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HATコラム

災害時の噂にどう対抗するか

研究戦略センター研究統括 大西 裕

大西 裕
1965年生まれ
京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学
博士(法学、京都大学)
神戸大学大学院法学研究科長・教授
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 研究戦略センター研究統括

今年は、例年になく自然災害が多い年であったとお感じの方々は多いだろう。とりわけ、関西地方を襲った自然災害が多く、大阪北部地震、西日本豪雨に2度の台風襲来と被害を受けた方には心よりお見舞い申し上げる。私のもう一つの職場(神戸大学)も例外ではなく、キャンパス内での土砂崩れから始まり、高潮被害、校舎の雨漏り、そして相次ぐ休講措置による夏休み中の補講と、頭の痛い状況が続出した。災害発生中判断に迷ったのは、休講措置をとるかどうかである。大学では、電車などの公共交通機関の運休や、暴風警報の発令などがあった場合はほぼ自動的に休講となる。しかし、近年は、少々の雨が降ったぐらいでは電車が運休することはなく、間引き運転や徐行運転、あるいは大幅な遅延とのみアナウンスすることが多い。この場合休講にすべきなのか。他方、気象庁の予報の正確さが増したせいか、台風が接近しているという情報だけで、電車は翌日の運休予定を知らせるが、この場合はどうするのか。事務的な判断ができないケースが増えているのである。私は現在神戸大の法学部長・法学研究科長でもあるので、決断が迫られた。

このような場合の問題は、対応を早く知らせないと、学生たちの間に噂が流れてしまうことである。私が学生であった頃と違い、学生たちの間にはLINEなどのSNSが普及しており、噂が流れやすく、しかも短期間での対応が迫られ、検証する時間が十分与えられない状況下では、その噂はあっという間に拡散し、信じられてしまう。それは、学校側の対応が遅ければ遅いほど発生しやすく、そうなってしまえば、休講せずに授業をすると学生たちの不満を受けることになる。

災害発生時に噂が問題となるのは、何も大学の授業に限ったことではない。今年発生した自然災害においてつとに指摘されたことである。動物園から猛獣が逃げ出したとか、ある地域が全面断水になっているなどの噂が広がり、全国的に話題になったことは今でも記憶に新しいであろう。しかもこれらの噂は単なるうわさ話ではすまず、独り歩きすると人々の行動に影響し、様々な被害をもたらす。噂との戦いが、行政の重要な任務となる。今年に限っていえば、行政はウェブサイト上に正確な情報を流すことで噂に対抗し、ある程度の成果を上げた。ファクトチェックは有効な手段であるといえる。しかし、それは万能ではない。

噂と行政の対応の関係については、アメリカの行政学者シュナイダーが興味深い議論をしている(Saundra K. Schneider, 2011,Dealing with Disaster: Public Management in Crisis Situations, M. E. Sharp.)。彼女によると、災害時における噂話は、災害に対抗するための行政の努力を大きく棄損させうる。近年、アメリカにおいても行政機関は地方自治体レベルで防災対策を実施している。行政機関であるので、対策は官僚的で、分業と専門性の発揮、行政機関の予測可能性の高さから、一般市民では困難な専門的対応を可能にしており、被災者支援に大きく貢献するはずである。彼女はこうした官僚制の行動規範を「官僚規範(Bureaucratic Norms)」と呼ぶ。市民も、通常であれば行政の官僚規範を信じ、市民生活を予測可能性の高いものにしている。しかし、災害が発生すると、情報不足と他の市民の行動の変化から、市民は自らの行動原理を変える。極端に情報が不足する中で、人々は右往左往し、噂話にたどり着き、それをもとに世界観を強引に構築し、行動を決め込む。それが平時では考えられない「緊急事態規範(Emergent Norms)」を生み出し、市民の行動を支配する。空き巣、強盗、商店の打ちこわしや焼き討ちなど、常識的には考えられない行動を市民がとるようになるのはそのせいである。こうなると、市民の間では行政不信が高まり、支援に来た行政の指示に従おうとしなくなり、行政の被災地支援活動を阻害する。それは結果的に被災地の復興を遅らせることになる。

では、緊急事態規範はどういうときに発生しやすいのか。5点指摘される。第1に、災害の規模が大きいこと、第2に、行政による事前準備不足、第3に、情報伝達のスピードの遅さ、第4に、政府対応の不明確さ、第5に、地域社会の紐帯の弱さである。言い換えれば、この逆であれば、噂は単なるうわさにとどまり、緊急事態規範の発生につながらないといえるであろう。

噂は場合によっては災害発生時に致命的な問題を発生させる。行政の対応にも限界はあるが、ファクトチェック以上にやりうることはある。休講措置の場合も今年の経験を反省して大学は対応を改め、迅速な判断を可能にした。シュナイダーの言及は端緒に過ぎない。噂への対応は更に研究が必要となろう。