本論文は、中国東北における寒冷地稲作の発展を長期的な視角に立ち、農業技術のあり方に主眼をおいて、国際的な枠組の中で歴史段階的に解明した。
中国東北における稲作は、1910年代以降、朝鮮人・日本人によってもたらされた日本の耐寒性品種の導入によって定着・拡大した。これら日本品種は耐肥性品種でもあった。耐肥性品種が戦前の中国東北に普及することとなり、これらが新中国期における東北稲作の基盤となった。
新中国期に入ってから東北稲作の発展は本格化した。稲作技術の課題に対応して、中国国内での稲作技術の革新と朝鮮民主主義人民共和国や日本からの稲作技術の導入・改良が繰り返され、それらの技術が国内の農業技術普及システムによって農村に普及された。とりわけ、1980年前後から中国に導入されたビニールハウス・箱育苗・機械田植からなるパッケージ技術やph値調整技術、水管理技術は重要だった。
今日の中国東北では標準化された稲作技術が形成・定着しており、稲作の土地生産性はもはや日本、韓国に劣らぬ水準に達している。このように標準化された稲作技術を背景に、ここ数年は大規模化経営を指向する新しい動向がみられる。