第9回アジア太平洋研究賞(井植記念賞)受賞者 矢野 順子(やの じゅんこ) 氏

論文タイトル「ラオスの国民形成と言語ナショナリズム-植民地時代から社会主義革命まで(1893-1975年)-」

写真 矢野 順子 氏
矢野 順子

【略歴】

1998年同志社大学文学部文化学科文化史学専攻卒業。2001年一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。2009年同大学院言語社会研究科博士課程修了(博士(学術))。この間、1999年から2000年までと2002年から2004年まで、ラオス国立大学文学部ラオス語・ラオス文学専攻へ留学(2002~2004年は松下国際財団奨学生として)。2005年から2007年まで日本学術振興会特別研究員(DC2)。2009年よりジェトロアジア経済研究所研究会外部委員を務めるほか、現在、東京外国語大学非常勤講師(2004年~)、一橋大学大学院言語社会研究科博士研究員(2010年~)。専門は言語社会学、ラオス地域研究(近現代史)。

【要旨】

ラオスの国民形成と言語ナショナリズム
―植民地時代から社会主義革命まで(1893-1975年)

本論文は、植民地時代以降、ラーオ語がラオスの国民語として形成されていく過程が、ラオスの国民形成にどのように関わるものであったのか、明らかにすることを目的とするものである。

ラオスはインドシナ半島の内陸国で、中国、ビルマ、ベトナム、カンボジア、タイの5カ国と国境を接している。総人口は約580万人(2006年)であり、国内には主要民族であるラーオ族のほか、言語や習慣を異にする49もの少数民族が居住している。

現在のラオスの領土は、19世紀末にフランスとシャムの間でなされた国境交渉の結果、誕生した領域を継承したものである。フランスの植民地化以前、この地域に存在したラーオ族の諸王国は、すべてシャムの支配下に置かれており、そのため国境確定後もシャムは、ラーオ族との言語的な類似性を根拠に「失地回復」の要求を続けていた。

こうしたシャムの動きに対し、フランスはシャムの脅威からラオスを守る「保護者」として、シャムの支配の間に「退化」してしまった、ラーオ語の「復興」に乗り出し、ラーオ語のタイ語からの言語的独立を確立することで、自らの植民地支配を正当化しようとした。そして支配者フランスのもと、タイ語との区別をとおしてラーオ語を形成するという、否定的同一化による国民語形成の基礎が構築されていく。

本論文では植民地時代、内戦期の王国政府、パテート・ラーオのそれぞれにおける言語ナショナリズムの展開を正書法や語彙に関する議論、言語イデオロギーなどの側面から考察した。そして支配者(フランス人)から被支配者(ラオス人)へと、国民語形成の主体が移行するとともにタイ語と、さらにフランス語を加えた、新旧二つの「支配者の言語」が、人々がそれとの接触・区別をとおしてラーオ語を国民語として認識し、国民意識を醸成していくという、否定的同一化の触媒として、逆説的にラオス国民の形成に寄与していたことを明らかにした。

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