第18回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 アレキサンドラ バーボウィッチ氏

論文タイトル「試される正義:極東国際軍事裁判の再評価1945-1956年」

写真 アレキサンドラ バーボウィッチ氏
アレキサンドラ バーボウィッチ

【略歴】

専門は戦後の日本史、国際刑法、裁判、国際政治、外交。パリ政治学院(フランス)修士課程修了。神戸大学大学院法学研究科博士課程修了(専攻分野・外交史)。この間、京都外国語大学と大阪大学で非常勤講師を務める。現在、大阪大学大学院人間科学研究科特任助教として国際政治、外交、法と日本に関連したテーマを教えている。

【要旨】

 
 極東国際軍事裁判(東京裁判)が、太平洋戦争における日本の国家責任、そして日本史の観点から重要であり、時宜を得た論題であることは今日においても変わらない。本研究は、東京裁判を開廷した連合国の思想と動機、そしてその法律至上主義的な政策が後の冷戦構造の緊張が高まるなかで如何なる発展をみたかを論じるものである。その論拠として、侵略戦争を遂行したとされる日本の軍最高幹部や有力民間人からなるA級戦犯たちが、連合国による占領政策終了後に辿った運命に焦点をあてている。
 東京裁判は、勝者である連合各国が法律を自らのツールとして有利に用いて、国際、地域、日本の各レベルにおける政治的かつ戦略的な目的を果たし、さらにモラルの点で連合国の地位をわずかに高める結果をもたらしたと分析されている。国際レベルでは1945年、侵略戦争の違法性、犯罪性を認めた国際秩序の構成に不可欠な要素となったが、これは1919年のパリ講和会議において合意が試みられたが不十分な結果に終わっていたものだった。地域レベルでは、東京裁判における起訴内容と多数派判決は連合国の支配的な歴史観と司法観を反映していた。太平洋戦争は連合国とその東アジアにおける植民地に対して日本が企て、一方的に仕掛けた戦争だという見方である。さらに、起訴するべき国際犯罪として、主に東南アジア地域の人々に対してなされた人道に対する罪や戦争犯罪よりも侵略の罪を優先するという選択が行われたことに、全体的な歴史認識が歪曲された経緯が見てとれる。これにより、実際に起きた戦争犯罪が、東京裁判のみならず太平洋戦争の歴史そのものからも葬り去られる結果となった。
 1948年以降、西側諸国の一員として迎え入れられた日本は、冷戦状況下における新たな戦略的役割を認められるようになったが、それにより直ちにA級戦犯たちが巣鴨プリズンから釈放されることはなかった。それどころか東京裁判に見た法律至上主義はもはや、政治戦略としての役割を果たさないという行き詰まり状態が見られるようになった。この問題は米国が日本の再軍備を期待するという矛盾を露呈し、米日外交関係における重要な安全保障事項の進捗を阻害し始めた。戦争犯罪人というより広範な議題のなかで取り上げられたA級戦犯に関する日米交渉の力学において、日本政府は非常に強力なツールを手中に収め、米国に相対して安全保障に関する自国の見解を主張するまでに至ったのである。結果として、かつて日本にとって敗北の象徴であった東京裁判とA級戦犯は、戦後復興を遂げようと努力する日本の財産へと変わり始めた。東京裁判で下された正義はその質に変化が生じ、戦勝国にとっての政治戦略ツールから敗戦国である日本のツールとなってその手に渡ったのだった。
ページのトップへ戻る