青山和佳氏 受賞論文要旨

ダバオ市におけるバジャウの都市経済適応過程

-経済的生活水準とエスニック・アイデンティティの観点から-

写真 青山和佳

青山 和佳(あおやま わか)
  • 【略歴】

    1992年慶應義塾大学商学部卒業。1995年同大学院商学研究科修士課程修了後、同年東京大学大学院経済学研究科第一種博士課程進学。フィリピンでのフィールドワーク(1997-2000年)、フィリピン、アテネオ・デ・マニラ大学フィリピン文化研究所客員研究員(1997年-2001年)などを経て、2002年10月経済学博士号取得。現在東京大学大学院経済学研究科助手。

本論文はフィリピンのダバオ市に移住してきた、バジャウ(サマ語系海洋民)という先住民/少数民族である人々が、都市経済に適応していく過程を扱ったものである。おもな研究目的は、経済的な生活水準の変化とエスニック・アイデンティティの変容の関係について、相互に関連があることを具体的かつ実証的に明らかにすることにあった。

この研究は、筆者が1997年から3年間に渡ってフィリピンに留学したときに実施した長期フィールドワークの結果に基づいている。筆者の関心は、先住民/少数民族にとって、経済発展とはどのような「生活の質」の変化をともないうるのか、理解したいという点にあった。開発経済学は国民国家という枠組みを前提とするゆえに、国家内部の「国民」の多様性を看過する。しかし、先住民/少数民族といわれるひとびとにとっては、生活の質といったときに、経済的な要素ばかりでなく、文化的な要素も重要だと現場では実感せざるをえなかった。そこで経済学的なアプローチと人類学的なアプローチを横断するつもりで、今回の研究テーマに取り組んだ。

本論文でいう「経済的な生活水準」とは、所得・支出・消費など経済的あるいは市場的な指標で表される生活の質を指す。エスニック・アイデンティティについては、「あるエスニック集団に帰属するという意識とそれゆえに自覚的に利用できる諸資源の集合」という定義を採用した。実際に論文をまとめるにあたっては、このふたつのキー・コンセプトにかかわるいくつかの分析の視点を設定し、それについて調査地で収集した一次資料によって検討していくという方法を採った。

この論文の中心となる部分は第2部の事例分析である。調査地において経済的な生活水準が異なる5つの生業グループを抽出し、地域経済への適応過程とエスニック・アイデンティティの現れ方について比較分析した。その結果、経済的な生活水準の向上は必ず文化変容をともなうが、それは直ちに「サマ」(バジャウの自称)としてのアイデンティティの喪失にはつながらないことが示された。むしろ経済力をつけることで自分たちらしさをどこに残すか自己選択できる余地が生まれてくる。他方、経済的な生活水準の向上がみられない、あるいは低下している場合の文化変容は、半ば強制的な同化、文化剥奪やアイデンティティの自虐的表現につながりやすいことが明らかになった。

事例分析からは「エスニック・アイデンティティ」の複数性と動態性も明らかになった。本研究の対象となったひとびとは、他者からは「バジャウ」と同定され、自らは「サマ」と同定するという、いわば外側と内側に二重の境界をもっていた。「サマ」としてのアイデンティティという場合、それは自らが自覚する、なんらかの集団的属性に依拠する自己同定としてのアイデンティティである。これに対して、「バジャウ」というアイデンティティに彼らが自己同定する場合、それは他者によって仮定された、ある劣性のステレオ・タイプへの同定を意味する。下位グループが経験しているのは、「サマ」という自己同定を支えている文化要素が喪失する一方で、他者が卑賤観をこめて彼らを同定する「バジャウ」というレッテルからますます逃れられなくなっている状況であった。内側にあるサマとしての実体は薄れているのに、外側ではバジャウというレッテルのもとに、ますます差別的な待遇に押しやられているのである。

このようなエスニック・アイデンティティの二重性は、ほかのエスニック集団との関係をみて初めてみえてくることであり、なかなか現地の政策関係者には理解されにくい。また政策関係者は、バジャウを均質的な社会・文化単位とみがちであり、彼らの内部における格差の存在やアイデンティティのゆらぎも見落としたまま介入を図っているという問題もある。このような点について、結論部分で、分析結果のもつ政策的含意として、つぎのような諸点を列挙した。1)エスニック環境に配慮した介入の必要性、2)エスニック・グループ内部における不平等に配慮した介入の必要性、3)最低生活を維持するための所得獲得の必要性、4)政策介入においてサマの文化要素を配慮する必要性、5)政策介入における「文化の仲介者」の必要性、などである。また、フィリピンにおける先住民政策/研究に関する一般的含意としては、1)適応のヴァリエーションを生むひとつの要因として「介入」を考慮した研究の必要性、2)マイノリティの多様性、階層性と自治権付与では解決しないもうひとつのミンダナオ問題、3)多文化主義政策への適応にみる注意点、などである。さいごに今後の課題を述べた。

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