第14回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 長田 紀之氏

論文タイトル「インド人移民の都市からビルマの首都へ:植民地港湾都市ラングーンにおけるビルマ国家枠組みの生成」

写真 長田 紀之氏
長田 紀之

【略歴】

専門は歴史学、地域研究。2004年東京大学文学部卒業。2006年同大学院人文社会系研究科修士課程修了。2013年同博士課程修了(博士(文学)号)。この間、みずほ国際交流奨学財団奨学生としてミャンマー留学(2007~2009)。日本学術振興会特別研究員(DC2)(2009~2011)。外務省専門分析員(2011~2012)。日本貿易振興機構アジア経済研究所リサーチアソシエイト(2013~2015)を経て、2015年4月より同研究員、現在に至る。東京外国語大学などでの非常勤講師経験あり。

【要旨】

 
1948年の独立以来、ビルマ(ミャンマー)の国民国家は土着諸民族の集合体として想像されてきた。そこから除かれたのは外来とみなされる人々であった。土着民族と外来民族の区別は国家の基本的枠組みとして現在までビルマの社会を強く規定している。 本論文が問題とするのはこうした事態の植民地的起源である。本論文は、19世紀末から20世紀初頭にかけての、イギリス植民地期ビルマの首都ラングーン(ヤンゴン)における移民統制策を検討し、そこにビルマの領域の内外を分かつ制度や範疇が生成される過程を見出す。具体的には、三つの行政分野―公衆衛生、治安維持、都市計画―について、植民地権力の都市社会問題への対応を考察する。 植民地期(正確には1937年まで)のビルマは英領インドを構成する一地方行政体、すなわちビルマ州であった。ビルマ州においてインド亜大陸からの大量の移民労働者は、植民地ひいては帝国の経済発展に不可欠な存在であり、無制限流入が保証されるべきと考えられた。一方、ビルマ州の統治の観点からは、無制限の移民流入は疫病や犯罪増加の可能性も伴っており、ある程度の統制が必要視された。地方的植民地権力たるビルマ州政庁のイギリス人行政官たちは、労働力供給の維持という条件の下で、徐々にラングーンに移民統治制度を構築し、実践していった。 本論文はこの過程を植民地ビルマの領域が国家的単位として現れてくる現象の一局面として描き出す。移民統治制度構築の過程は、国際市場と後背地の双方に向けて開かれ、多様な要素から構成される植民地都市ラングーンが、次第にビルマ国家の首都としてその閉じた枠組みの中へと包摂されていく過程であった。 また、本論文は都市社会史的関心から、以上の変化がラングーンの住民に及ぼした影響を検討し、ビルマ州政庁の施策がときにビルマの排他的ナショナリズムを助長し、都市住民の民族間対立を深刻化させた可能性を論じた。
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