第20回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 岡田 美保氏

論文タイトル「日ソ国交回復交渉の再検討-ヤルタ合意と二つの対日交渉方針-」

岡田 美保

【略歴】

専門はロシアの外交・安全保障政策。安全保障学博士(2021年3月)。現在、防衛大学校グローバルセキュリティセンター共同研究員。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。2009-2020年、日本国際問題研究所研究員。ロシアの公文書館で、戦後日ソ関係に関わるソ連史料の収集活動を集中的に行い、対日交渉をめぐるソ連の政治指導部内の議論を丹念に明らかにした。博士論文は2021年度中の出版を検討している。

【要旨】

 
 本論文は、1955年6月から1956年10月にかけ断続的に行われた日ソ国交回復交渉の過程を、ソ連の視点を軸に再検討したものである。これまでの研究では所与として扱われる傾向にあった「ソ連の硬直的姿勢」に踏み込み、戦後東アジアにおける国際関係の劇的変化の中でソ連の交渉方針が形成されたこと、ソ連政治指導部内に交渉方針をめぐる深刻な意見の相違が現出したこと、それが国交回復のあり方に影響を及ぼしたことを解明した点に、本論文の意義がある。
 日本との交渉に臨み、ソ連の政策過程には、領土の現状維持を図るモロトフ外相の方針(モロトフ案)と、日本への歯舞・色丹の二島引き渡しを軸とするフルシチョフ第一書記の方針(ソ連提案)とが浮上した。モロトフ案は、スターリンがヤルタ会談で約束したとおり、南樺太と千島列島の帰属問題は解決済みであり、ソ連は一切の領土的譲歩をせずに日本と国交回復すべきと主張していた。他方、フルシチョフらは、サンフランシスコ平和条約に署名しないというスターリンの決定は誤りであると考え、日本との交渉で南樺太と千島列島の国際的承認を確保しようと考えた。ソ連が維持する千島列島の範囲は、安全保障という機能面から捉えられるべきで、対米防御上枢要な国後・択捉両島に対するソ連の主権が確保されるならば、ソ連は日米安保に異を唱えないこととし、一定条件の下に歯舞・色丹の二島を引き渡す。ソ連提案は、ソ連の安全保障と緊張緩和の同時達成を意図していた。
 だがソ連提案は、一方で日本国内の政治勢力の分断を促進し、他方で日米間の利害の相違を表面化させることになった。重光外相のソ連提案受諾決意は、日本国内の妨害だけではなく、ダレス国務長官の制止にも直面した。米国から見れば、ソ連提案はヤルタ合意を認めることにほかならなかったからである。ソ連の政治指導部では、二つの交渉方針をめぐる党と外務省の綱引きが続いた。当初は領土問題全体の棚上げで起案されていた日ソ共同宣言に、二島引き渡しが盛り込まれたのは、交渉の現場におけるフルシチョフの巻き返しであった。ソ連政治指導部内では、二つの対日交渉方針に折り合いがつかないまま、そして日本国内では継続審議に関する解釈にねじれを残したまま、日ソ両国は、戦後関係の起点に立ったのである。
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