ピンヨ・スワンキリ氏の受賞のことば

写真 ピンヨ・スワンキリ

ピンヨ・スワンキリ(Pinyo Suwankiri)
  • 【略歴】

    1937年タイ南部のソンクラー県に生まれる。64年チュラロンコン大学建築学部卒業。72年には、米国フィラデルフィアのペンシルバニア大学で修士号(建築学)を取得。80年チュラロンコン大学建築学部助教授、98年同准教授を経て、同年退官。 幼少時より影絵芝居や建物、家具等の装飾文様を学び、教育省の絵画教師の免許も取得。これまで、数多くの建築物を手掛けており、タイ国内だけでなく、米国、インド、ネパール、ドイツなどの各国でもタイ寺院を設計。 長年の功績に対して、94年に国家芸術家(美術分野・建築)、97年タイ建築物保存・設計・伝承優秀建築家、99年社会開発分野(タイ建築)優秀国民及び文化勲章、2000年日経アジア賞など国内外の数多くの賞を受賞。

「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」の井植代表理事、淡路会議のメンバーと来賓の皆様、そして、会場の皆様、こんにちは。
まず、はじめに、今回受賞されました3人の皆様にお祝いを申し上げたいと存じます。次に、私を文化賞の受賞者として選んでいただきましたことに対し心から感謝申し上げます。

今回の受賞につきましては、私はもちろんのこと、私の家族や私の愛するタイの人々も大変光栄に、また、名誉なことと感じております。その理由を申し上げたいと思います。

まず第一に、日本とタイとの間の友好関係の歴史は大変長いものでございまして、現在も続いておりますし、今後も続いていくだろうと思います。

二番目は、とても周到で公正な選考によって受賞者が選出されたということでございます。

三番目は、文化賞の創設が、アジア太平洋地域の急速な科学技術の発展により、失われつつある芸術文化における人類の知恵、知的資源の保護につながるのではないか、ということでございます。

四番目は、このたび日本を訪れて、物質面での発展と同時に精神面での発展を同時になし遂げてきた日本人の勤勉性に触れることができたということでございます。

五番目は、「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」が、アジア太平洋地域の人々の精神的豊かさの表現である芸術と文化の存続と発展に寄与していかれるという断固たる意志を持っておられるということを確信できたことでございます。

六番目は、タイは昔から何百年にもわたり、建築、絵画、彫刻、舞台芸術、音楽などの分野において独自の文化をもっている国でございます。私もこの伝統文化を継承する努力を続けてきた一人で、今回の受賞を機に、今後も作品を発表し続けていく気持ちを新たにいたしました。

七番目は、私が設計したタイ式建造物は、タイの伝統芸術として仏教への信仰から仏陀への祈り、そして、国王へ捧げるものという精神を表現しております。これについては、タイ国内においても国外においても、世界の人々からその優雅な美しさを認めていただいております。

本日の授賞式の栄誉を一生忘れることなく、今後の芸術文化活動の活力としていきたいと存じます。
最後に皆様のお幸せとご健勝をお祈りいたします。有り難うございました。

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