から存在する概念であり、東京・静岡といった防災先進地域では阪神・淡路大震災以降、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえて取り組まれてきた。

復興計画というと専門家が新しい都市・地域像を示し、被災した地域は災害後、全く新しい姿に生まれ変わるというイメージを持つ人が少なからず存在する。ロンドン大火(1666年)の復興では建築家クリストファー・レンによるバロック風の、サンフランシスコ地震(1906年)ではワシントンD.C.やマニラの都市デザインを行った都市美運動で有名な建築家ダニエル・バンナムによる美しい復興都市計画案が提示された。しかし、美しく・斬新な都市計画が完全に実現されることはなかった。関東大震災時(1923年)の後藤新平による東京の大改造計画も完全には実現されなかった。

震災復興の中で提案された新しい提案や試みは、その後の地域や都市の計画に影響を与え、その後の都市計画の中で実現されていく。災害復興という、さまざまな事項を迅速に決定していく必要がある状況の中で、新しい試みを採用することは難しく、新たな試みはしばしばコンフリクトを引き起こす。そのため、これまでのやり方、災害前から提案されていた方法で災害復興は行われる。

東日本大震災の復興では、津波シミュレーション結果に基づき復興後のまちの土地利用が決定された。防潮堤の高さを変えるとシミュレーション結果(浸水深・浸水エリア)が変わる等々、シミュレーションをどう使いこなすのか、その結果をどう理解するのかが課題となった。復興についての基本的な考え方を大転換するのは難しく、南海トラフ地震からの復興においても東日本大震災で使われた、しばしば発生する津波(L1)については防潮堤で守り、まれに発生する東日本大震災のような津波(L2)についてはある程度の被害は許容するが命を守るため住宅は浸水深2㍍以下の場所に立地させる、という方針は踏襲されると考えられる。東日本大震災では、時間の制約もあり、基本的にシミュレーション結果が規定する土地利用のあり方にもとづき上記の方針を基に地域の復興が実施されたのであるが、南海トラフ地震については十分時間もあり、災害前から復興について考える「事前復興」を行うことで、シミュレーション結果に基づき決定される土地利用計画の是非について、十分に吟味することが可能である。

東日本大震災の教訓の一つとして、まちに対する思い(災害前こんなまちだったという記憶・思い)が人によって異なり、まちの再建の方向性が定まらなかった、というものがある。東日本大震災後、災害前のまちの姿を踏まえた復興を行うために、模型を使って災害前のまちの姿・記憶を記録する「失われた街」プロジェクトが行われたが、復興まちづくりにその成果を十分に反映することができなかった。災害前から「自分たちのまちはこんなまちだ」という思いを共有していれば、復興を迅速に行うことが可能になる。「失われた街」の試みを事前復興に適用し、まちのイメージを災害前に共有しておく「失われない街」プロジェクトを、南海トラフでの被災が想定される南あわじ市福良地区で行っている。地域の模型を使った1週間のワークショップを行い、1000枚以上のまちの記憶・思いが収集され、福良は「こんなまち」だというイメージを得ることができた。

事前復興では十分に時間をかけて復興について考えることが可能になる。新しい技術を使いこなすには時間が必要となる。東日本大震災の復興で利用された新しい技術をまず「使いこなし」、さらに東日本大震災の復興では実現できなかったことを明らかにする、というプロセスで南海トラフ地震の「事前復興」を考えていきたいと考えている。


南あわじ市福良地区での「失われない街」プロジェクト(撮影)