「アジア太平洋文化賞」 山本 正 氏 受賞のことば

写真 山本 正

山本 正 (やまもと ただし)
  • 【略歴】

    1970年に(財)日本国際交流センターを設立。米国セント・ノーバート大学を卒業後、ウィスコンシン州マーケット大学院より経営学修士号取得。日米下田会議、アジア・ダイアローグ、日欧会議等、政策課題を中心に日本と諸外国との相互理解と協力関係を推進する事業を実施。その他、三極委員会(Trilateral Commission)のアジア・パシフィック・ディレクター、日英21世紀委員会、日独フォーラム、日韓フォーラムの幹事委員、公益信託「アジア・コミュニティ・トラスト」運営委員会委員、日本NPOセンター理事、イースト・ウェスト・センター理事を兼任。1999年には「21世紀日本の構想」懇談会幹事委員を務めた。日米経済関係グループ(1979~81年)および日米諮問委員会(1983~84年)の日本ディレクター、日韓21世紀委員会幹事委員(1988~91年)、国際文化交流に関する総理大臣私的懇談会委員(1988~89年、1993~94年)を務めた。1990年、ドイツ連邦政府よりドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章、1998年、英国政府より大英勲章(C.B.E.)、2003年、オーストラリア政府よりオーストラリア名誉勲章(AO)を受章。 編著書に「『官』から『民』へのパワーシフト」、「アジア太平洋のNGO」他多数。

山本正でございます。本日は、全く思いがけず、このようなりっぱな賞を頂戴いたしまして、深く感動いたしております。特に、本日このような形で私にその栄誉をくださいました淡路会議の井植代表理事、および関係者の皆様、それから先ほどたいへん身に余る受賞の理由のご説明いただきましたが、私が日頃大変敬愛しております石井米雄先生および関係者の皆様に改めて深く御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

ご紹介にありましたとおり、私は知的交流やNGOの交流等に長年携わってきましたが、本来、交流という仕事は相手があって、パートナーがあって、よき協力者があって、初めて成り立つ仕事です。約40年近くにわたり私は、そういった非常に素晴らしい協力者たち、パートナーたちに恵まれてきており、私が一人でやったというよりも、多くの方々に手伝ってもらい一緒にやらせていただいたというのが実感です。

その意味では、本日のアジア太平洋文化賞についても、“アジア太平洋地域が平和で発展する地域になる、一つのコミュニティになるだろう”という夢と期待を持って、日頃一緒に仕事をしております韓国の友人たち、ASEANの友人たち、中国の方々、オーストラリア、ニュージーランドの方々、その他多くの方々と、本当にこの喜びを分かち合いたいと思っている次第です。

後ほど、若宮さんと心ゆくまで、思いの丈をしゃべっていいということで、ここでのご挨拶はごく短くということですが、一言だけ申し上げますと、アジア太平洋のこの地域的な交流の促進という仕事は、極めて複雑かつ創造性を必要とするような仕事だと感じております。

交流という仕事の機能は様々ありますが、そういった交流の機能を多重、多層的に駆使して幅広い活動をしていく必要があるのではなかろうか。交流という仕事の色々な機能の幾つかを簡単に申し上げますと、友好親善の促進であったり、相互理解の促進、信頼関係、協力関係の醸成、あるいは心と心の通い合いをつくっていくこと、対話を醸成する。それから、政策的なレベルでの対話を推進することにより政策的な合意を作る。その他いろいろな機能がありうるだろうと思います。まさにアジア太平洋のコミュニティを築いていく営みにおいては、そういった色々なレベルでの交流活動を、多重多層的に、かつ継続的にやってく必要があるのではないかと、心から強く信じているわけです。

石井先生におっしゃっていただいたとおり、そのような活動のためには、非政府、非営利で独立の組織が明らかに大きな役割を果たすのではないかという自負を多少持っております。そのような観点からわれわれも努力をしておりますが、ただ、アジア太平洋にコミュニティを築いていく、コミュニティ・ビルディングをしていくことは大変な作業です。

私の実感としても、まだやっと入り口に辿り着いたということではなかろうかと思っておりますので、本日の賞の意義は、まさにそういった私、あるいは私の友人たちを励ますためのものであると理解しているわけです。その意味でも、本当にありがたい賞だと思っている次第です。

後ほど、さらに、私および友人たちがやろうとしている夢についても多少おしゃべりさせていただきたいと思いますが、ここでは改めて大変な賞を頂きましたことについて、ご厚情に心から感謝を申し上げたいと思います。どうも本当にありがとうございました。

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