淡路会議声明 2000

2000年8月10日(木) 第1回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

「一つのアジア文明」がかつて存在したことはない。文明は、かつての「ローマ文明」のように特定の主によって造られその後どこにも専有されていないいわば「空家」のような性格を持つことである。「近代文明」はこうした偉大な「空家」である。今日、アジアが旺盛に近代文明を取り込むことを通じて、アジアに共通項が拡がっている。「アジア文明」はこれから造られるべきものである。

IT革命がアメリカを中心として変化を加速しており、いわばグローバリゼーションの時速を10kmから50kmに高めている。しかし、IT革命に日本のように情報の透明性の少ない国においては、その効果を10分の1にも落とす。

日本はアジアの近代化に先導的役割を果たしてきたことは事実だが、今日では「後のものが先になる」ようにもなり、横一線に並んでの競争が行われるようにもなっており、こうしたアジアの新しい事態に対応した新しい再スタートの時であると考えた方がよい。

こうした事態を迎えていながら、日本では「失われた10年」と呼ばれる90年代には、問題に直面して痛みを避け自己変革を先送りし、権力者を批判してよしとする弊が目立った。日本の優れた特徴であった「現場主義」、自分の手でその場で体を張って解決する健全な現場主義の回復が必要である。未来志向の自己変革をあえてする責任感をとり戻さねばならない。

IT革命がグローバリゼーションを加速する事態にあって、偏狭な一国主義は妥当性を持ちえない。世界とともに生きる日本、世界の流れの中で自らを活かす日本でなければならない。

アジア各国は自らの伝統に立脚しつつ、それぞれの仕方で他の文明を取り入れて「混成文化・文明」を形成している。

アジアは偏狭な「アジアのアジア」であることはできない。アジアにおけるアメリカのプレゼンスは不可欠であり、アジア太平洋は、世界に開かれた地域主義、あらゆる地域主義を打破する地域主義を志向すべきである。

西欧やアメリカが、かつてはアジアを切り分けて自らのためのものとし、アジアが「奇跡」といわれる発展を示すようになると急にAPECやASEMでアジアに目を向け、1997年7月の通貨危機が起こるとアジアの役割を日本が果たすべきで、急速に冷淡になるような事態を許してはならない。アメリカの優れた点を補完し、健全で人間的なものを加えていくアジアの関与を導き出す努力が、日本をはじめとするアジア諸国に求められる。

(具体的な提言)

以上の議論を踏まえて、開かれた前向きの提携として、日本とシンガポール、さらに韓国とのFTA(自由貿易協定)締結を促進することを提言する。日本人は、古い国内的障害に立ちすくむことなく、柔軟に国際的相互補完関係を形成し、経済社会の新たなダイナミズムに点火することを志向すべきである。このことを「淡路会議」から発信したい。

日本がアジアに対する感受性、アジア各国の文明に対する国民的理解力を高めることが重要である。アジアのよき要素を理解し、鑑賞し、評価すること、アジアの知的人材に活躍の場を提供することが、「淡路会議」の役割である。「多文化共生」のために、淡路出身で民間外交を早い時期に実践した高田屋嘉兵衛にちなんだ賞を設けることも提唱したい。

アジア太平洋地域において、国と国の関係を超える民間レベル・地方レベルの交流を通じてのコミュニティ・ビルディングを「淡路会議」は求める。シビル・ソサエティの充実とそのネットワークがこの地域でも急速に進んでおり、それを視界に入れた若々しい集まりを志向すべきである。

関西国際空港のための人工島を造るための土を採った後に、美しい自然を回復したこの地、1995年の大地震の震源地でありながら明石海峡大橋を開通させ、国際会議場と夢舞台を建築したこの地には「復活のドラマ」がある。この地を新しい世界におけるアジア太平洋文明の震源地、発信地とすることを、「淡路会議」は宣言する。

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