第18回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 朴 敬珉氏

論文タイトル「朝鮮縁故者と日本の対韓国外交の源流――「植民地財産の数字」に収斂した認識と対応、1945-1953」

写真 朴 敬珉氏
朴 敬珉

【略歴】

専門は政治学、日本学。法学博士。2008年、韓国・国民大学国際学部卒業。2010年、同大学院国際地域学科修士課程修了。2016年、慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。国民大学日本学研究所専任研究員とケンブリッジ大学客員研究員を経て、現在、国民大学非常勤講師。『朝鮮引揚げと日韓国交正常化交渉への道』(慶應義塾大学出版会、2018年)

【要旨】

 
 本論文は、在朝鮮財産問題をめぐり植民地朝鮮の在留日本人であった「朝鮮縁故者」が果たした役割と認識を通してみた日韓関係の一断面に関する実証研究であり、1945年8月の日本の敗戦に伴ない朝鮮が日本の植民地支配から解放された時から、1953年10月に日韓国交正常化交渉の第3次会談が、いわゆる「久保田発言」により決裂するまでを考察対象とする。本論文は、まず第1章で解放後の朝鮮に引き続き定住し財産の保護を図ろうとした朝鮮縁故者の活動と、その背後にある植民地認識を明らかにするが、そこに1953年の日韓第3次会談が決裂するまでの流れの原点が形成されたという視角に立つ。そして、第1次史資料を読み込むことで、朝鮮縁故者の役割および認識と日韓交渉に臨む日本政府の対応が、相互の関連性を持ちながら調和していく過程を実証的に考察する。
 日韓会談に関する従来の研究には、1951年の予備会談前後から考察を始めるものが多いところを、本論文は1945年8月の朝鮮解放を分析の起点とした。そのことで本論文は、従来の研究の空白期間を埋めるだけではなく、日韓国交正常化交渉が予備会談以降第3次会談でいったん決定的に決裂する理由と背景の源流を解明し、その空白期間をその後の期間への連続性のなかに有機的に位置付け、意義付けている。そしてなにより、以上の実証的な研究により、朝鮮縁故者と日本政府との関係が、初期の日韓国交正常化交渉の過程とその結末に重要な影響を与えていたことを浮き彫りにしたことは、日韓関係研究のみならず大日本帝国崩壊後の東アジアにおける正当性の獲得に向けた比較研究への貴重な貢献である。
 そのことの分析上の意味は二つある。ひとつは、朝鮮縁故者の間に支配的であった植民地認識が、戦後初期の日韓関係のあり方を根底で規定していたことを、1953年の日韓第3次会談決裂までの過程を検証することで実証的に示したことである。第二に、初期の日韓国交正常化交渉に臨んだ日本政府の認識と交渉上の立場が確立する過程で、朝鮮縁故者が果たした役割が解明されている。本論文では、朝鮮縁故者がはじきだした在外財産の総額を示す「数字」の重要性をとりわけ強調しているが、それが日本政府に利用され、日韓会談に際して日韓双方の財産請求を「相殺」しようとする方針の根拠に使われるからである。いうまでもなく、朝鮮縁故者が思う「数字」が持つ意味と重み、およびそれを日韓交渉に利用した日本政府の思惑の背景に、第一の論点である植民地認識が強く作用していた。
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