このたび、第5回アジア太平洋文化賞に選考していただき、ありがとうございます。この賞にお選びいただいた理由は、私ども、アジア学院卒業生のそれぞれの母国での働きが評価されたからだとお伺いしました。そうであれば、今回の賞はアジアやアフリカ52カ国において、草の根活動に携わっている1,076名の卒業生すべてに与えられたものであり、卒業生一人一人を思い浮かべます。
アジア学院は東京都町田市にある農村伝道神学校東南アジア科が発展的に解消し、栃木県西那須原の一帯に6ヘクタールの土地を得てはじまりました。1973年の4月のことでした。アジア学院のモットーは共に生きるためです。毎年4月、15~16カ国から30名ほどの新しい年度の学生がアジア学院にまいります。宗教も習慣も食べるものも違う彼らは、着いた日から共同生活を始め、それを通して共に生きるためにとはどういうことかを肌で体験していきます。アジア学院の教育研修活動の理念は次の5つです。人材育成、とりわけ農村地域社会のリーダーの相互研修、調和的多様性を尊ぶコミュニティの形成、命と環境を守り豊かにする有機農法の実践・普及、自然環境との分かち合いによる食の課題との取り組み、神の愛を信じる日常生活の実践であり、このモットーと教育研修の理念に賛同する内外の多くの人々により学院は支えられています。研修生の日本への往復旅費、一年間の生活費、研修費、すべてが寄せられた寄付金で成り立っています。
アジア学院の創設に関してもう1つ申し上げておきたいことがあります。太平洋戦争等、近隣諸国に日本は多大な災厄を与えました。日本のキリスト教会は、その戦争に賛意を示し率先して協力しました。このことに対する贖罪、戦争責任の告白の意味が東南アジア科の設立に込められていることを、アジア学院の創設者である高見敏弘は農村伝道神学校で聞きました。それ以来、このことを常に自分の胸に秘め続けて働き続けた。告白の責任は、何よりもまず日々の行いをもって行われるべきで、一編の文章や声明文の発表で終わるべきものではないと、高見はその著書『土とともに生きる』で述べています。当時アジア学院にいた研修生の中には、直接・間接に日本軍の残虐行為の被害体験を持っていた方がいたといいます。そのような方々の話を痛みを持って聞き、それが日々の生活を戦争責任として生きる基盤になったと書いています。今、日本は戦争をしない特別な国から戦争のできる普通の国へと変ろうとしています。
内村鑑三は、日露戦争の戦勝で日本中が沸いているとき、「私は今までいろいろな慈善事業を研究し、これに手を出してみましたが、しかし戦争の廃止を目的とする平和主義に勝りて善かつ大なる慈善事業を思いつくことはできません。」と述べています。
貧困は争いの元です。アジア学院の活動が食の問題を通して貧困を克服し、本当の施しである戦争廃止の証しの1つでありつづけることが、この賞を下さったことに対する本当の御礼であると思っています。
アジア学院が創設された頃は、NGOという言葉は市民権を得ていない特別な言葉でした。現在は多くのNGOが設立され、アジア学院と同じようなことを行っているところもあります。その中で、アジア学院がなおも存在していく基盤は何でしょうか。最初に申し上げましたように、アジア学院には1,000人以上の卒業生がおり、彼らはアジア学院で学んだことをもとにして、それぞれの国で何が必要なのかを肌で感じながら働いています。私どもは彼らとネットワークを組み、彼らから何が必要なのかを教えてもらい、それに応えるように研修内容を構築し、彼らと共に生きる基盤である食の問題に取り組んでいきます。今回の受賞は、そのような私たちの努力に対するご褒美であるとして、今後の励みにしていきたいと思います。ありがとうございました。