淡路会議声明 2018

2018年8月4日(土) 第19回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

1日目は冒頭にアトキンソンさんから、多くの方がおっしゃっているように、かなり衝撃的なプレゼンテーションがありました。個別の統計をどう読むか、トレンドをどう見るかといったことについては、当然、反論や異論もあり得ようかと思いますが、私はアトキンソンさんが提起されたことは大きく言って二つあると思います。

一つは、ものの見方を変えてみなさいということです。観光客に「来てください」と言っても、来る側の観光客が何を求めているかを考えれば、発想が違うだろうということで、発想の転換を求めていると思うのです。また、私は彼から次のような話を聞いたことがあります。彼は長らくゴールドマン・サックスで働いていたのですが、必ず失敗する人事担当役員がいたそうです。その人が採用した人は何年かたつとうまくいかなくなったり、仕事でミスをしたりするということが繰り返されるということで、日本的に考えると、人事担当でありながら人事がうまくできない役員は部署を替えて異動させてしまおうと考えるのが普通だと思うのですが、ゴールドマン・サックスはそうは考えずに、これは大変な資産であると考えました。つまり、引き続き人事を担当してもらって、その役員が選んだ人は絶対に採用しないようにしたということで、これほど組織にとって明確な貢献はないという話なのです。これもある種の発想の転換ではないかと思いますが、観光ビジネスについてもそのような発想の転換をしてみなさいという問題提起が一つあったと思います。

もう一つは、抽象的なブランディングをどう高めるかといった大きな話よりも、具体的に十万石をstonesと訳していては駄目ではないかといった、できることからまず着実にやっていかなければならないという、視点の変化のようなことを教えてくださったのだろうと思います。

また、昨日のご議論でも、福岡や滋賀の事例、あるいは創造都市論という切り口で京都や神戸の事例を挙げながら、さまざまな議論がなされましたが、今日の2日目も再び文化という切り口から都市を考えたらどうなるのか、景観や緑からまちづくりをどう考えられるのか、さらにテーマで「都市は競争する」と言っているけれども、本当に競争が必要なのか、むしろ協力し合う必要があるのではないか、それから持続可能性の方が今後はますます重要ではないかといった、さまざまな問題提起がなされたと思います。そして、先ほど全体討論でもいろいろな意見が出て、話はなかなか収斂していかないのですが、それは都市というものがいかに多面的であるかということの表れであろうと思うのです。それぞれの都市にダイバーシティがあり、都市のファンクションが多面性(versatility)を持っていて、非常に多面的な存在であるということが、この2日間の議論で改めて浮き彫りになってきたのではないかという感じがします。

さまざまな議論がある中で、多くの方が繰り返し指摘されるコアのポイントも幾つかあったように思います。一つは、やはり人口動態です。人口減少が日本の社会や都市にどういった影響を及ぼすのかという大きな問題提起が最初のアトキンソンさんの発表以来ずっとあって、全体討論でもそれが論じられたわけですが、アトキンソンさん流の過激主義で言うならば、もう人口減少は避けられないから、生産性を維持するためには外国人観光客を招き入れるしかないので、都市が外国人観光客にとってどうやったら魅力的になるかを考えなさいという、人口減少を所与のこととして代替策を考えるという議論がまずありました。一方で、人口減少は不可避かもしれないけれども、一定の幅があるので、その幅の中で善処できることはまだまだあるではないかというのが、もう一つの議論であったかと思います。

阿部先生が統計もいろいろな見方があるとおっしゃいました。総じて言えば、未来予測というものは大体当たらないのです。いろいろなシンクタンクが出す20年、30年スパンの経済の未来予測は当たった試しがありません。経済活動は変数が多過ぎますから、われわれが現時点で想定していないイノベーションが起これば、経済成長のパターンが変わっていくので、そう簡単に20年後、30年後の未来予測はできません。それに比べて人口動態は割と長期的に予測しやすいのですが、それでも幅があるということだと思うのです。イギリスの政治家のディズレーリは「嘘には3種類ある。ただの嘘、真っ赤な嘘、それから統計である」と言いましたが、統計をどこまで信じるのかというと、そのように幅のある中で統計の悲観論にひれ伏すのではなく、われわれがそれこそ今できることを着実にやっていって、少しでも人口を増やし、この国の活力を維持・発展させるにはどうしたらいいかという議論がもう一つ展開されたと思います。

最近、ある女性政治家がLGBTは生産性がないと言って物議を醸しましたが、そのようなマイノリティの人権を認めろというのは、まさにダイバーシティの話です。都市がますます多様性を持ってマイノリティを包摂していき、魅力ある街になって競争するという議論が一つありますが、人口を増やしていくという議論の怖いところは、一歩間違えると、子どもを産めない人や産まない人は社会のお荷物なのかというプレッシャーに変わっていきかねないところです。子どもが産みやすく育てやすい環境をつくるということがある一方で、それを社会的に強いるようなことがあってはいけないので、多様性の尊重と成長の維持のバランスをどう取るかということが、ここでも大きく問われているのではないかと感じます。

もう一つの論点は、これも全体会議で繰り返し言われたことですが、東京対地方というスキームでどう見るのか、あるいはそういうスキームそのものが妥当なのかということであったと思います。そもそも東京は地方と競争しているのではなくて、他の広域都市、あるいはメガシティと競争しているのであって、そこで競争力を発揮すべきだという視点が一つあります。また、東京対地方ということで、京都や大阪、神戸が単独ではとても東京には対抗できないけれども、一体どう協力し合って、どういう魅力を発揮していくのかという都市間協力という視点もあります。ただ、地方といっても神戸や京都、大阪のような多くの人が住んでいて、文化資本もあれば大学もあり、それなりの景観も持っている魅力的な都市と、本当に何もないと言っては怒られますが、人口は減る一方で、大学もなければ美しい公園や庭園があるわけでもなく、自治体の予算もだんだん減っていっているような街とでは、やはり位相が違うだろうと思うのです。われわれ神戸や大阪、京都のような都市に住んでいる者がどう協力するのか、もっと小さな街がサバイバルのために何をできるのか、そしてその間でどう協力していけるのかといったことがまた問われたように思います。

最後に街と大学との関係という観点から、最近の面白い動きを一つご紹介して終えたいと思います。

今、アメリカで非常に注目を集めている、ミネルヴァ大学という大学があります。2014年にできたサンフランシスコを拠点とする大学なのですが、ミネルヴァ大学の特徴としてキャンパスがないのです。そして、授業は全てオンラインで行われます。キャンパスがなくてオンラインなので、授業料も安く、アメリカのハーバード大学やスタンフォード大学といった有名大学の場合はドミトリーを含めて1年間に500万~600万円かかるのが当たり前ですが、ミネルヴァ大学はその3分の1から4分の1ぐらいで学べます。そのように学費が安いことのフリンジベネフィットとして、多様性があります。ハーバード大学やスタンフォード大学には今や富裕層しか行けなくなっており、学生たちの社会的背景にはダイバーシティがありません。お金持ちで、エリートで、親もハーバード大学やスタンフォード大学を出ている子どもたちが通っていて、例えば高卒の親を持つ子どもなどはなかなか通えません。しかし、このミネルヴァ大学の場合は学費がずっと安く、lower-middleの人たちも無理をすれば行けるレベルなので、学生の社会的背景が多様になっています。

また、キャンパスがなくてオンラインですから、学生と教員の緊密な人間関係は求めていないのですが、全寮制で4学年500人しかいないということで、非常に規模の小さい、高校レベルの大学です。そして、4年間・8セメスターのうち最初の1年間・2セメスターはサンフランシスコで学ぶのですが、残りの3年間・6セメスターはブエノスアイレス、ベルリン、香港、ムンバイ、ニューヨーク、ロンドンといった各都市を1セメスターごとにドミトリー単位で移動していくのです。数十人の学生が衣食を共にしながら世界の7都市を転々として学び、そこで地元の自治体や企業で研修を受けます。調べたところ、今、ミネルヴァ大学は合格率が2 . 8%で、ハーバード大学やスタンフォード大学より難関校となっているそうです。しかも、サンフランシスコでの1年目は歴史学や経済学、コンピュータサイエンスといった日本の大学やアメリカの普通の大学で学ぶような科目を教えるのではなく、critical thinking、creative thinking、effective communicationの三つだけを教えるのだそうです。

まだできたばかりの大学ですから、これからどのような人材・人物を輩出して、国際的に評価されていくのかは分かりませんが、仮にミネルヴァ大学タイプの大学教育が成功すれば、第二、第三のミネルヴァ大学ができてきて、アジアでもミネルヴァ大学ができるかもしれません。そうすると、世界中の幾つもの都市を点々と数百人単位で学生たちが渡り歩くことになるわけですが、そのときに淡路は選ばれるか、神戸は選ばれるか、あるいは京都は選ばれるかと考えたら、京都でもなく、あるいは東京でもなくて、ソウルや上海が選ばれてしまうかもしれません。ミネルヴァ大学のようなノマド型の大学がどんどん増えていったときに、学生が1セメスターをそこで過ごしたいと思えるような都市にわれわれはどうしたらなっていけるだろうかという、大学と都市のマッチングの問題も新たな課題として出てきたのではないかと思います。

いずれにしても、過去18回と同じように今回の第19回の2日間にわたる会議も、経済界や大学、あるいは官界の方々にそれぞれのご経験から実にさまざまなアイデアや実例を挙げていただき、大変なブレインストーミングになったのではないかと思います。その意味では、この2日間の会議がわれわれにとってのcritical thinkingやcreative thinking、effective communicationの大変良い教室になったのではないかということを申し上げて、私の総括に代えさせていただきます。

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