第7回井植記念「アジア太平洋研究賞」 受賞者:園田 節子(そのだ せつこ)氏 論文要旨

論文要旨「近代におけるヒトの国際移動の歴史研究―南北アメリカ華民と近代中国の関係構築」

写真: 園田 節子 氏

園田 節子(そのだ せつこ)
【経歴】
1993年岡山大学文学部卒業。1997年同大学にて文学修士そして1999年東京大学にて学術修士取得後、1999年東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士後期課程に進学、2007年博士号取得。その間、イェール国際地域研究センター客員研究員、イェール大学大学院史学科研究生、日本学術振興会特別研究員、早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、トヨタ財団オフィサー。2006年5月より神戸女子大学文学部で教育に従事。
(要旨)

本研究は、19世紀後半の中国広東省から南北アメリカに向かうヒトの国際移動に関わる複数の事例研究を通して、近代の時代性を考察した歴史実証研究である。第I部で、アメリカ、カナダ、ペルー、キューバへの中国人労働者の導入がはじまった背景や問題を整頓し、第II部では、これらの地域で中国人商人「華商」が中国人集住地を商業コミュニティへと発展させ、清朝の駐米公使や領事とのあいだで秩序を築き、移民に対して「本国」がその在外生活に継続的かつ有機的に関係してくる、そのプロセスを論じた。北アメリカの移民研究では、シラーNina Glick Schillerたち社会人類学者が、1990年代初めから「トランスナショナル・マイグレーションtransnational migration」のパラダイムを提唱し始めた。このパラダイムが指摘するのは、移住者が居住国の政治や社会とかかわる一方で、出身国内の家族との日常的かつ私的レベルのつながりを保ち、のみならず、去ったはずの出身国家の経済・宗教・政治との継続的関係を維持、構築、ときには強化しさえするという、越境する社会的な場が存在することである。本研究ではこれを踏まえ、さらにシラーが十分に論じ得なかった、移民送出国が海外移民社会へ行政チャネルから働きかける様相と影響を明らかにした。そこから、南北アメリカ早期華僑史は、まさにヒトの移動による環太平洋地域像を描き出していることを証明した。

中国から東南アジアあるいは日本へのヒトの移動は、移住適応や中規模資本のアジア圏域展開など、前近代から続く古いヒトの往来を反映して比較的穏やかな関係である。これに対して南北アメリカの中国人移民社会は、近代に初めて開始したヒトの移動で形成されたため、苦力貿易、大量の無資本労働移民の流入、中国人排斥運動、そして中国人排斥法の設置など、独特の熾烈な現象が見られ、発生時点から厳しい相克を含んでいた。そのように理解される歴史も、サンフランシスコ、カナダのブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア、リマを基点とするラテンアメリカ太平洋岸、そしてキューバのハバナの中国人コミュニティについて現地史料を用いながら詳細に検討すると、1880年代までに商業コミュニティ化した中国移民集住地(=チャイナタウン)には、契約華工からの転身華商・三邑華商・サンフランシスコから南北アメリカ各地へ移動する転航華商・香港の南北行そして紳商など、多様な華商が存在したことが解る。このうち、一定の資本力を持ち人格的にも信頼を得て、指導的人物として華民コミュニティの共通認識を得た一部の華商は、コミュニティ内部の自治組織や生活・文化のしくみを整える役目を負った。やがて1877年の中国における初の常駐外交制度の設立を受けて、現地調査団・清国在外常駐使節・清国領事・游歴官といった、官権を有して派遣された本国の「官」が南北アメリカの中国人社会に入ると、先の華商に対して統括団体「中華会館Chinese Consolidated Benevolent Association」の執行部、商董、代理領事などの新しい公職を用意した。これによって各華民社会は、上部執行部は機構化されているが、末端は際限なく広がる、包摂的回路を有することになった。こうした回路の整備は強制的におこなわれたものではなく、若干の齟齬を伴いながらも、「官」と「商」のあいだで僑務経験からの手順や助言といった情報を授受して成り立っていた。商は新職に就くことで、移民社会内部での上昇を実現した。こうして本国に正統性を求める秩序が確立した。

「官」と「商」の関係によって、近代南北アメリカの各中国人移民社会には、〔1〕国の権威と個人、国の権威と団体をとりむすぶ体制が創出され、〔2〕複数の各華民コミュニティがサンフランシスコを主なハブとして相関する動的な移動社会を形成した。〔3〕この相関する社会のあいだで転航華商が渡航先コミュニティを近代化する、官の僑務経験が別地へ移植される、中国の新興社会階層や改革が伝播するといった、新たな越太平洋地域空間が生まれたのである。

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