淡路会議声明 2010

2010年8月7日(土) 第11回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

日本は、歴史的に鮮明な国家目標を持っていた明治の時期、『坂の上の雲』の時代に近代化に成功した後、第一次大戦後の世界的変化への対応に失敗して一度転落し、戦後、廃墟の中から再出発します。安全保障はアメリカに依存しつつ、強兵抜きの富国をもって平和的な発展を遂げ、世界第二の経済大国となったのが戦後日本です。民主主義を定着させ、経済的にも格差の少ない豊かな社会、人に優しい社会文化をつくり上げ、対外的にもODA(政府開発援助)や災害救援等に示されるように途上国を助け、他国にも優しい関係をそれなりに築きました。1980年代の世界一のものづくり国家といわれる時期が戦後日本のピークだったと思います。

ただ、日本の場合、敗戦など衝撃的な事態に陥ったときに一致協力して懸命に努力するのは得意ですが、高い位置を得た後、さらに良き新たな姿を求めて前進することは得意ではない。過去に成功したパターンを変えずに次の局面につまづきがちです。80年代末の冷戦終結に向う時期に新たなる目標の再設定ができずにバブルにふけって失速・転落しました。「失われた20年」に国際的に存在感をなくし、低迷する日本です。何故なのか、どうすればよいのか。そういう観点から、1980年代、1990年代の「東アジアの奇跡」でとりわけ目覚ましい発展を遂げた中国、韓国を見つめながら、わが国の在り方を考えようというのがこのたびの淡路会議です。
井植代表の挨拶にあったように、1960年代に韓国へ行くと「ケンチャナヨ」(Don’t mind、気にしないで)という言葉がよく聞かれた。ところが1980年代には「パリパリハセヨ」(早く早く)に変わっていた。ハイアールとの提携で中国へ行けば、「馬上行動」と、スピードが大事だという社会に変わっている。ちょうど日本の1960年代の「モーレツ社員」「神風タクシー」の姿をアジアの隣国が呈している。それに対して、今、日本の若者は内向きになり、外国へ行きたがらないという。

韓国の躍進の秘密については、尹德敏先生や小此木政夫先生から洞察に富む指摘を得ました。韓国は1960年代以降、朴正煕大統領の下で国づくりと経済建設を進めてきました。そして1997年の東アジア危機におけるIMF(国際通貨基金)の介入をてことして跳躍した。世界に目を向けて外向きに動くダイナミックな競争社会の国に変わり、人々は内向きの安全策ではなく、リスクをとる果敢な行動を尊ぶようになった。民間の気運のみならず、国・政府の政策・戦略も大変なものでした。金融規律を正しただけではなく、産業調整を強引に行い、力強いリーダーシップによって電子はサムスン、車はヒュンダイに集中させて競争力を高める措置を取りました。今、アジア諸国だけではなく、アメリカ、ヨーロッパとも次々にFTA(自由貿易協定)の協議を実らせており、李明博大統領は「グローバル・コリア戦略」を打ち出しています。

そのような国際戦略を取る社会では、外国で勉強してディグリー(学位)を取った人がエリートになります。その人たちは韓国に戻っても、外で機会を見いだして世界で活躍します。それはリスクを取り、競争する勇敢さが相まって、大変に力強い動きとなっています。もちろんそこにはひずみや二極化もありますが、韓国アイデンティティの強い社会ですから、外国のものを取り入れすぎるほど取り入れて、ちょうどいいバランスに落ち着いていくのではないでしょうか。要は国のリーダーシップによる方向づけと、民間の息吹や気風が結びついて、日本の人口の半分以下であり、日本以上に少子高齢化が進む韓国が、これほど元気に多方面の国際的活躍を繰り拡げているわけです。

中国の矛盾をかかえながらの躍進については、毛里和子先生より分析をいただきました。鄧小平氏が1980年を前に改革開放、その後、1992年の南巡講話により国家戦略としての経済成長戦略を世界の市場の中で達成する路線を取りました。30年にわたる高度成長の中、みんながもうかる、みんなが豊かになることで、集団間の諸問題を押さえて走ってきた感があります。特にリーマンショックは世界中の経済に甚大な衝撃を与え、中国でも農村部から沿岸部への出稼ぎが止まりましたが、地方自体が大変な奥行きを持っています。東アジアの雁行的発展がありましたが、中国国内でも雁行的発展があり、全体として巨大な活力をもって動いている。上海が駄目でも他地域が元気で、その元気がまた上海にも返ってくる。今後、当分の間、8%成長を続ける可能性も少なくないだろうと見ることができます。

バブルの危険、けたたましい規模の陳情や暴動、腐敗といった問題もありますが、党に集められた優秀な人材群の能力、そして政府の手中になお残されている、日本とは比較すべくもない幅広い権限により、相当な対処能力を中国は持っていると考えねばなりません。ただ、やはり曲がり角に来ており、現行の乏しい政治的自由、意思決定方式のままで、どこまでもいけるわけではありません。

そこで中国民主主義の将来が大きな問題になりますが、現在の中国は多くの人民を飢え死にから免れさせ、より良い暮らしを国民に提供できるシステムです。大局として見れば、太平天国の乱や義和団の乱のような事態になって体制崩壊に至るとは考えにくい。韓国・台湾型か、インドネシア型か、もしくはシンガポールのような柔らかい一党体制的なものかはともかく、苦吟しながら中国なりの民主化を模索していくことにならざるを得ないと思われます。第四世代のリーダー層が民主を目標と感じながらそれを恐れてもいる中で、中国なりの答えをどう出すのか、それは中国だけの問題では済まないインパクトを持つことでしょう。

もう一つ、中国が世界経済危機の中でたくましい力を経済的な面で示してくれるのは、近隣アジアをはじめ外部世界にとって救いです。しかし同時に、軍事的な膨張を追求している点は大変危惧されます。伝統的なパワーポリティクスの国際政治観から脱却できず、アメリカ覇権への対抗という観点から周辺海域や太平洋・インド洋での支配権を求める中国では困ります。もう帝国主義の時代ではない、グローバル化、相互依存の時代であるという認識を持っている人も中国内に少なくありません。それを活性化させて一緒にやっていくことが、アメリカ、日本をはじめ、韓国、東南アジア諸国にとっても重要な課題になります。

中国人は世界のあらゆる場所を自分のリビングルームにしてくつろげるたくましさを持っています。そして中国や韓国のリーダー層の活力も日本が学んでいいところかと思われます。中韓は日本の限界を克服するプロセスにあるのだとの指摘がありましたが、韓国、中国を見て日本が鏡に映し出されるように見えてくるのが、日本国民の、特に若者の「守り」の気風です。和を重視するという古来の美風の一面かもしれませんが、内向きで、3Kを嫌い、リスクは取りません。そして既得権の尊重がしっかりと法制度化されていて、少数者の意見が全体をストップできるという、不思議な、極端な状況すら見ることができます。その上に立ってのリーダーシップは国家戦略を打ち出すことができず、次々に押し寄せる大波に漂流しているかのような姿を呈しています。今日の日本にとって、敗戦や大転落を経ることなく再浮上の軌道に乗ることができるでしょうか。圧倒的な危機状況であるという認識を持つことが、本当に転落せずに再浮上する鍵だと思います。すでに大転落にあるとの危機感を共有して、敗戦をもう一度招くことなく、蘇らねばなりません。

若者の気風を嘆いて済むものではありません。決して全員が内向きなのではなく、やる気のある若者は幾らでもいます。要は社会の気運づくり、教育次第です。若者の気運はこんなだといって社会や大人が負けていてはいけないと思います。

そして、近年の大きな流行は官僚否定ですが、ではアメリカのように官僚に代わるシンクタンクが右から左まであらゆる問題について次々に構想を発表し得るのかというと、そういうものがありません。そんな中で専門的に精緻に計算してプランづくりをする官僚を否定すると、専門的知識を持たない政治になってしまう危険性があります。マニフェストの不十分さにもそれが示されているかと思います。

必要なのは、開かれた質のいい認識を社会が持ち、政府がそれを活用していくことです。その意味で人材育成と、そこから出てくる知識の活用が極めて重要です。しかし日本は、中国のようなリーダー層のつくり方、韓国のような外国で勉強させるやり方をしてきていません。差別をしてリーダーをつくるのではなく、普通の人たちみんなが読み書きそろばんがきちんとでき、モラルもしっかりしていて、おしんの頑張りを持っていることが日本の強みでした。しかしながらこの強みは、近代化が成功し、社会が多元化・成熟化するとともに不可避的にばらけてきます。それぞれの好み、志に応じて、多様な人たちが社会に生まれるのが先進社会のどこでも変わらぬ姿かと思います。そういう中で日本は、リーダー層、それを支えるエリート専門家層をどう調達するかという根本問題に直面しています。既成エリートへの批判は強まるが、新しいエリート層の用意がまだ十分ではありません。文化やスポーツ、あるいは医学など個別の専門分野で格別の知識や身に付けたものを持って活躍する人たちを大いに励ますことも大切です。

この社会のモノの生産は20%の人で足りるという指摘がありました。あとの80%は失業して先進各国の政府はみんな不安定だというお話でしたが、社会の中の多元的な人材を励まして活躍させることが、先進社会に不可欠です。単に経済活動にとどまらない広がりが必要です。どんなに地方分権が進み、市民社会が発展しても、中央政府が放棄できない仕事が3つあります。外交、安全保障、そして全国レベルの制度設計です。政治が社会にあるビジョンを活用し、リーダーシップを発揮して全体的な制度づくりをしなければいけません。民間社会、地方の重要性も、そういう中で注目されなければならないと思います。

そのように日本の課題は極めて大きいのですが、もう一つ強調された点はグローバルガバナンスへの参加です。とりわけ日本にとってお隣の韓国との関係を大事にする必要があります。今年は日韓併合100周年です。われわれ日本人は思い出したくないかもしれませんが、韓国の人にとっては深く心の中によどんでいる傷です。この瞬間に日本政府が無視をすること自体がハラスメントであり、傷を深めるゆえんです。村山談話にせよ、細川談話にせよ、小泉談話にしろ、小渕談話にせよ、韓国に対して大変まっとうな、日本の責任を意識した言葉が既に出ているのです。その線上で現政府なりの心のこもった言葉を出されればいいのではないかと思われます。

大事なことは民間の協力であり、特に日韓でFTAを進めることです。同質性が非常に高くなっている日韓が、体は一つなのに頭ではすぐ争い始めるという状況を超えて協力関係を持つことが、日本がこれから内向きを超えて進む上で大事なことです。そして中国という巨人と対話をして、中国文明はどのように歩むのかについての良き相談相手になって、ともにアジアをリードしていくことも必要かと思います。

日中韓の三国という枠組みができましたので、それを大事にしてこの地域の問題に対処するとともに、グローバルガバナンスに参画していかねばなりません。ひるがえって日本の各所で具体的な試み、取り組みを行うことが大事だと思います。この2日間の会議で元気な隣国たちを見て、国の浮沈興亡を左右するのが、全体的リーダーシップと社会の国民的気運の結びつきであることを知りました。それだけに、この会議で語られた技術立国日本、環境立国日本、淡路での農業特区、海洋牧場といった夢のある試みの一つ一つを勇気を持って推進する。そうしたことが日本全体の気運につながることを淡路会議は期待して止みません。

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