第11回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 金 明洙(キム ミョンス) 氏

論文タイトル「近代日本の朝鮮支配と朝鮮人企業家・朝鮮財界-韓相龍の企業活動と朝鮮実業倶楽部を中心に-」

写真 金 明洙 氏
金 明洙

【略歴】

1996年韓国延世大学校経済学科卒業。2000年延世大学校大学院経済学科碩士課程修了。2010年日本慶應義塾大学経済学研究科後期博士課程終了[博士(経済学)]。2007年4月から2012年3月まで慶應義塾大学経済学部助教をつとめ、2012年3月から韓国 啓明大学校日本学科にて日本経済・経営論を担当している。専門は韓国及び日本近代経済史、日韓関係史。現在「20世紀初頭の韓国における近代経営思想の導入過程と日本」について研究している。

【要旨】

 

本論文は、韓相龍(ハン・サンリョン)の企業家活動と朝鮮実業倶楽部を主な対象として、朝鮮人企業家と朝鮮財界の形成という視角にもとづき、近代日本の朝鮮支配の経済的一側面を考察した論文である。本稿の問題意識は以下のとおりである。

第一に、植民地期(1910-1945年)を韓国における近代的企業家の形成過程として捉え、大韓帝国末期(「韓末」と略す)の商人と解放後の企業家を人的系譜の面で媒介する存在として植民地期の企業家を把握することである。従来の研究では、植民地期の企業家に対して政治的な評価を過度に重視したため、彼らの占める韓国経済史における位置付けと役割に対する究明が等閑視されてきた。それは研究史上の反省点として認めるべきである。具体的に本稿では「朝鮮の渋沢栄一」、「半島財界の縮図」と呼ばれた韓相龍を中心にその関与した企業・団体を中心に事例研究を行なった。周知のごとく渋沢栄一は「日本の近代資本主義の父」と評価される人物であるが、韓相龍もまた日本の植民地下という特殊な状況の下とはいえ「韓国近代資本主義の父」と評価されうる歴史的可能性を有していた。

第二に、日本人企業・企業家と朝鮮人企業・企業家のネットワークを「朝鮮財界」という概念を設けて分析しようとした。従来の研 究は会社数の57.7%、払込資本金の88.4%を占めた日本人企業・企業家を本格的な分析対象から排除する傾向があったが、在朝日本人企業家・日本内地企業家・朝鮮人企業家を一つの視野に入れた歴史学上の枠組みとして「朝鮮財界」を設定することによって朝鮮財界のなかでそれぞれの経済主体間にどのような協力と対立そして相互影響があったかを明らかにしようとした。以上のような問題意識にもとづいて研究した結果は以下のとおりである。

1.韓相龍(1880-1947)に対する評価

韓相龍は主に金融業分野で活躍した専門経営者・政商型企業家・「朝鮮財界」の世話役という多面的な性格を持つ企業家である。韓相龍は、漢城銀行を足場にして企業家として成功を成し遂げたが、韓の地位は銀行の営業に携わる専門経営者に過ぎなかった。それは、資本家として直接に企業を設立して経営した多くの企業家とは異なる側面である。それにもかかわらず、韓が長期間にわたり朝鮮財界の中心で活躍し得た理由は、韓自身の経営手腕によるものであったが、より根本的な理由として朝鮮総督府による庇護と韓の利用という日本の対朝鮮植民地支配政策の特質を指摘することができる。韓国併合の以前からだれよりも日本の朝鮮支配に協力的な姿勢を示してきた韓の存在は朝鮮総督府にとって重要視された。韓も企業家として成長の原動力を植民地権力との癒着に求めた。特に植民地期というコンストレイントが企業活動に対する権力の優越的な地位を与えたことを考慮すれば、政経癒着は植民地企業家としての急速な成長において重要な契機になる。1930年代に入って(準)戦時期が始まると植民地企業家としての性格はより強まったことも明瞭である。こうした植民地権力に密着した経営・経済活動にもとづいて韓は日本人と朝鮮人、あるいは日本内地と朝鮮をつなぐ朝鮮財界のコーディネーターとしての役割を果たすことができた。朝鮮人企業家だけでなく日本内地の企業家もまた朝鮮に対する投資を念頭において彼の意見を求めた。「朝鮮財界」の世話役として韓のパフォーマンスは自分のロールモデルである日本財界の後見人渋沢を一生模倣した結果でもある。

2.朝鮮財界に対する評価

「朝鮮財界」は「朝鮮人財界」とは異なる概念で、主に植民地朝鮮で活躍していた企業家上層部からなるソサイエティを指す。この論文では朝鮮実業倶楽部を朝鮮財界の代表組織として捉え、実業倶楽部の主導勢力、会員構成の変化、主要活動と時期別特徴などを検討した。1935年前後を転換点として、実業倶楽部は朝鮮人特別会員を中心とした朝鮮人の社交クラブ的組織から、朝鮮工業化を反映して多くの日本人企業家も会員として参加する、より広範かつ広域的な「朝鮮財界」に転換していったことが分析の結果判明した。このように朝鮮財界という枠組みを用いて植民地期の朝鮮経済を分析すれば、朝鮮経済のもう一つの軸を担当していた在朝日本人企業家及び日本内地企業家の動きが浮き彫りになり、彼らと朝鮮人企業家上層部の相互関係にも注目することができる。さらに、朝鮮財界に積極的に関与し、そのなかで成長を求めていたいわゆる「親日」企業家・財界人を大韓帝国期の韓国経済と解放後の韓国経済をつなげる人的継承の結節点に位置する人物として研究史上に位置づけることができるだろう。

ページのトップへ戻る