第10回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 上野 雅由樹(うえの まさゆき) 氏

論文タイトル「タンズィマート期オスマン帝国における非ムスリムの「宗教的特権」と「政治的権利」:アルメニア共同体の事例から」

写真 上野 雅由樹 氏
上野 雅由樹

【略歴】

2002年東京外国語大学外国語学部英語専攻卒業。2004年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程修了。2010年同大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(博士(学術))。この間、日本学術振興会特別研究員(DC2)(2008年〜2010年)。2010年6月より、日本学術振興会海外特別研究員としてハーバード大学中東研究所にて研究を行う。専門は歴史学、オスマン帝国史。

【要旨】

タンズィマート期オスマン帝国における非ムスリムの
「宗教的特権」と「政治的権利」:アルメニア共同体の事例から

オスマン帝国は、多様な帰属意識を有する人々を内包しながら、西アジア・中東地域からバルカン半島にいたる広大な領土を600年以上にわたって統治したことで知られている。同帝国では、宗教的帰属意識に基づいて臣民が把握され、ムスリム(イスラーム教徒)の非ムスリムに対する優位が原則とされた。そのなかで、人口の3分の1程度を占めた非ムスリムは、地方毎に宗派単位の共同体を形成し、その内部での自由を容認されていた。本論文では、主要な非ムスリム集団のうちキリスト教徒アルメニア人の事例に焦点をあて、その聖職者機構の中心であるイスタンブル総主教座という組織が、19世紀にオスマン帝国全体のアルメニア人に対して統制を強化していく過程を明らかにした。

19世紀前半にアルメニア人のあいだでは、学校教育の普及や定期刊行物の出現といった変化が生じた。イスタンブル総主教座の聖職者層は、これらの媒体を活用することで地方の諸共同体への関与を強めるとともに、イスタンブルのアルメニア共同体の紐帯を強化した。さらに彼らは、様々な合議機関を総主教座の内部に設置して共同体運営を担う俗人層を取り込んでいった。諸合議機関からなる共同体運営機構は、1863年にオスマン政府の公認を受けて制度化された。政府の権威を背景にして、総主教座内で共同体運営を主導した共同体指導層は、帝国全土のアルメニア人に対する関与を強めていった。これは第一に、地方の教会組織に対する介入の強化として表面化し、イスタンブルを中心とした教会組織の再編が進んだ。そして第二に、帝国内でアルメニア人が最も多く居住した、東部アナトリアの状況の問題化として浮上し、イスタンブルの共同体指導層は、東部アナトリアのアルメニア人を庇護する主体としての存在意義を主張していった。その結果イスタンブル総主教座は、オスマン帝国全体のアルメニア人の政治的な中心として凝集力を高めることになった。

ただしこの過程で、総主教座の権威はオスマン政府の承認に対する依存度を高めた。さらに共同体指導層は、官僚としてオスマン帝国の政府機構に取り込まれていった。このような回路を通じてオスマン政府は、総主教座を統制下に置くことができた。このように、オスマン帝国における多宗教・多宗派の編成のなかで、総主教座はオスマン政府とアルメニア共同体を結ぶ位置にあった。

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