フォーラムでは、井植 敏 淡路会議代表理事の挨拶に続いて、三重野文晴 京都大学東南アジア地域研究研究所副所長・教授の進行により、3人の講師からの基調提案をいただき、そのあと、参加者は3つの分科会に別れて、それぞれのテーマで活発な討論を行いました。
昼食を挟んで午後から行われた全体会では、窪田幸子 神戸大学大学院国際文化研究科教授の進行により、初めに分科会の座長から各分科会での討論の概要について報告をいただき、参加者全員でさらに議論を深め、最後に2日間にわたる淡路会議の締め括りとして、村田晃嗣 同志社大学法学部教授から総括と謝辞が述べられ閉会しました。
京都ではこの20~30年で町家が大変なブームになっている。若くて新しい人達が、町家レストランを広げたことにより、非常にクリエイティブな和食文化が広がっている。
京都市は20年前、中心部の「田の字地区」に職住地区再生ガイドプランを作り、町家を守りつつ都市開発を進めている。
15年前に京都市が始めた施策である「京都創生」において、文化・景観・観光というフレームが作られた。創造性を発揮するためには文化を活用し、文化を活用するためには景観を整備し、観光人口を増やすのが一つのモデルだということが分かってきたのである。今は、歴史的な文化財を守るだけではなく、どう生かすかがアジアの都市政策の中心に据わってきている。
戦後70年の間、世界の観光旅客数は増え続けている。
観光交流がさらに進み、先進国では文化芸術市場が発展し、交流機会や流通量が増加している。一方では、途上国でも交流・流通が次第に広がっている。
多様な文化の国際発信力を強化し、都市が民族的・歴史的・文化的特徴を最大限に生かす文化・観光戦略が「融合する文化力」であり、これがこれからのアジアの可能性になる。
人口オーナスの時代を迎える中、日本では成長の時代から成熟の時代に入った。成熟の時代では競争から協創、そして創造力の世紀となる。
これから広がっていく創造都市の流れは、アジア全体を巻き込んで、成熟したアジアの都市社会の中で、「文化の力で都市をつむぐ」という新しい革新の力をつくっていくことになるだろう。
花は人を呼べるということで、多くの植物園・フラワーパークが全国各地にできたが、経営が大変苦しい状況にある。
そのような中、平成6年にあしかがフラワーパークの植栽デザイン・園づくりを担当し、その後、経営に参加することになった。「世界一美しい藤のガーデン」と銘打って経営に乗り出し、園は一気に黒字化した。
ビジネスに損益分岐点があるように、感動分岐点というものが私たちの心の中にあり、その感動分岐点を超える園を造れば経営は成り立つし、美しさを皆さまにお届けできると学んだ。
3年前にあしかがの園長を辞任し、5年前にはままつフラワーパークの運営責任者に就任した。
運営するに当たり、今ある原資をどう生かすかを考え、「世界一美しい桜とチューリップの庭園を目指す」とした。桜とチューリップの両方がある園というのはあまりなく、これらを圧倒的に美しくしようと考えた。また、1年前には藤棚も造った。
ここを本当にきらりと光る美しい園にしたいと考えている。
はままつの園の運営責任者に就任して一番やりたかったことが、登校拒否の子どもをお預かりする適応指導教室をパーク内に開設することで、就任と同時にすぐに着手した。
また、就任2年目からは、浜松市のNPO法人ひきこもりサポートセンターと協力して、ひきこもりの青年や若い女性をお預かりしている。
今後は発達障害の子どもたちをお預かりして、花苗の栽培をしたいと考えており、現在計画中である。
花みどりの美しさが人々の心に優しさや生きる力を与えられればと思っている。
グローバル化の中での競争は強いられているが、もはや都市間で競争する時代ではないのではないだろうか。
可視的な形、物理的・建築的な環境だけではなく、人々の働き方・暮らし方を含めた都市の総体としての「都市のかたち」の持続可能性について考えるにあたり、地方都市の資源に限りがある時代の中で、今までのように競争するのか、あるいは都市圏の中で連携するのかという課題がある。
平成の合併以前は、自治省の基本的な方針は連合主義・連携主義だったが、1998年ごろから突然、平成の合併主義に変わり、都市間競争と同時に地方分権が喧伝された。財政基盤が弱い都市や行政能力のない都市は合併するか、大きい都市に飲み込まれるというのが平成の合併である。
しかし、地方分権と都市間競争が同時に行われると、結果的に合成の誤謬が起き、中心市街地が衰退する状況に陥ることが生じるようになった。
競争に対して、連携・協働はお互いにないものを補い合い、助け合って、ワンバージョン上がっていこうというのが基本的な考え方だ。
今年の7月5日に、複数の市町村でつくる「圏域」を新たな行政主体と考え、圏域レベルで行政サービスの水準を維持することを検討課題として、総務省で第32次地方制度調査会が立ち上がった。
1998年ごろを境に合併主義に走ったが、合併ではなく都市圏で連携していくということで、もう一回行政の仕組みを考えようというところに、20年たって戻ってきているのが現状である。
第1分科会では「文化と都市」というタイトルで、大変多くの方からさまざまな意見を頂いた。まず、昨日パネラーとして参加していただいた佐々木先生から、ヨーロッパがユーロ導入後、都市がヨーロッパの統一性、変化多様性を訴えるようになり、文化都市機能を生成するようになり、同様にアジアでも東アジアが経済成長、民主化が進んだ結果、多くの文化が国境を越え、「東アジア文化都市」という日中韓の文化芸術の連携イベントも形成されているというお話があった。
重要なご指摘としては、神戸の震災復興の取り組みによる文化形成の遅れの指摘、それからむしろ震災があったことで培った震災文化ともいうべき重要な文化があり、世界唯一の文化的価値といえるであろうという意見も頂いた。
それから、文化芸術がないと都市は生き残れない。神戸はレジリエント・クリエイティブ・シティを目指すべきといった意見や、都市機能そのものの定義に踏み込んだ意見を頂いた。
また、観光については、インバウンド観光における新たな意見として、最近は2度目以降のインバウンド観光客の行動範囲が非常に狭くなっているので、瀬戸内観光などの広域での提案がこれから必要になるのではないかという意見があった。
続いて、地域の話として、神戸市兵庫区に特化した歴史文化が残っているという話があった。人が忘れてしまうと歴史文化は消えてしまうわけで、やはり誰か強いこだわりを持っている人が必要であり、それは地域が文化を理解するということでもある。
その他に、文化と一言でいっても、ハイカルチャー、サブカルチャーの2種類あるが、文化人類学では生活そのものが文化と考えるという意見があった。
スマートシティとクリエイティブシティの議論では、世界中の都市が都市間競争の中でその両方を目指しているが、クリエイティブシティの方は民主主義や自由の下で発揮されるのに対し、スマートシティはどうも国家管理の部分が大きいという意見があった。
人口減少における労働生産人口の一つの方法としてクリエイティブ・エイジングが重要であり、決して65歳は高齢ではないという意見があった。
また、多文化共生の議論において、生活次元での創造性や多様性の議論が少し抜けているのではないかという意見があった。
オーストラリアにアボリジニという土着民族がいるが、1970年代からアボリジニのアートが世界的に評価され、昔は野蛮人と呼ばれていた彼らのイメージが大きく変わったことから、アートの力には可能性があるという意見があった。
今日は海外の領事館から来られた方もおられたが、各国の取り組み、例えば中国の都市形成プロセスの変化や重要政策の変化などの説明も頂いた。その他、各国の皆さまから、日本文化の多様性や寛容性に可能性がいろいろあるという話も頂いた。
第2分科会は「自然再生と都市」をテーマとし、自然と人が共生する魅力と潤いに満ちた都市づくりについて、参加者からご意見を頂いた。
最初に「自然再生」については、自然というものと都市の緑化という概念はやはり違うという意見が多かったと思う。緑化したものはメンテナンスを省くと自然に戻り、自然再生につながってしまうというイメージかと思う。
都市が緑化する効果として、一つは防災がある。津波のときの防潮林や、最近の大雨でも森林がしっかりしている所とそうでない所との違いといった点、あるいは阪神大震災のときには火事の延焼を食い止める役目もあった。そういった点で、防災として良い効果がまずあるという指摘があった。
もう一つは、人の感受性である。そこにずっといたくなる、落ち着く、ヒーリングといった効果についての意見があった。アメリカ・ワシントン州の州都オリンピアの自然豊かな環境、ニュージーランド・クライストチャーチのガーデンシティなど、欧米の都市では街並み景観に対する市民のこだわりや公共財としての認識が強く、他人の家の草木の状況まで指摘するところまである。日本ではそういうところはまだ一般的ではないが、そういう違いがグローバルに見るとあるということであった。クラストチャーチのように街並みがきれいになると、それが都市としての魅力や活気につながり、観光の面でも訴求力が上がるという話もあった。
それから、阪神大震災の復興の話もあった。人の再生という意味で、復興住宅の方に花壇を差し上げて、植樹していただくという話や、塚本先生が行っている学校教育の中で、子ども一人一人が自分の木(マイツリー)を決めて、その木に話しかけるという教育の効果の紹介があった。命の根源としての植物との交わりが、建造物や集合住宅が多い都市生活における一つの効果として重視すべきという話があった。
都市をつくる上での景観は、中につくるか、外につくるかというところがあり、緑化するということは当然メンテナンスが必要であるし、最近の日本の公園では治安の関係で低木よりも高木を植えることが優先されている。それから、緑化する場所によって寿命を見据えた設計も必要になるので、景観緑化については量より質の目配りも忘れてはならないという話あった。
アトキンソンさんの講演で、緑・花・木が観光資源として時期的に限られるので、活用することは難しいという話があった。この分科会でも、珍花奇木を集めてお客さまを集めるのは、今のところ競い合いになり、うまくいく可能性はあまり見いだせないということだったが、観光資源として緑化にプラスアルファの感動というか、印象を残すような付加価値を付けることによって、観光資源として生きてくるという話もあった。
第3分科会は、「都市の国際競争力」というテーマでディスカッションした。この2日間の議論に基づき、ディスカッションのきっかけとして4点ほど、私の方から問題提起をした。
1点目は、人口減少である。歴史的に、人口減少局面で経済成長を果たした国や地域はない。それを何らかの方策で補っていくことが、都市の競争力を強化する上での大命題であるという問題意識が昨日の基調講演でもあったわけだが、それに対してどういう方策を進めていくのか。日本国内の都市間競争は、一つ間違うと「サービス合戦」といわれかねないが、例えば保育園・学童保育をきっちり整備する、医療費を中学校や高校まで無料にするなど、そういう都市間競争も非常に激化している。住みやすい地域、魅力のある地域という付加価値を付ければ、Uターン、Iターン、Jターンで地域創生を進められるかもしれない。私が提案したのは、例えば沖縄に移住した東京の方は結構多く、沖縄で生活し、かつ創業されている方も多い。そういう事例を紹介した。
2点目は、都市機能の話である。イーライリリー・アンド・カンパニーの本社は、東京でも大阪でもなく、神戸に残った。イーライリリー・アンド・カンパニーで聞き取りをすると、「究極は不夜城である」と言う。これはワークライフバランスに反するものではなく、裁量労働制の下、グローバル化の中で夜中に働く人も出てくるので、都市機能として地下鉄を24時間走らせたり、レストランの営業時間をもっと長くしたり、場合によっては朝からお酒を飲む人も出てくるかもしれない。そういうグローバル化の中の都市機能である。それは住みやすい街、働きやすい街という議論になっていくのもさることながら、朝から酒を飲む人がいるのは品がないと思われる方もいるかもしれないが、そういう都市機能の強化も一つの大きな論点になる。
3点目は、あまりこの会合で議論されていないが、IR(統合型リゾート)の問題である。カジノのことばかり強調されがちだが、カジノはあくまでもIRの手段のone of themであって、この2日間の議論の中ではMICE(meeting、incentive travel/tour、conference/convention、exhibition/event)プラスリゾートという議論があったのだが、インバウンドを捕獲するにはシンガポールの事例が一つの大きな手本になるということで、いわゆる医療ツーリズムについて検討すべきではないかという投げ掛けをした。
4点目は、大学と都市の関係が非常に重要であるということである。大学が集積している所に都市の競争力が存在する。大学があるということは、知の集積になると同時に若い人がたくさん集まって来る。そうすると当然、企業も集まって来る。だから、研究、雇用、人口という論点から、大学と都市は非常に不可分な関係にあるだろうということを投げ掛けた。
議論として、海外の都市との競争力に負けない日本の都市づくりというのも一つの大きなテーマになるであろう。その一方で、日本国内における都市間競争、東京一極集中を排除するための方策としての都市の競争力強化も非常に大きな論点になろうかと思う。
本日、講演していただいた矢作先生からも幾つか大きな示唆を頂いた。一つは、平成の大合併の問題点である。補完性の原則として、小さな組織にできることは小さな組織に委ねた方がよくて、それができないのであれば合併するしかないというのが平成の大合併の一つの不文律のようになってしまった。ということは、できないのであればこちらの言うとおりにしろと言っているようなもので、それは全く自立ではなく、都市機能を失わせるものだ、という話をしていただいた。
それと同時に、都市の競争力を高めるためには、寛容性が非常に重要である。シンガポールの事例で、ゲイに寛容であったかどうかという問題提起を最後に村田先生からしていただいたが、寛容性が都市機能を高めるための一つの大きな要素になったのだけれども、最近の論点では、それが中間層の崩壊につながり、格差の拡大につながったといわれている。だから、都市機能と寛容性の関係、それによる都市創造というか創造的思考の中における都市の組み立てにはさまざまな問題点があるというご指摘も頂いた。
さらに、外国企業を多彩に誘致するにはどういう論点があるのか。あるいは、人口が減っているといえども、江戸時代や高度経済成長期からすると増えているといった論点も含めながら、ディスカッションをした。