見市建氏の受賞のことば

写真 見市建

見市 建(みいち けん)
  • 【略歴】

    1973年生まれ。96年関西学院大学法学部政治学科卒業後、神戸大学大学院国際協力研究科に入学。97年インドネシア政府の奨学金を得てスブラス・マレット大学に留学。99年神戸大学大学院国際協力研究科修士課程修了、2002年同研究科博士課程修了。2002年から京都大学東南アジア研究センター所員。
    研究分野は、現代インドネシアにおける政治とイスラーム(政治学、地域研究)。

まず、はじめに井植代表理事をはじめ、淡路会議の常任理事の方々、選考委員の先生方にお礼を申し上げます。
私自身は、今は京都で働いていますが、兵庫県で育ち、大学もずっと兵庫県にいたものですから、兵庫にゆかりの大きい賞をいただいたことを大変光栄に思っております。

実は、固い話を用意してきたのですが、前の3人との方がとても素晴らしいスピーチをされましたので、どうしようかなと考えているところです。

さて、私自身はインドネシアのイスラーム勢力についての博士論文を書きました。これは、イスラーム勢力の研究自体が足らないことから、その部分を埋めたいとの思いもあり、大体3つくらいのことを目的に書きました。

最初に、イスラームと現代社会、あるいは、インドネシアとの関係をみるということです。つまり、イスラーム勢力の分析を通して現代社会なり、インドネシアなり、東南アジアといった地域について考えてみるというのが目的の一つです。

二つ目は政治思想とか、あるいはイデオロギーとかいった頭のなかの問題、人が考えていることが、どのように行動に移されるのかという課題であります。もちろん、イスラームだけに限らず、いろんな思想があるわけですが。その一つの事例研究ということで、インドネシアのイスラームについて取り上げました。

三つ目は、井植代表理事が挨拶の中で、グローバル化について述べておられましたが、私自身はグローバル化という言葉を使いませんでしたが、情報とかヒトとかカネとかモノの国境を越えた自由な動きというものを見てみたい、という思いがありました。

イスラームは、中東を発祥としており、アラビア語を主要な言語としています。東南アジアの国々は殆どアラビア語が使えませんから、情報や人が何らかの形で翻訳されて、入ってくるわけです。私は、そういったものがどういうふうに伝わってくるのかということを研究してきました。

くしくも私が博士論文を書いていた途中に、ニューヨークでテロが、2週間ほど前にはインドネシアのバリ島でテロ事件がありました。これもイスラーム勢力がやったかどうかわかりませんが、私は多分そうだろうなと思っております。そういう際にすぐ、国際ネットワークだとかアルカイダとか、私も含めて皆さん方が当たり前のように話をするわけですけれども、実際、例えばネットワークとかイスラーム組織というものは、どういうふうにできていて、誰がそういうことをしているのか、ということについて殆どわかっていないわけです。例えば、軍隊のような組織があって、オサマ・ビンラディンとか指揮官みたいな人がいて、指揮系統により命令をして、下の人がきっちりと仕事をするというふうには、恐らくそういう形にはなっていなくて、非常にルーズなネットワークが、国境を越えて形成されているわけです。そうしたことをインドネシアを事例として研究したのが私の博士論文です。

今後の研究に関しましては、いま偉そうにネットワークはこんなものだと言いましたけれども、私自身もインドネシアの特定の人たちに多くのインタビューをして、大体彼らのことはわかったつもりにはなっているのですが、例えば、東南アジアとかインドネシアのイスラームなり政治組織というものが、実際どういう形で動いているのかということに関しては、まだまだわからないことがたくさんあります。

これからの研究はもっと人の動きとかモノの動きとか、あるいはお金の動きとかいうものを、誰が見てもわかるように、なるべく曖昧な形ではなく、大づかみに俯瞰できるような形で皆さんにお見せできるような研究をしていきたい、というふうに考えております。今日は、両親を呼んでおりますが、家族はもちろん、友人、特に私の研究はインドネシアの人たちへのインタビューというのが中心ですから、どこに行ってもいろんな方にお世話になっていてなかなかお返しすることができません。まだ、研究者として歩きはじめたところでこんな大きな賞をいただいて、身が引き締まる思いであります。唯一、お返しできるのは、第1回研究奨励賞の受賞者として、今後、しっかりとした業績をあげて、皆様にその成果を還元することだと思います。本日は、本当に有り難うございました。

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