第20回「アジア太平洋フォーラム・淡路会議」国際シンポジウムの概要

写真:第20回国際シンポジウム会場風景

プログラム

シンポジウムでは、井植敏 淡路会議代表理事による開会挨拶、井戸敏三 兵庫県知事による歓迎挨拶、アジア太平洋研究賞授賞式に続いて、五百旗頭真 ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長による淡路会議開催の趣旨説明が行われ、そのあと、阿部茂行 ひょうご震災記念21世紀研究機構参与をコーディネーターに、記念講演が行われました。

各記念講演は、以下のとおりです。

◇記念講演1 「人生100年 共に生きる」
安藤 忠雄(建築家)

兵庫県立美術館には、安藤氏が青春のシンボルとして作成した高さ約3mの『青いりんご』のオブジェが展示されています。安藤氏によると、多くの人は、学生時代までは希望に溢れ、新しい世界を見つめている『青いりんご』です。人は100歳まで『青いりんご』でいなければなりません。ただ100歳まで生きるのではなく、自分が家族、社会に何ができるかを考えることが大事であり、『青いりんご』には、こうした思いが込められているのです。

また、ご自身は大学教育や建築の専門教育を受けておられません。だからこそ18歳の時に一生勉強していくと決め、今でも毎日、本を読みながら次のことを考えているそうです。日本の若者は大学を卒業してしまうと、本を読まなくなりますが、安藤氏は好奇心を持って多くの本を読んで学び続けていくことの重要性を強調されました。

さらに、淡路夢舞台をはじめ、これまでに手がけてきた多くの建築や、乱開発ではげ山と化した瀬戸内海の島々での植林、大阪の中心を流れる大川沿いに桜を植える「桜の会・平成の通り抜け」プロジェクトなど、ライフワークとして取り組んできた様々な緑化プロジェクトについても紹介されました。

 

(註)上記の要旨は、淡路会議事務局でとりまとめたものです。

 

◇記念講演2 「「文化力」と地域の発展」
青木 保(政策研究大学院大学政策研究院シニア・フェロー)
1.東アジアに「文化」の時代

21世紀に入って、東アジアでは大変目覚ましいことが起こっている。各国の政府、あるいは社会が、文化に対して非常に力を入れ始めた。例えば、2002年にシンガポールにエスプラネードというオペラハウスとコンサート、ドラマシアターのコンプレックスができて、いろいろなオーケストラやドラマ、オペラも上演するようになった。また、4年ほど前には、ナショナルギャラリー(国立美術館)というアジア最大規模の美術館ができた。こういうものをシンガポール政府が造るなど、20世紀には全く考えられなかったし、大学や文化施設に予算を注いで良くすれば、国際的にも評価が上がり、様々な面で国益になることにアジア各国の政府も気が付いてきた。クアラルンプールにも北京にもこのような文化施設ができてきている。

 

2 .東アジアの「共通感覚」

東アジアは全体的に、経済的な意味も含めて中間層が大きくなってきた。これまでは、少数の大金持ちと90%の一般大衆という社会だったが、中国でも社会的な中間層が大きくなった。 社会的な中間層が出てくると、魅力ある文化施設が生まれ、21世紀のグローバル社会、国際化の中で、大学が発展し、人々の間に国や地域を超えた共通感覚が形成され、映画、テレビドラマ、音楽、ファッションに共通するものが出てくる。ユニクロは上海でもバンコクでも大人気であり、みんなが同じものを着たがる。食べ物についてもコンビニなどで大体同じものを買えるようになった。すると、急にアジアの国に行っても戸惑うことなく、日本にいるときとあまり変わらない生活ができるし、アジア の人たちが日本に来ても同じような生活ができるようなった。もちろん大学を出た高学歴の人たちが増えてきたということもあるが、東アジアの一般の人々の間に共通感覚ができたということになるかも知れない。

 

3 .「文化交流」の実践

10年程前には、外国からの観光客は年間500万人ぐらいであったが、今や4,000万人を視野に入れている。これは未曾有のことであり、様々な問題はあるが、外国から人がたくさん来て、日本のことを知ってくれて、好きになってくれることは、日本にとって重要なことである。大観光時代にはきちんと日本も日本人も対処しなければならない。

様々な文化を持った人が来るので、異文化理解が必要になる。しかも、ただ理解するだけでなく、より実践的な文化交流を重ねていかなければならない。戦前の日本は東アジアで、特に今でも韓国や中国との間で大きな問題があるが、相互理解が進まない間に戦争になってしまった。政治的、領土的な思惑や経済的問題、帝国主義的なものもあったが、基本的なところでもっと文化交流が盛んになれば、お互いに違った関係を持てる可能性があり、今でも東アジアの問題がこんなに長引くようなことはなかったのではないか。

 

4 .「文化」から「文化力」へ

「政治力」「経済力」「軍事力」という言葉はよく使われるが、「文化力」という言葉はあまり使われない。2011年に『「文化力」の時代』という本を出した。「文化力」という言葉は、文化庁も以前から使っているが、一般にはほとんど使われていない。私は「文化力」という言葉をもっと使うべきだと思う。

普通は文化というと、地域や国固有の文化があって、それを大事にしようという話になり、別の国や地域の文化とどのように相互理解をするかという話に続いていく。今はそれよりもむしろ、それぞれの地域が文化力を高めていくことによって、お互いに理解し合う時代になってきたのではないか。これまでの文化はどちらかというと、静的な面での文化認識が強く、文化財保護などが中心であったが、ダイナミックな文化の総合性を重視する「文化力」にもっと注意を喚起したい。

 

5 .「文化力」とは

では、「文化力」とはどういうものかというと、例えば次のような要素が考えられる。一つの地域や国を見ると、「①歴史的遺産・文化財」がある。「②伝統的な表現文化」としての祭りや能、歌舞伎などもある。「③文化施設や大学・学校」も文化である。「④建築・建造物」、「⑤都市などの整備」もある。それらを包含して「文化力」と私は言いたい。例えば東京にしても、きちんとして楽しく歩ける道があまりない。狭くて混雑して、ぶらぶら散歩するという楽しさが味わえない。東京の道路を魅力的な歩ける楽しみのあるものにしないといけないと感じる。パリがいいのは、やはり歩く楽しみのある道が整備されているからである。ナポレオン3世のときに今のパリが出来上がったというが、日本の街は概して道路が文化的に整備されていない。「⑥創造的文化の魅力」は、アーティストがいろいろなものを作ったり、芸術や芸能が魅力的ということ。「⑦消費文化施設の魅力」は、都市や地域の魅力は美術だけではなく、ショッピングセンターなどがどれだけ魅力的かという消費文化が大きな問題になる。「⑧生活文化の充実」は、料理がすばらしいとか、住んで楽しいという生活文化。「⑨自然の美しさ」は、日本は自然の美しさをうまく利用して温泉街をつくったり、様々なことをしている。「⑩生活態度や応接態度の洗練さ、楽しさ」といったものも文化力である。

 

6 .「文化力」と地域の振興・発展

確かに今はイメージ優先の時代なので、イメージは大事にしないといけない。イメージをうまくつくり出すのも文化力である。文化力を強化することによってイメージも良くなるし、外から見た魅力といったことにもつながる。大消費時代においては「文化力」の強化が大きな影響を及ぼす。このため、地域の振興や発展にはっきりと「文化力」というものを認識して、取り組むことが必要である。

ただ個別的にいい美術館を一つだけ造るのではなくて、それと付随するショッピングセンターやレストラン街などを造るべきである。先程のシンガポールのエスプラネードは、巨大なショッピングセンターの一部になっている。だから、ショッピングをしたり、食事をしながら、いつの間にか劇場に行くことができる。ショッピングや美術館、コンサートホールなどが一体化したような空間をつくり出すことが必要であり、別々につくってしまうと「文化力」としての魅力がなくなってしまう。

 

7 .神戸・兵庫県に巨大な「アジア・太平洋国際文化学術生活センター」を

神戸は、ショッピングやファッションで先端を走っていたはずなのに、残念なのは、それらをきちんと示せるような文化力がないことである。ファッション美術館もあったが、今後どうなるのか。本当は世界にない巨大で先端をゆくファッション美術館があってもいいと思うのだが、そういうものがないので、つくってほしいと思う。ただの学術研究だけのセンターではなく、その一部に文化施設やショッピングモールもあれば、観光客が来ていろいろなものを買うことができる。せっかく神戸港に船が入るのに、みんなバスで大阪に行ってしまう。神戸に泊まらないし、神戸を素通りするのは残念だとよく言われる。こうした人たちも全て吸収するような「文化力」を発揮するセンターを考えてほしい。そういうものを一般に日本人が造ると、どうしても小さなもので間に合わせてしまうが、本当は世界のどこにもないような建物を造らないとあまり意味がない。新たな神戸の活性化を「文化力」によって成し遂げてほしい。

 

◇記念講演3 「21世紀のアジア・太平洋経済」
ナロンチャイ・アクラサニー(経済学博士/元タイ王国エネルギー・商務大臣)
1.タイとアジア太平洋地域の産業化と貿易:ASEANとAPECの台頭

1950年代、アジア太平洋で産業化されていたのは日本だけであった。日本は第2次大戦後、朝鮮戦争を契機に復興し、それに徐々に他の諸国が追随した。これが一橋大学の赤松要先生が提唱した雁行形態モデルである。日本が先頭の雁で、アジアの他の国々がそれに追随するというものである。アジアNIES(新興工業経済地域)の韓国、台湾、香港、シンガポールが日本にまず追随し、その後をASEAN(東南アジア諸国連合)が付いていった。

ASEANはベトナム戦争の影響を受けていたが、1975年にベトナム戦争が終わり、ASEANの経済協力が加速した。1976年にASEANの経済協力スキームができ、1990年代、2000年代にそれが実現した。産業化のためには規模の経済が必要だったので、私たちは経済協力の重要性を強調し、規模の経済が得られるようになった。当時、中国はまだ経済協力に関わっていなかった。中国の経済は、共産主義となった1948年から閉鎖されていた。インドも産業化を進めていたが、まだまだ国家主導のものであった。

1980年代から流れが変わりはじめた。日本、オーストラリア、アメリカの3国が、特にAPEC(アジア太平洋経済協力)によって地域協力を推し進めようとした。そして、1989年にAPECが実際に発足し、賢人会議が開かれ、私もそのメンバーとなった。さらに、1993年にAPECの首脳会談が初めて開かれ、経済協力が始まり、そのころには、中国が市場の開放、経済の開放を始めていた。インドにおいても、1991年からマンモハン・シン首相が大蔵大臣だった時代に、経済の開放を開始した。

1989年、冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊し、ゴルバチョフ書記長が、ソビエト連邦を解体した。その後、国家主導の産業化を行っていた、ベトナム、ラオス、カンボジア、その他のASEANの国が、市場経済を導入した。このように、1980年代からソ連の崩壊、インドの開放政策への転換といった様々な重要な変化が起こった。1993年当時、私は首相の顧問をしており、6カ月という短い期間でAFTA(ASEAN自由貿易地域)の交渉を行った。世界でも6カ月という早さで締結されたのは、このAFTAだけである。AFTAは“Agree First and Talk After.”ということで、とにかく皆で合意して、 後で交渉しようとした。フィリピンを説得するのには時間がかかったが、最終的には合意した。

2000年以降、繁栄が築かれてきたが、その後、状況はまた一変した。

 

2.「不均衡」の政治経済:協調から対立まで

2016年にトランプ大統領が誕生した。その理由を考えたとき、長年にわたって不均衡があったということに気付いた。不均衡が政治問題になっており、トランプ大統領はこれをうまく利用して選挙戦に勝った。

APECのGDP(国内総生産)のシェアを見ると、1980年、我々太平洋西部は3分の1で、アメリカの太平洋東側は3分の2を占めていた。しかし今、既に太平洋西部は急激に成長して、太平洋東側を上回るシェアを享受している。経常収支を見ると、太平洋西部が黒字、太平洋東部が赤字で、差が広がっている。こうした政治的に受け入れ難い状況がアメリカにあった。2006年、アメリカでは金融問題が既に現れていた。2007年になって、サブプライムローン危機が起こった。FRB(米国連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン議長は、「アジアの人は貯蓄ばかりしてお金を使わないが、アメリカではお金が余っていて、お金を使い過ぎた。それがサブプライムローンを生み、最終的に崩壊した。」と言っていた。これは半分ジョークで言っていたが、半分は真実だと思う。

二国間貿易で赤字でも、貿易全体で赤字でなければ問題にはならないが、アメリカはそうではなかった。経済学の理論において、外国との貿易で赤字がある場合は為替で調整され、赤字は徐々になくなるはずであるが、アメリカドルは基軸通貨なので、為替の調整を受けないのである。

1980年代にアメリカと日本の間に通商問題があった。それが今、アメリカと中国の間で起こり、貿易摩擦が強まってきている。私たちはAPECに年月と時間を費やして、アジア太平洋における経済協力を実現しようとしてきた。しかし、突然トランプ大統領が出てきて、NAFTA(北米自由貿易協定)が見直され、他の協定も破棄された。トランプ大統領はAPECにも協力的ではない。このような経済協力は、今では大きなチャレンジを受けている。

 

3.破壊的テクノロジー:対立か協調か?

米中は今後もしばらくこのような状況になると思われる。そうなると、解決策を見つけるのが難しい。経済の管理の形が米中で違うからである。これも理解する必要がある。中国の経済制度は、国家主導の資本主義、中央管理の経済である。中国はWTO(世界貿易機関)に2000年に加盟したが、WTOというのは、西洋諸国が主導する経済システムなので、中国の制度とWTOの制度はうまくかみ合わない。中国は世界で大きな影響力を持つようになったが、中国の制度をいかに世界の制度に適応させるかという問題がある。中国も外資に対して開放的になってきているが、まだまだこの貿易摩擦は続くと思われる。

同時に、テクノロジーの問題がある。破壊的なテクノロジーが今、台頭してきている。こうした新しいテクノロジーは、さまざまな物事を急速に変化させる。このテクノロジーの台頭により、アメリカと中国のライバル関係はさらに激しくなってきた。今、貿易戦争、そしてテクノロジーの戦争が起こっている。Cold WarではなくCode Warが起きている。

国と国とが争っていようとお構いなく、デジタル革命は進んでいる。日本でも、韓国でも、あらゆる国で起きている。5G、自動運転車などの分野でアメリカと中国が競っている。今、“exonomics”という新しい経済学が登場した。私たちは経済学で、収穫逓減は限界費用の増加を伴うと学んだが、現在、限界費用はどんどん低下している。

現在は脱物質化が起こり、より少ない物質でいろいろなものを製造できるようになった。また、脱貨幣化も起こっている。大衆化も起こっており、誰でもデジタルテクノロジーを使って、オンラインで自分たちのサービス、製品を販売することができる。エンターテインメントに関してもそう。誰もが何でもできる時代なのである。3Dプリンターも現れ、自分で物を作れるようになっており、仲介に立つ人が必要なくなっている。これが新しいテクノロジーで、これから20年たつとどうなるのだろうか。

 

4.アジア太平洋は分断(デカップリング)されるか

私は最近、アジア太平洋の新しい章について研究している。そして、太平洋西部と太平洋東部が分断されていくのではないかと考えている。APECによって統合されたグローバル・バリュー・チェーンは、米中の問題もあって、今、壊れかけている。同時に、太平洋西部の諸国は、日本や韓国、中国がリーダーとなって、テクノロジーを迅速に拡充してきた。なので、太平洋西部にはテクノロジーの選択肢があり、太平洋東部と協力しなくても、テクノロジーを使うことができる。今は貿易とテクノロジー の新しいパラダイムにあり、この東部と西部との競争関係によって、これまであったグローバル・バリュー・チェーンが壊れてしまうのではないかと考えている。太平洋西部は、政治経済の力や技術発展の力によって、より統合されていくと思う。

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