第19回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 櫻田 智恵氏

論文タイトル「「国王神話」の形成過程―タイ国王の行幸と「陛下の映画」の役割―」

写真 櫻田 智恵氏
櫻田 智恵

【略歴】

専門は、タイ地域研究、現代政治史。博士(地域研究)。2012年3月、上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科 博士前期課程修了。2012年9月から2014年8月まで、チュラーロンコーン大学文学部International Staff。2017年京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科 博士(5年一貫)課程 研究指導認定退学。2019年4月より、同研究科特任助教。主著に、『タイ国王を支えた人々:プーミポン国王の行幸と映画を巡る奮闘記』(風響社, 2018年)。

【要旨】

 
 東南アジア大陸部に位置するタイ王国では、プーミポン前国王の権威は絶大であった。彼の言葉は政治・経済・社会政策のあらゆる面に影響を及ぼし、民衆の生活の指針となってきた。巷には王族の写真、映像があふれ、前国王が崩御した今も、彼の若かりし頃の姿はSNSで盛んにシェアされている。人々はなぜ、いつから、これほどまでに王室に大きな関心を抱くようになったのか。
 タイの君主制については、不敬罪があることなどを理由にあまり進んでこなかった。特にプーミポン前国王については、民衆からの熱狂的親愛の情が着目されながら、なぜ民衆が国王を敬愛するのかという点は議論されてこなかった。そこで本論文では、前国王の治世最初期に実施された地方行幸とその奉迎、及びニュース映画である「陛下の映画」の急速な伝播に着目し、民衆が崇敬する「プーミポン国王神話」が形成される過程を描きだした。
 プーミポン前国王が他に類を見ない特別な国王であることは、「地方行幸」の回数の多さによって語られる。実際、行幸は最盛期には年間平均250日以上実施された、中心的公務であった。しかし、前国王が即位(戴冠)した1950年代は、特に地方の人々は国王の「顔」すら知らないという状況であった。
 このような状況を打破するため、1950年前半から、前国王は自身が制作・上映を統括する「陛下の映画」の地方巡業上映に注力し、学校や病院を中心に上映会が催された。1950年代後半に地方行幸が実施されるようになると、民衆が国王を熱烈に歓迎する「奉迎風景」が創出された。その様子は「陛下の映画」によって全国的・共時的に拡散し、次第に映画は国王の分身として「疑似奉迎」されるようになった。「陛下の映画」の上映は1970年代初頭に終了するが、その後国王自身による行幸回数が爆発的に増加したこと、行幸回数が減少する1980年代後半からは、「陛下の映画」のフィルムが再編集されて書籍やテレビで広く利用されたことなどが、タイの人々の中に国王への敬愛を醸成する大きな要因となったと論じた。
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