山本 博之 氏 受賞論文要旨

「英領北ボルネオ(サバ)における民族形成」

写真 山本 博之

山本 博之 (やまもと ひろゆき)
  • 【略歴】

    1993年東京大学教養学部教養学科卒業。1995年同大学院総合文化研究科修士課程(地域文化研究専攻)修了。同年同研究科博士課程(地域文化研究専攻)進学。マレーシア・サバ開発問題研究所客員研究員(1996年-1998年)、マレーシア・サバ大学講師(1998年-2000年)、東京大学大学院総合文化研究科助手(2001-2003年)などを経て2003年6月博士号(学術)取得。2004年7月より国立民族学博物館地域研究企画交流センター助教授。

本論文は、英領北ボルネオ(サバ)が1963年に連邦国家マレーシアの一州となることで独立を達成した過程を事例として、人々の自立と地位向上を求める動きがいかにして民族アイデンティティの形成を生み出したかを検討したものである。

独立前夜のサバには、(1)自らが背負う「外来者性」の払拭を求めて、サバという領域において特定の民族性を超えた均質なネイションの形成を唱えた人々、(2)外部世界に中心を持つ高文明の一端に自らを位置づけ、自らが背負う高文明によってサバの「未開」な住民を教導しようとした人々、(3)自らの外来者性を常に自覚して、サバで生活していくために現地化の道を模索する動き、といったさまざまな勢力が登場した。

それらのうち、均質なネイション形成を唱える人々にとってはサバという領域が重要な意味を持つが、他の人々には必ずしもサバという領域が意味を持つとは限らない。とりわけ、外部の高文明の一端に自らを位置づける人々にとっては、領域的な区切りは本来特別な意味を持たないはずである。ところで、自らの背負う高文明によって他の人々を教導しようとする発想は、自分たちより文明の中心に近い人々によって自分たちが教導を受けることを許すことになる。これに対し、多数決の時代にあっては、ある領域で区切り、その中で必要に応じて高文明の原理と多数決原理を組み合わせることで自らの地位を確保することが可能になる。

このように、高文明を背負うと自任する人々にあっても、自らの発言権を確保するために領域概念が意味を持つこともありうる。
このように、互いに異なる社会を志向する人々が、いずれもサバという領域に意味を見出し、サバという地域アイデンティティが生まれた。また、それぞれ外部世界と関連づけて自らを位置づけていたカダザン人、ムスリム/マレー人、華人の3つの枠組みは、サバという領域に意味を見出す過程で、サバ社会全体に関する意思決定の場に自らの意向が正当に反映されることを望んだ。このため、カダザン人、ムスリム/マレー人、華人がそれぞれ政党を結成し、3党が連合してサバ政権を担当することが相互に承認された。

サバに3つの民族アイデンティティが形成されたことは、サバ社会が統合に失敗したことを意味するわけではない。この3つの枠組みは、サバ社会全体に関する意思決定の場に参加する資格または権利を有する枠組みとして相互に承認されたものであり、サバ社会が政治的に統合されていることを示している。

このような、排他的にならない「区切り」の意味を積極的に認めることによって、ナショナリズム論が新たな可能性を迎えることになるであろう。

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