第8回井植記念「アジア太平洋文化賞」 エズラ・ヴォーゲル氏 受賞のことば

写真 エズラ・ヴォーゲル 氏

エズラ・ヴォーゲル
  • 【略歴】

    1950年オハイオ・ウェスリアン大学で文学士号を取得、1958年にはハーバードにて社会学博士号を取得。その後、研究のため日本に2年間滞在。1960-61年は、エール大学助教授、1961年より1964年までハーバード大学博士研究員として、中国語及び中国史を研究。ハーバード大学で1964年に講師、1967年に教授に就任、ジョン・フェアバンク氏の後を継いでハーバード大学東アジア研究センター2代目所長(1972-1977年)および東アジア研究協議会2代目会長(1977-1980年)となる。国際情勢センターにて日米関係プログラムの担当理事(1980-1987)、1987年より名誉理事を歴任。1972年の発足より1989年まで東アジア研究の学部重点課程担当理事。1993年より2年間大学を休職、国家情報会議の東アジア担当国家情報部員の任務につく。1995年9月、ハーバードに戻り、1999年までフェアバンク・センターを指揮、1997年から1999年までアジア・センター長。共産中国社会、日本社会、産業化東アジア各コースにて教鞭を取る。ヴォーゲル教授の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(Japan as No.1: Lessons for America, 1979)は欧米の著者によるノンフィクションとして日本では空前のベストセラーとなる。2000年6月30日に教育界を引退。以来、鄧小平とその時代に関する本の執筆に取り組んでいる。

ただ今ご紹介をいただきましたヴォーゲルでございます。今回、第8回アジア太平洋文化賞を頂き、ありがとうございます。この賞を提唱されました井植代表をはじめアジア太平洋フォーラム・淡路会議の皆様に心からお礼申しあげます。

われわれの民主主義の国では、指導者にはできることとできないことがあります。国民の理解の範囲内であれば動くことはできるのですが、国民が理解していないことについては、その範囲を超えて指導者は何もできない。神戸の指導者の方々が、国民にもう少し理解してほしいという目的をもって、日本の国際化のためにこのような機会を提供していることに、私は大賛成です。ですから、井植代表や皆さんが、そういう希望を持ってこういう会議を開いていることは、私は素晴らしいことだと思います。五百旗頭先生とは、私はもう30年付き合っています。学者として、まず理解しなくてはなりません。自分の理解です。資料をものすごくよく勉強して、自分が理解してから国民に説明する責任があるのです。

私は、同じような気持ちで、長年研究をしていますが、私の本業はアメリカ人に説明することです。30年前に出した「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の目的は、日本を褒めることではなく、アメリカ人はもう少し日本のことをうまく理解し、自分は謙遜して少し外国の成功のことをよく勉強した上で、いい面を見習って、それを実現すべきだと。それは、もちろん日米関係にも関係があると思いました。その後、私は第2次大戦から今までの変化、日本のことと中国のこと、アメリカとの三国の関係について、もう少し研究すべきだと思いました。私は三つの会議を開いていて、日本のキャップは田中明彦さんで、その重要なメンバーの一人が村田さんです。私は、その三つの会議で、1945年から最近までの歴史を日本語、中国語、英語で議論をしました。

その後、私がもっと敏感であると思ったことは、第二次大戦のことです。学者は政治家ではなくて、自分でいい関係を作ることができないですが、そういう基礎を作るために、第二次大戦ではどのようなことが行われたのか、共同研究をやればどうですかと。当時、慶應義塾大学の山田辰雄さんと北京の学者の楊天石という方と私は協力して、いろいろな学者を集めて2回ほどアメリカで会議を開いて、3回目は箱根で、最近は重慶で4回目を開き、第2次大戦の外交のところを勉強しました。

私が今やっている研究は、中国のことです。やはりアメリカはもちろん、日本にとってすごく大事です。しかし、アメリカが今完全に解っていない国は中国だと私は思うのです。私が30年前にあの本を出したとき、アメリカ人にもう少し刺激を与えたいと、刺激的な『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というタイトルを付けて述べました。

今度は中国が大事であると、皆さんはよく解っています。ある日本の友達は、『チャイナ・アズ・ナンバーワン』というタイトルをつけたらどうかと言いましたが、そういうタイトルを付けなくても、みんな中国は大事だともう解っています。私の責任は、できるだけよく理解した上で、中国はどうなっているかを説明すべきだということです。私の目から見ると、中国を理解するための、転換期はちょうど30年前、78年の鄧小平の時代です。私はそういう時代を一生懸命勉強しています。今日の講演もその時代についてです。皆さん、よろしくお願いします。

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