「アジア太平洋研究賞」(佳作) 徐蘇斌氏 論文要旨

「中国における都市・建築の近代化と日本」

写真 徐蘇斌

徐 蘇斌(じょ そひん)
  • 【略歴】

    1992年中国・天津大学において工学博士号、2005年東京大学において博士号(工学)を取得。この間、天津大学、清華大学の講師、東京大学生産技術研究所ならびに同東洋文化研究所の外国人研究員、国際日本文化研究センターの外国人客員研究員(客員助教授)を歴任。2006年9月より天津大学特聘教授。研究領域は日中産業交流史、比較都市・建築史、文化遺産の保存問題など。著書に『日本対中国城市与建築的研究』(中国水利水電出版社)。受賞に交通調査・研究優秀賞(東日本鉄道文化財団)、日本都市計画学会賞(日本都市計画学会)、前田工学賞・山田一宇賞(前田記念工学振興財団)などがある。

本論文は、20世紀初頭から建国初期における、中国の都市・建築の近代化過程と日本との関係を歴史的に解明しようとするものである。

問題意識

本論文は、20世紀初頭から中華人民共和国の建国初期における、中国の都市・建築の近代化過程と日本との関係を歴史的に研究するものである。中国の近代化は大きく2つの力によって形成されたと考えられる。一つは中国の伝統を継承していこうとする前進力であり、もう一つは外来の刺激を契機とした推進力である。この2つの力はいずれも近代化のプロセスを解明する上で重要な鍵となる。さらに本論文では、中国における近代化過程の詳細な内容を検討するため、外来の影響の「受容」形態に着目した。

具体的には、本研究の問題意識は次の3点に集約される。
20世紀前半の日中関係は「非友好」的歴史と言われ、そこでは、中国人のナショナリズムは満州事変、日中戦争を経て、一つのピークを迎えた。積極的に日本の先進技術を導入しながらも、そこには「反受容」的側面も併存していた。これまでの研究では、外来の影響に伴う「受容」については、無視、あるいは看過されてきた傾向があるが、「受容」「反受容」と「ナショナリズム」という2つの側面からの考察は、中国における都市・建築の近代化過程を探る上での前提と考えている。

第2に、外来の刺激を契機とした推進力については、論者は特に中国人自身の意識変革と外国からの受容に重点を置いた。いわば「主体的受容」である。その理由は、受容が実現するためには、政府主導による「上から」の適切な近代化政策は不可欠である。また、自国のものとして内部化してしまう担い手の厚い技術者層が形成されることが必要である。つまり、清末における洋務派の改革政策と後の留学生たちの活躍と深く関わっている。本論文の重点は洋務派及び留学生の事績に見られる「受容」と「中国への応用」の解明にある。

第3に、アジア諸国のなかでは、とりわけ先発国日本は、中国に多大な影響を与えた。そこで中国側が「受容」したものは、純西洋でもなければ、純日本のものでもなかった。つまり、日中における「受容」形態には、アジアにおける独自の近代化のプロセスが存在しているのである。本論文では、その独自性の解明にも努めた。

論文の構成

第I章「ジャンルの再編成――中国近代建築学の黎明」は、中国における「近代建築」という概念の定義に関する基礎的研究である。本章では、古代から近代への建築認識の変化に焦点を置いている。この過程を通じて、近代建築学というジャンルの再編成に至る変換点を明らかにしている。

第II章「清末民初における鉄道建設と日本」は、清末における中国の鉄道建設と日本との関係に関する考察である。 本章では、中国人を主体にして計画された鉄道建設を対象に、清末・民国初期において日本人技術者が関与した、福建省の鉄道建設をはじめ、関内外鉄道、粤漢鉄道、湖北鉄道における具体的内容を明らかにするとともに、中国の鉄道建設とその自立過程における外国人技術者の功罪について歴史的に位置づけている。

第III章「清末勧業博覧会と都市計画の探索」は、清末における勧業博覧会の「受容」に関する研究である。具体的には、清末期の中国における勧業博覧会の受容とその変容過程を通じて、中国近代の都市空間の再編成、ならびにその空間の「公共性」に着目し、日本との関係について新たな視点を提供している。

第IV章「異文化の体験――建築留学事情」は、中国人技術者層の誕生とその養成に焦点を当て、戦前期における中国人工学系留学生、特に建築系留学生の事績についての歴史的考察である。

第V章「近代における中国新建築の萌芽と崩壊――柳士英の活動を中心に」は、中国新建築の萌芽期における新文化運動との関係、さらに建国初期における民族主義形式と新建築との関係など、新建築の興隆と崩壊についての諸問題について、柳士英の事績という一側面から明らかにしている。

第VI・VII章は、近代中国建築史学の興隆に焦点を当て、日本と中国における代表的な建築史学の先駆者を対象にして、日中における建築史学の内在的関連性、及び比較に関する考察を行っている。

第VI章「中国建築史学の興隆 その1.関野貞の中国建築・美術に関する研究」では、日本近代を代表する東洋建築史家・関野貞の中国調査を記した「関野調査帖」を中心にして、関野貞の中国調査の全容の復原作業を行い、さらに、彼の問題意識、方法論、調査内容及び中国社会との関連などを明らかにしている。第VII章「中国建築史学の興隆 その2.劉敦桢の研究から中国建築史学の歩みを見る」では、中国建築史学の開拓者・劉敦桢の足跡を通して中国建築史学の形成過程を跡づけている。

第VIII章「中国現代建築の基盤を造る――趙冬日と天安門・人民大会堂」は、解放後、目覚ましい活躍をした建築家・趙冬日を取り上げ、社会主義体制後の中国における活動の具体的内容を考察し、中国現代建築の成立基盤について重要な側面を明らかにしている。

結論

以上、本研究では、20世紀初頭から建国初期における、中国の都市・建築の近代化過程と日本との関係を解明するため、8つの断面の分析を行った。 そこでは、清朝政府の改革者を主体とした近代的建築学の導入をはじめ、社会基盤整備事業としての鉄道建設、さらには近代的公共空間の創出に繋がる博覧会事業への積極的な取り組みが認められた。また一方、近代国家建設のため、工学系留学生の派遣事業を精力的に遂行し、帰国後、留学生たちは日本での学習を踏まえ、中国への応用を試み、近代的な建築学の導入をはじめ、中国建築史学の創出、さらには建国初期における国家プログラムの推進など、多面的に活躍した事実は看過できない歴史的一断面と言える。

また、ここに見られる清末の改革派や留学生たちの「受容」活動は、単純な模倣的行為ではなく、中国の歴史、さらには社会発展に応じて試みられた再創造に向けた壮大な実験でもあった。むろん、その試みには、成功と失敗が伴っている。その再創造の営みこそ、都市・建築の近代化における外来文化の受容において特筆すべき点であろう。

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