中島岳志 氏 受賞論文要旨

「現代インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズム運動」

写真 中島岳志

中島 岳志(なかじま たけし)
  • 【経歴】

    1999年大阪外国語大学外国語学部卒業。1999年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程入学(5ヵ年一貫制博士課程)2004年3月博士号(地域研究)取得・修了。現在京都大学人文科学研究所研修員、日本学術振興会特別研究員。著書に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ、2002年)がある。

本論文は、近年インドにおいて急速な拡大を果たしたヒンドゥー・ナショナリズム運動について、その理念と活動の実際を明らかにすることを目指したものである。特に当該運動の中核的団体であるRSS(Rashtriya Swayamsevak Sangh:民族奉仕団)およびその関連団体である「サング・パリワール」(Sangh Pariwar:「家族集団」を意味するRSS系諸団体の総称)の末端活動について、長期の臨地調査に基づいた実態解明を行った。

第1章では、現代インドのヒンドゥー・ナショナリズムを捉えるための理論的枠組みについて検討している。ここでは、アプリオリな世俗化論を批判し、植民地期およびポスト植民地期インドの公共領域で、特に「インド・ネーション」のアイデンティティ形成との関連において、宗教が果たした重要な役割に注目する必要があることを論じた。そして従来のナショナリズム論においても世俗主義が前提とされていたことを批判し、ナショナリズムが宗教と結びつく論理的可能性と歴史的実態について論及した。

第2章、第3章では、それぞれヒンドゥー・ナショナリズム運動の歴史的背景と組織・理念について論じた。彼らの中心概念である「ヒンドゥットワ」は、「ダルマ」に基づく倫理規範やそれに基礎付けられた生活様式を含有する「ヒンドゥーの本質・原理」であり、言語、宗教、カースト、階級などの表層的差異を超え、インド人を根底から統合する概念であると措定される。この「ヒンドゥットゥワ」の概念に支えられ確立されるべきものが「ヒンドゥー・ネイション」であるとされている点を明示した。

第4章は、RSSの末端活動の中心であるシャーカー活動について論じたものである。シャーカーとはRSSのメンバーが行うトレーニングのことで、毎朝・毎夕、広場などで行われる。シャーカーでの教えや身体訓練の分析を通じて、これがRSSメンバーを規律化された国民的身体へと変容させるための装置であることを明示した。また、シャーカーにおけるリーダーの語りに注目し、そこでの内容が宗教的他者を差異化するという点で、公式イデオロギーとは異なることを論じた。さらにシャーカーのメンバーがリーダーに常に従順である訳ではないことを指摘した。

第5章では、サング・パリワールの一つであるセワー・バーラティー(Sewa Bharati)のスラム街におけるボランティア活動について論じた。スラム住民たちは、ヒンドゥー・ナショナリズム運動を生活戦略的にうまく利用しようとする一方で、活動員との日常的関わりの中で、宗教復興的な実践を行うようになった。さらにヒンドゥー・ナショナリズム運動の政治集会に参加するなかで、宗教的他者に対する敵対的な意識が徐々に高揚していっていることを指摘した。

第6章は、過激な青年組織として知られるバジュラング・ダルの活動を取りあげ、彼らが参加する政治集会やデモなどを分析した。それらの空間は、バジュラング・ダルを構成する下層民メンバーたちに、中間層的な規範からは逸脱的で過激な自己をアピールする機会を与えている。ここでの暴力的な主体は、メディアによって煽られ再生産されているだけでなく、ヒンドゥー・ナショナリズムのリーダーたちによって政治的に利用されていることを論じた。

全体として、現代インドにおけるヒンドゥー・ナショナリズム運動には、これまで注目されてきた中間層だけでなく、サング・パリワールの活動を通じて多様な下層民集団が参加することに至っていること、下層民はそのなかで自らの生活戦略および存在論的価値を追及しながら積極的な参加主体となっていること、そこでは政治経済的な権益の追求だけではなく宗教復興の機運が起こっていること、こうした宗教復興の動きはヒンドゥー・ナショナリズムにおいてはアイデンティティ・ポリティクスと結びついて他者排他的な暴力へとつながっていること、下層民は中間層にたいして抵抗と自己差異化を行いつつも「ヒンドゥー」の名の元に結局は協同関係を成立させてしまっていることを指摘し、結論とした。

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