フォーラム2017の概要

写真 フォーラム2017会場風景

プログラム
  • 日時
    2017年8月5日(土)
    9:00~16:00
  • 場所
    兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
    (兵庫県淡路市夢舞台1番地)
  • テーマ
    「テクノロジー・カルチャー・フューチャー」
  • 内容
    • ○基調提案
      コーディネーター 村田 晃嗣
      (同志社大学法学部教授)
      ①「人とAIが協働する未来社会」
      講師: 山口 高平
      (慶應義塾大学理工学部教授)
      ②「メディア激動と社会の変容-マスメディア再定義の時代」
      講師: 吉田 慎一
      (株式会社テレビ朝日ホールディングス代表取締役社長)
      ③「ウェアラブル・IoTが切り拓く未来」
      講師:塚本 昌彦
      (神戸大学大学院工学研究科教授)
    • ○分科会
      第1分科会「テクノロジーにかける未来」
      座長: 中尾 優
      (特許業務法人有古特許事務所所長)
      第2分科会「カルチャーにかける未来」
      座長: 佐竹 隆幸
      (関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授)
      第3分科会「テクノロジーとカルチャーの融合にかける未来」
      座長: 矢崎 和彦
      (株式会社フェリシモ代表取締役社長)
    • ○全体会
      コーディネーター 片山 裕
      (神戸大学名誉教授)

フォーラムでは、井植 敏 淡路会議代表理事の挨拶に続いて、村田晃嗣 同志社大学法学部教授の進行により、3人の講師からの基調提案をいただき、そのあと、参加者は3つの分科会に別れて、それぞれのテーマで活発な討論を行いました。

昼食を挟んで午後から行われた全体会では、片山裕 神戸大学名誉教授の進行により、初めに分科会の座長から各分科会での討論の概要について報告をいただき、参加者全員でさらに議論を深め、最後に2日間にわたる淡路会議の締め括りとして、阿部茂行 同志社大学政策学部教授から総括と謝辞が述べられ閉会しました。

◇基調提案の要点

「人とAIが協働する未来社会」
山口 高平(慶應義塾大学理工学部教授)

学習にディープラーニングという手法を使ったAlphaGoというAIが、世界ランキング2位のLee Sedolというトッププロ棋士に勝った。難しい碁の分野でAIが勝ったのだから、会社の業務の自動化など簡単だろうと、そのような発注がここ1年ぐらい電機メーカー等に殺到しているが、実際にやってみるとうまくいかないケースが結構ある。

AIは人の知的な振る舞いをシミュレートするソフトウェアであり、業務や使うAIの技術によって限界などがかなり変わってくる。従って、AIと大くくりにせず、細分化したAIの特徴を理解して、人との関係を考えるべきである。

ディープラーニングは基本的に因果関係などの結果は出してこない。ここで示されるのは相関関係である。ディープラーニング型のAIの出した結果の妥当性はさらに別の方法で人が検証しなければならない。

今のAIはうまく使えば人間に新しい気付きを与えてくれるが、何か業務手順があって、これをきちんと実行するときには、従来の知識型のAIを組み合わせることが重要ではないかと思う。

協働社会ということに関しては、AIの導入による従業員の解雇も実際に起きはじめている。人とAIの協働社会に向けては、職業単位で考えるのではなく、業務プロセス単位で考えるべきだ。そうすると、人が得意とすることと、AIが得意とすることで仕事を分けることができる。ヒト・モノ・カネ・情報で四つの経営資源といわれているが、AIを第5の経営資源と考えてトータルに考えていくことが必要ではないか。

「メディア激動と社会の変容-マスメディア再定義の時代」
吉田 慎一(株式会社テレビ朝日ホールディングス 代表取締役社長)

IT技術やソーシャルメディア等の発展で、誰もが気軽に情報発信できる時代がやってきた。一番影響を受けたのはマスメディアの報道の部分である。

マスメディアでは、新聞の発行部数の減少、テレビの平均視聴率の減少が起きており、2020年にはテレビの広告費がインターネットに追い越される推定だ。

そこで、IT技術やソーシャルメディアなどの発展で、若い世代のテレビ離れ、新聞離れが進む中、新聞・テレビもインターネットを活用した事業に進出しているが、ソーシャルメディアからの情報利用については、ファクトチェックという、これまでにはなかった非常に重要な問題も生じている 一方、メディアが非常に相対化されてきて、既成のマスメディアがone of themになり、それとは別に巨大な情報の流れが社会の中で出てくると、社会が断片化されてきている。そうした中でメディア不信という問題もある。

報道という機能がこれまでどおりではだめなのは歴然としているので、これを再定義しなければならない。そして、デモクラシー社会の共通の情報基盤をどうするかということを真面目に論議しなければならない。

また、新聞の部数減やテレビの広告収入がインターネットに追い越されるという中で、20世紀型マスメディアにとって最大の問題はビジネスモデルである。

社会での情報流通、情報基盤をインターネットプラットフォームに任せておいていいのか、どのように任せるかという問題は、フェイクニュースのファクトチェックの問題と並んで、20世紀型マスメディアに限らず社会を考える上で重要な問題ではないか。

「ウェアラブル・IoTが切り拓く未来
塚本 昌彦(神戸大学大学院工学研究科教授)

スマートフォンをポケットに入れて、取り出して手に取って使うのがモバイルだが、その一歩先が、ウェアラブル、つまり体にコンピューターを装着して利用することだ。 ここ50年でコンピューターは非常に小さくなり使い方が変わってきた。最初は軍事や科学技術計算用だったのが業務用になり、個人用になり、スマートフォンになった。

さらに小さくなると、人が身に着けて利用するウェアラブル(wearable computing)の時代が来る。一方、小さくなったコンピューターを物が使うというのがIoT(internet of things)だ。これまでのコンピューターは、ネット上の巨大な空間の中に人間の活動を吸い込んでいくというような使い方が主だったが、スマートフォン以上に小さくなったコンピューターは、実空間で使うというのがポイントだ。

ウェアラブルは実際の業務の中ではまだ普及していないが、応用分野は幅広く、ヘルスケア、スポーツ、観光業、農業、医療・介護、警察・警備など分野でトライアルが行われている。こうした技術で新しいカルチャーを作っていくことが重要であり、ウェアラブル・IoTで今後の暮らしは変わると思われる。

最後に、「ウェアラブル・IoTによる実空間ファーストな世界を推進しよう」、「来年の淡路会議ではみなHMDを装着して参加しよう」、「インプラント(体の中にウェアラブルを埋め込むこと)、サイボーグ(体の一部を機械に置き換え、最終的には脳の一部もコンピューターにつなぐこと)のビジネスは日本から立ち上げよう」、「私は15年以内にサイボーグになる」と4つの提言をしたい。

◇分科会での討論の概要

○第1分科会「テクノロジーにかける未来」
報告者:中尾 優(特許業務法人有古特許事務所所長)

最初に、私どもの分科会は「テクノロジーにかける未来」をテーマに、テクノロジーの進化がどうあるべきか、われわれはテクノロジーにどのように向き合えばよいのかなどについて意見交換を進めた。

まず、石黒先生のところのロボット、アンドロイドについての議論があった。参加者からは、「ロボットは進化しているが、ロボットを作る作業自体はアナログなものであり、石黒先生のロボットもアナログに作られているのではないか」「ロボットにもそれぞれ溶接などの専門的な技能があり、実際にどういう用途に持っていくのか」という質問が出た。

その次に、科学と空想の関係について話し合った。科学と空想は相互に影響し合っており、空想に基づいて科学が進歩するという関係があるという意見が出た。

在大阪オーストラリア総領事館の総領事からは、オーストラリア発の技術として、Wi-Fi、Googleマップに使用されている技術、再生医療技術が紹介され、それを日本発の技術にどう生かしていくことができるかという問題提起があった。それについては、技術のリストを示して「どれか欲しいものがあれば言ってください」というリスト形式よりも、技術は人にひも付いているものであるから、研究者、あるいはそれをビジネスにしたい人にオーストラリアにしばらくステイしていただくといったマッチングの仕方があるのではないかという話もあった。これは技術進化の一つのアプローチになるのではないかということであった。

ロボットについては、欧米では、Fintechや銀行窓口不要といった進化したサービスがある中で、日本のように銀行窓口にロボットがいることに意味があるのかという意見もあった。しかし、スローバンクという観点もあり、高齢者などフェイス・ツー・フェイスでお話をすることを望む方もいるので、今後、全ての銀行でロボットが働くことの是非を問うというよりも、用途、コンシューマーエクスペリエンスに合わせたビジネス化が必要ではないかという議論があった。

テクノロジーの発展のマイナス面についての議論もあった。例えば、商品タグにICチップを埋め込んで万引きを防止する技術、呼気を検知して飲酒運転を防止する技術、違法コピーを防止する技術など、制限をする技術が出てきているが、中国では、シェアリングサイクルの使い方が悪いといった、悪い行いが記録されていて、個人の格付けポイントが減点されるといった制度が既に一部で行われているそうだ。テクノロジー発展のマイナス面として、そのように制限を受ける、監視されるということがある。それから、忘れられる自由が裁判でも一時話題になったが、インターネットにずっと情報が載り続けることによる問題があるのではないかという意見もあった。

ロボットが意識や自我を今後どのように持っていくのかも議論になった。アメリカでは、兵士が自分で爆弾を落として人を殺したという罪悪感を減らすために、ロボットの自律的判断システムの開発に一生懸命になっているそうだ。ロボットのせいにして人間の心理を楽にするというアプローチになっているが、日本では鉄腕アトムに見られるように、ロボット自体の悪事を防止するというアプローチがあり、倫理に対する考え方も今は少し分かれているという指摘があった。これは今後どうなるのだろうかということで、結論は出ていない。

国によって倫理観は違う。個人の与信管理も、中国のやり方は倫理観の高い日本ではやり過ぎ、異常と見受けられるが、中国においてはかえってその方が安心だという意見もあって、そのあたりの考え方も決して普遍的な形にはいなかった。

そして、アジア太平洋地域の文化的な違い、質的違いなども検討しながら、最大公約数的な汎用性を持って開発していくことがロボット産業の道ではないか、テクノロジー単体でなく、テクノロジー、ビジネス、コンシューマーエクスペリエンスという三つの観点を持って、テクノロジーの進化を進めていくべきではないかという議論があった。産業としてのロボット開発については、人間や倫理との関わりというアプローチをよく耳にするが、むしろ制度や社会との関わりといった切り口からの技術進歩のアプローチが現実的に重要なのではないか、これが今抜けている議論なのではないかという指摘があった。

○第2分科会「カルチャーにかける未来」
報告者:佐竹 隆幸(関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授)

冒頭に、私と講演の演者のお二人から、議論をこれからどうやって進めるかという趣旨で発言をさせていただいた。もともとこのテーマで私が座長をさせていただくということで最初に思ったことは、日本的経営の変容ということであった。シンギュラリティというのは一つの象徴的な現象である。AI(人工知能)化の波の中で、従来、人が行っていたことを機械がやるようになる。もちろん、本日、山口先生からご講演があったように、ヒト・モノ・カネ・情報と共に、AIも第5の経営資源として考えるという意味で、企業は戦略的にAIを活用していくことが重要になってくるだろう。これは日本の文化論とも関わってくるが、従来、日本的経営の強みは、従業員の仲間意識や、従業員の企業に対する忠誠心や所属意識であった。AIで単に機械化されて便利になったときの日本的経営の強みは、アメリカ、ヨーロッパ、中国に比べてどうなるのか。日本的経営の強みがAI化の流れの中でどう変化していくのか、あるいは変化は必然なのか。

そこで、ポイントになってくるのが変化のスピードである。もちろん分野によってスピードの速い、遅いはあるであろう。シンギュラリティが起こるとされる2045年まであと30年もなく、その段階でどうなっているのかは神のみぞ知るだが、変わるものと変わらないもの、速いものと遅いもの、変化に対する楽観論と悲観論、さまざまな視点から考えられるが、ともかく日本的経営そのもの、日本企業そのものが変化してしまう。私は日本企業そのものは文化であるという意味合いで問題提起をさせていただいた。これが1点目である。

2点目は、吉田先生から、議論の材料として、講演で触れることができなかった点をご提示いただいた。1番目は、メディアそのものが文化であるというカルチャー論。2番目は、政策論。どのような設計図を描いて技術の進展を模索していくのかが重要だが、どうやってやろうかということは出てきても、最終的に何を目標にするかがまだ不明確であるという点が指摘された。3番目は、教育論。人がどこまでやるのかという問題とも関わってくるが、ロボットが教育をするようになるかもしれない時代のメディアリテラシーという問題提起を頂いた。

太刀川先生からは、道具の歴史を鑑みて、目的・手段・記憶という三つのキーワードを頂いた。何のためにその道具ができたのかというのは、人間の形が変わっていないのだから、歴史的にもほとんど変化がないのではないか。その一方で、手段は、AIも含めてさまざまな形で変容を遂げている。記憶については、太刀川先生はナイフを例に挙げ、ナイフの柄は手段と目的からするとプラスチックの方が便利だけれども、人間の記憶にかなう質感や空気があって、木の柄が付いたナイフが一つの付加価値を持っているとして、質感や空気といった、人間の歴史の中で記憶としてとどめられたものはライフスタイルに密接に関係してくるのではないかという問題提起をされた。

本当はこのあたりをゆっくり説明させていただくとまた面白い議論になってくるのだが、それ以後、さまざまな論点があった。やはり一番中心になったのは、メディアの役割、あるいはマスメディアの役割である。私の「第4の権力か」との問いかけには、「第4の権力というのは昭和の表現である」との答えであった。メディアの役割を考える中で、受け取る側の状況についても話が及んだ。例えば民主主義そのものが問われているという議論があった。トランプ現象やイギリスのEUの問題、マクロン現象などに見られる分断、その分断の背景にある格差、そこから生じる摩擦があるが、ベースとして民主主義的な教育がなされない限り、AI、メディア、SNSを活用していく中で問題点が生じていく。そういう論点から確認していかなければいけないという議論があった。

面白い議論としては、なぜ文明論を論じないのか、文明と文化はどう違うのかという議論があった。社会学者をはじめとして、いろいろな方が文明論あるいは文化論については論じているが、正しいかどうかは別にして、文明というのは崩壊するものである、しかし、文化というのは蓄積されていくものであるという意見があった。一過性であったとしても、文化というものが形成されていく中で、経済的にも経営的にも文化的にも社会的にも一つの方向性が見えてくるのではないか、これにもちろんメディア論も関係してくるということである。

また、片山先生にご提案していただいたのが、ソーシャルキャピタルとの関わりである。ロバート・パットナムの議論をベースにお話ししていただいた。パットナムは、インターネットが広がると、人間は自由にさまざまな情報を得ることができるようになる、それによって人間は、情報を得る自由も得るし、情報を選択する自由も得るので、むしろ社会的な信頼関係は醸成されるのではないかと提言した。しかし、インターネットでは聞き心地の良い情報は聞こうとするし、聞き心地の悪い情報には排他的になるかもしれない。これはメディアの功と罪、あるいはSNSの巧と罪になってくると思われる。それが全体的なマスメディアの巧と罪になるだろう。

この議論では皆さん方に自由にご発言いただきたいと申し上げたので、特に一定の結論を出しているわけではないが、いずれにしても、遅かれ早かれ、多かれ少なかれ、われわれはAIをはじめとした、文化そのものの変容をもたらしてしまうかもしれないさまざまなものに遭遇することになる。そのときのベースとなるのは、私は民主主義的な考え方だと思う。経済学をかじった立場から言うと、自由放任と自由経済は違う。勝手気ままに振る舞うのではなく、一定の常識、一定のルールの中で新しい技術を活用し、それに人の判断を介在させて運営し、広くフューチャー(未来)を考えていくことが大きな課題ではないかというのが私自身の結論である。

○第3分科会「テクノロジーとカルチャーの融合にかける未来」
報告者:矢崎 和彦(株式会社フェリシモ代表取締役社長)

第3分科会のテーマは、テクノロジーがこれからの人々の生活や社会や産業にどういう変化をもたらすのかということであった。今朝ご発表いただいた塚本先生、昨日ご発表いただいた伊藤社長に加え、井植代表と五百旗頭先生にも参加いただいて議論を進めた。 私どもの進め方は、参加者が約20名おられたので、皆さんいろいろな感じられ方をしておられるだろうと思ったのと、皆さんの関心事、どういう点に疑問や関心を持たれたのかを共有したかったので、まず全員にご質問いただいた。感想や意見なども交えて、たくさんの質問を頂いた。そもそも論のような哲学的な観点からのご質問もあれば、技術、ビジネス、文化的な視点からの質問もあり、非常に多様であった。そのいろいろなご質問にお答えいただく形で話を進めた。

最初に、文化と技術は何をもたらすかという話があった。文化は技術をつくり、技術が文化にまた影響を与えるというように、文化と技術は相互に影響を与えるということは事実だと思われるが、これをどう捉えるかということについて、伊藤さん、塚本先生が非常に面白いことを発言された。

まず伊藤さんに、初音ミクという存在に対して、「初音ミクという偶像を崇拝するような状況はどうなのか。もっとリアルなことに関心を持った方がいいのではないか。若い人のコミュニケーション力をむしろ阻害するのではないか」という向きの質問もあったが、伊藤さんからは、「人は初音ミクというバーチャルなものに対してではなく、背後にいる作り手の息づかいや思いに共感しているのだ」という、今回の議論の重要な柱になるようなお話を頂いた。技術を使いこなすのも、何をするにしても最後は人であり、そこが非常に重要なのだというメッセージだったと思う。

塚本先生からは、さらに刺激的なお話があった。「バーチャル撲滅」と発言されたのである。バーチャル空間、コンピューターの世界が大きくなり過ぎてしまった、人はその中に漂い過ぎている。そんなことよりも、もっとリアルな社会の中で人らしく振る舞うべきだし、生きるべきだ。バーチャルは撲滅すべき、ただし、リアルな世界をより豊かにするための技術としてのウェアラブルデバイスを考えてはどうかというお話であった。

もう一つ、塚本先生から非常にキャッチーなキーワードをご提案いただいた。「歩きスマホ禁止に反対」である。歩きスマホが不便だからウェアラブルデバイスが普及していくのであって、歩きスマホを禁止するとそこで進化が止まってしまう、歩きスマホは次の新しいスタイル、新しい生活や社会のありようをつくっていくための重要なステップとして捉える方がいいのではないかというメッセージを頂いた。このように非常に面白い議論であった。

加えて、五百旗頭先生からコメントを頂いた。日本には鉄腕アトムのように人間性のあるロボットの伝統があり、また、日本の漫画やアニメは、超人的なスポーツ技を描くことで一流のスポーツ選手を生み出した、それはすごいことであり、それがさらに初音ミクのようなものへと進化を遂げている瞬間に今私たちは立ち会っているのだというお話であった。五百旗頭先生も来年はHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)を装着してみたいそうである。また、どれだけ技術が進化したとしても、人間性を失わないようにしなければいけないというお話を頂いた。

井植代表からは、ご自身のご経験を踏まえて、「中国など世界の技術変化のスピードは非常に速い。今の技術進化に付いていかなければ世界の競争に勝てない」というお話を頂いた。

このように議論が進み、私が思ったのは、技術はどんどん進化しているが、技術の使いようを決めるのはやはり人だということである。人を三つに分解するとしたら、体と心と頭があって、体力は機械に勝てないことははっきりしている。頭脳もどうやら機械に負けそうである。では心はどうか。心の分野は、1日目に機械もいずれ心を持つという話があったが、今のところ心を持っている、心を自由に使えるのは人だと思う。その心の使い方一つで、技術をどう使えるかということが決まっていくと思った。非常に面白い議論ができた会であった。

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