第19回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 上野 愛実氏

論文タイトル「トルコ共和国における宗教教育政策(1940年代-1970年代):宗教教育の再開から必修化まで」

上野 愛実

【略歴】

専門は、トルコ近現代史。
2010年に東京外国語大学外国語学部を卒業し、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に入学(2018年指導認定退学)。2018年から大阪市立大学大学院文学研究科都市文化研究センター研究員として現在に至る。2020年東京大学大学院総合文化研究科博士(学術)取得。同年より大阪市立大学文学部、甲南大学文学部において非常勤講師。

【要旨】

 
 トルコ共和国建国初期、ムスタファ・ケマル・アタテュルクは世俗性を旨としたトルコ国民意識の形成と社会の変革を目指し、それまでの宗教に依拠した社会制度を廃止していった。その一環として政府は、公教育における宗教教育をすべて廃止した。しかし、アタテュルクが没しておよそ10年後の1949年、小学校に選択希望制の宗教教育科目が設けられる。その後、イスラームの信仰の涵養を主眼とした宗教教育は中学、高校へと徐々に拡大していき、1982年には、小学校から高校まで宗教教育が必修化されるに至る。本論文では、トルコの公教育における宗教教育の再開から必修化までの経緯を検討し、19世紀中葉におけるトルコ共和国の宗教政策の特質と変容を明らかにした。
 アタテュルクの没後、残された政治家たちは、国是であるライクリキ、すなわち政教分離原則を否定することなく、アタテュルクの改革に対する社会の不満に応える必要に迫られた。こうしたなか彼らは、ライクリキの解釈を政教分離から、国家による良心の自由の保障へと変化させることで、政治による宗教への積極的な介入を可能とし、宗教教育の再開に踏み切ることになる。こうした解釈は1950年代以降の諸政権にも継承され、宗教規制の緩和を通じて国民の支持を獲得する手法とともに定着していくことになった。さらに1976年には、オスマン帝国末期のイスラーム改革思想を継承した内容が教育に反映されるようになり、世俗性を旨としたそれまでの国民性に代わって、ムスリムであることをその重要な構成要素とする国民像が教育政策に採用されていく。
 これまでのトルコ共和国史研究においては、アタテュルクの時代にトルコの政教関係の基礎が形成され、それが今日まで一貫して継続してきたと描かれる傾向にあった。本論文の考察からは、トルコ共和国の政教関係が、アタテュルク没後の模索のなかでつくられ、その後、1950年代から70年代にかけてそうした方向性が定着していったことが明らかとなった。
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