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HATコラム

1945年の神戸、そして1995年、2045年

阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター上級研究員 小林 郁雄

小林 郁雄
1944年生まれ
大阪市立大学工学研究科修士(都市計画専攻)修了
兵庫県立大学減災復興制作研究科 特任教授
まちづくり株式会社コー・プラン アドバイザー
(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構 阪神・淡路大震災記念
人と防災未来センター 上級研究員

神戸市立こうべまちづくり会館が主催して、辻信一さん(株式会社環境緑地設計研究所)を中心に「1945年の神戸~空から見た戦争と市街地」という調査研究を2016年から進めている。発端は、米国国立公文書館所蔵の太平洋戦争末期の米軍撮影空中写真について、日本地図センターからプリントを購入したことから始まった。

米軍機による神戸空襲は合計84回来襲しているが、1945年の2月4日、3月17日、5月11日、6月5日、8月6日の焼夷弾爆撃によって神戸市街地はほぼ焼失した。戦略爆撃機B-29の来襲前後に写真偵察機F-13によって攻撃目標、爆撃効果などが米軍に完全に把握されていたことがこの空中写真でよくわかる。また同時に、戦前の神戸市街地の状況と戦後の焼け野原からの戦災復興の原点を確認できる。このほか、神戸市文書館と神戸アーカイブ写真館の斜め空中写真や地上写真、兵庫県立図書館の神戸市疎開空地・焼失区域並戦災地図(1945)、大正期の神戸市都市計画道路図(1923-24)、戦災復興土地区画整理事業計画図などを参考に、①2017年8月11日「失われた神戸市街地、戦争と神戸/まちと暮らしの変遷」(辻信一+神木哲男、村上しほり)②2018年2月4日「空襲への備え・戦災と戦前戦後の都市計画・戦災復興区画整理」(辻信一+内田亘)③2019年2月3日「京都の建物疎開、史料写真から見る1945年、神戸の疎開空地」(辻信一+川口朋子、村上しほり)というシンポジウムと、毎年8月中旬にパネル展示をこうべまちづくり会館で行ってきた。

空襲前後の空中写真からいろんなことが見えてくる。もちろん戦災被災地がはっきりとわかることは当然だが、戦前の神戸の街は(日本の大都市全てだったのだろうが)、見事なまでに統一された木造密集住宅でぎっしりと埋まっていて、その大半が灰燼に帰した(残った戦前長屋密集地区が50年後の震災で焼失した)。高射砲陣地や造船所での建造中の軍艦、水上飛行機なども興味深い。さらに1945年の2月と6月を見比べると、被災地でないのにかなりの空地が急増していることに気づく。強制疎開空地である。その形状も面・線・点的なものがある。面的なものは重要施設(軍需工場など)周辺に、線的なものは密集地区(戦前の都市計画道路の形状など)に多く見られるが、市街地の街角に点的な空地と四角の大きなプール状の貯水池が多数造られているのが目を引く。これは何か?

今年2月3日のシンポジウムで、村上さんが山内三郎「簡易貯水槽について」(「道路」1944年10月)という防空総本部技師の論考を発見し、空襲に備えた人工消防水利施設としての貯水槽(神戸は敲土たたき式)であることが確定できた。

こうした「1945年の神戸」に今なぜ関心を持ったのかは、1995年の阪神・淡路大震災からの復興を24年経った今どのように考えるのか?どう語り継いでいくべきなのか?ということに大きく関わっている。終戦時10歳の子どもが今84歳である。当時の記憶や記録を生の声で確かめることに、もう残された時間はほとんどない。

シンポジウムで話していただいた川口さんと村上さんは共に若き女性研究者で、それぞれ「建物疎開と都市防空〜非戦災都市京都の戦中戦後」(川口朋子、2015、京都大学学術出版会)、「神戸闇市からの復興〜占領下にせめぎあう都市空間」(村上しほり、2018、慶應義塾大学出版会)という好著を書かれており、空襲や闇市の関係者に直接聞き取り調査をすることが、この研究の基礎と骨格と継続になっていることを異口同音に語っていた。

2045年がXデーである南海トラフ大地震/西日本大震災まで2 5 年。阪神・淡路大震災の生きた記録と記憶を語り継ぎ、震災事前対応へ活かすべく残された時間は、こちらも、もうあまりない。