淡路会議声明 2012

2012年8月4日(土) 第13回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

このたびの東日本大震災の困難を見るにつけ、阪神・淡路大震災は大変立派な復興を速いスピードで行ったと思います。しかし、今よりもはるかに官僚機構全体の規制は強く、経済特区を認めてほしいと知事以下がどんなに言っても、一国二制度は認められない、法体系の整合性を揺るがせてはならないとはねつけられました。また、国費は復旧に使っていいが、創造的復興に使ってはならない。より良いものを作るならば、地元神戸のお金でやりなさいと。あの状況でできるわけがありません。結局、国のお金を使って、無駄なアンシャンレジーム、古いものに戻すことをしてしまったのが、あのときの一面だったと思います。

そういう中で、地元神戸がこだわって、これはやりたい、元に戻すのではなくて新たに作りたいといったものが幾つかあると思います。その一つが神戸東部新都心(HAT神戸)です。今、シンクタンクやJICA(国際協力機構)、WHO(世界保健機関)など、いろいろな国際機関や研究所が集積しています。世界の防災会議的なものを開催するとすれば、まず神戸です。「KOBEアクションプラン」とか「兵庫行動計画」ということが国連でも口にされるところを見ても、それは大変意義あるものだったと思います。もう一つは、西宮市にある芸術文化センターです。佐渡裕氏の指揮で演奏会などをよく開催していますが、どんなに市民にとって憩いになっていることでしょうか。もう一つが、この淡路夢舞台であり、その中のサブスタンスである淡路会議であり、アジア太平洋研究賞です。そういうソフトだと思うのです。20世紀、太平洋は不幸にして血みどろの争いの場となりましたが、これからの太平洋を取り巻く地は大変異質で、決してアジアは一つではなく、一つ一つでしかないと言われながら、対話を行い、共存して、お互いの文化をエンリッチしていくことができる、やるべきだというのが、この淡路会議の設立趣旨だったわけです。

今回の記念講演はそれぞれに素晴らしいものでした。山崎正和氏の講演は、グローバルな視点に立ち、さまざまな人類の諸文明の中で、西洋文明の違っていたところは、「異種共生」多くの中小国が対抗しながら併存し、それが互いに刺激を与えてキャッチボールをし、その中でお互いに強靱化し合うことができた。多様性の中でのインターアクションが、西洋文明を他の文明と違った強靱なものにしていったという考えに立ちながら、近代日本が非西洋社会の中で、西洋文明を受け止めて、投げ返す先駆的な役割を果たしたということです。

そして今、東アジアが大きく勃興している。明治以来、日本ばかりが先行していた感が60~70年代ぐらいまであったかもしれませんが、それ以後の「東アジアの奇跡」の中で、これが一つの面的な経済発展連鎖となりました。大平内閣の言葉で言えば、「環太平洋」のインターアクションの場に進んできました。そういう異種共生、多様なもの、異質なものが交錯し合う最前線にわれわれは位置しています。そういう意味で、2000年にわれわれが「アジア太平洋フォーラム」なのだといって始めたものについて、人類史的な意味付けをあらためて得たと感じます。

小宮山先生の報告は大変インプレッシブなものでした。少子高齢化というと、日本人の多くは宿命的悲観論の方に誘われるのです。悲観的に受け止められがちなものを、魔術のようにポジティブに換骨奪胎して、少子化は克服すべきではあるが、長寿化は歓迎すべきことである。日本は既に公害にせよ、エネルギー危機にせよ、立派に克服してきた。衣食住・移動・情報が行きわたる世界、飽和点、先進諸国では内需拡大はもう無理であるかもしれないし、人口減少する日本ではあるが、そのことは逆に言えば、エネルギー効率を高めれば、自然エネルギーをもってしてもかなりの部分を賄えるようになると。そういうことを行う日本はモデルたり得る。「課題先進国」である。日本らしい特徴をもって、チャンスでもあるし、国際的な貢献もなし得るのだというエンカレッジングなお話をいただきました。

井戸知事の報告は、淡路島の荒れ地として放置されているところにメガソーラーを敷き詰め、平野にしていく、新エネルギーの先駆的な地にする。あるいは二地域居住、都市と農地を行き来する滞在型農場のようなもの。それを含めて、定住人口の減少は宿命かもしれないが、交流人口は大きく膨らませていくことができるという展望を語られました。

また、高齢者人口増の急坂はあと10年ほどで、その後はややなだらかになるので、今が正念場である。これは小宮山先生も強調された点ですが、60~75歳の高齢者の人材を有効利用する、女性人材を活用することでしのがねばならないということです。

少子化の克服については、あまり議論はありませんでしたが、われわれに共通してちょっとしたがっかり感がこの問題にはあるのかもしれません。というのは、3年前の民主党政権への大きな政権交代が、それに対する答えを与えるのではないかという幻想がありました。確かに子ども手当でお金を渡すということをしましたが、そういうばらまきであっては答えにならないという批判や財政状況の下で、結局それを中途半端に引っ込めてしまいました。政権交代の機会にやるべき長期的・構造的問題に対して、むしろお金を渡すというよりは、子どもを育てていけるような社会の制度やインフラをしっかり作る方向でやっていれば、この機会はつかめたかと思うけれども、それができなくなったということで、今、われわれは機会喪失の思いをしているためか、このたびあまり議論はなされませんでした。

近代日本が明治以来の欧米へのキャッチアップを中心努力として、官僚主導・中央集権制で図ってきました。ところが、先進諸国に並び立つところまでキャッチアップを成しますと、その後どう振る舞っていいか分からないという姿が見えてきます。そういう状況にある日本のビジョンが示され、コンセンサスが国民的にあってこそ人づくりも可能になる。自分のコミュニティを大切にし、人一人ひとりの尊重、民の自立、地方分権ということを踏まえて、日本らしい、共に生きていくことが課題であるというご意見を先ほど開陳していただきました。

熊本では愛郷心が非常に強く、地域と密着した活動が熊本県立大学の学生の間で非常に多いのです。和水(なごみ)町へ学生が定期的に行き、そこで放置され荒廃していた里山を、和水町の人たちや、近くに立地した企業の協力を得て、一緒になって田畑を再興させているのです。熊本の豊かな食材も、淡路と同様にいろいろあるわけですが、それを生かして、高校生と一緒になって新しいレシピなどを作り、毎月1回みんなに食べてもらうようなことも実施しています。

そういうことは大変結構だと思います。同時に忘れないでほしいのは、地域の中の認識だけでやっているのではなく、全国的なレベルの、先端的なものもこなさなければいけない。また、国際水準を身に付けながら、あらためて地域をしっかりと良くしていく。始めから終わりまで、地域のことしか知らないというのでは、あまり変わったことはできない。やはり異種共生です。世界のさまざまな試みや、高い水準での認識を取り込みながらやれば、本当に素晴らしい地域への貢献になると思うわけです。

今日の議論もまたそうです。グローバル化の時代における普遍性のある対処とは何か。飯盛先生からは、地域活性化ゼミに60人も殺到するというお話を承りました。地域という場に行き、自分で考え、行動する力を身に付けてもらうような、インプレッシブなゼミを試みていらっしゃるということで、大変感銘深いものでした。その中で、概念か理論かということをレクチャーする。そしてケースメソッドがあり、場があるとのことでした。このプラットフォームアーキテクチャーということは、普通、大学ではなかなか組み入れませんが、そのような指導をなさっているということを大変興味深く伺った次第です。

家次社長からは、グローバルな環境において「割り負けしない」人材という言い方で、自分の考え方、志とチャレンジ精神を持ち、異なる価値観・文化をこなせる、そしてコミュニケーション能力のある国際人材を育成しようとしていらっしゃるというお話と、企業の現場で実際に行っていらっしゃるお話、大学と企業双方でのそのような試みを大変感銘深く聞かせていただきました。

日本社会全般については、いろいろ問題があります。いつの時代にも問題はありますが、今日の日本は親離れがなかなかできない、マチュアな人間形成ができていません。日本的な特徴を持ちながら、グローバルな役割を果たせる人材をどうつくっていけばいいか。それについて、今の若者がやるべきこと、こなすべきことは多いのです。心構えの問題、そもそも乳離れの問題はありますが、それとともに英語という国際共通語をこなし、インターネットリテラシーというものを身に付けなければ、とても国際的にやりとりできません。逆に、その両者があれば、少なくともツールの面での両輪があるということになるかと思います。

指摘がありましたように、道具があればいいというわけではなくて、国際感覚のようなもの、多様な異質の文化と、世界がどう動いているかという世界の文法を知ることが非常に大事です。国際社会は絶え間なくルールメーキングをしています。それに乗り遅れてしまって、どうせわれわれはやられてしまうなどと言って、TPPの交渉にも加わらないというのではなくて、その中に入って議論に勝てるような人材を築いていかなければやっていけないでしょう。

テクニカルな対処能力の元にあるのはリベラルアーツです。人としての器量を耕す、人としての豊かさを培う、その原点は命の尊さに対する感受性をしっかり持った人ということになると思いますが、立派な人としての土台を持っていることが根本です。そうした何層もの課題というのは実に多重的で大変です。日本の教育が下の落ちこぼれを気にして、全員に何とかこれだけはこなさせようと努力をしている中で、今のように英語・インターネットをやり、国際感覚・世界文法を知り、そして古典的な素養や豊かな人間性を身に付けるということはなかなか容易ではない。これはみんなにお願いはしますが、皆ができることではない。志ある人だけでもいいからエリートやリーダーをつくる教育をしてほしいのです。日本は、ノーブレス・オブリージの志を伴ったエリート・リーダーが少しもいないという社会にしてしまってはいけないのです。世界のどこも、全員がということは期しておりません。ちまたには、こんなことでいいのかと思う人が欧米社会にもごろごろいます。でも、しかるべきところにはしっかりとリーダーがいて、責任感を持って頑張っているし、世界の中で動かしながらやっているのが実際だと思います。

そういう中で、この会議で大きな議論になったのは大学教育です。これは中高レベルからの問題でもありますが、大学教育はこれでいいのかということがありました。特に日本の企業は本気でグローバル人材を望んでいるのか。もちろん各社にはそれぞれの必要とポリシーがありますから、一つのタイプのグローバル人材を求める必要はありません。しかし、全体的に見ますと、例えば海外経験者、留学者を日本企業は有効利用していません。留学者はそこで外国の人と数年を共にすることで生涯の友人を持ち、深く理解し合う。ある水準のコミュニティを形成する機会を持つわけです。そういう人が帰ってきた場合、あるいは青年海外協力隊から帰ってきた場合、あるいは外国人のマネージャーが日本で就職してもいいという場合、その能力を活用できる内部システムを日本の組織は持っているでしょうか。これはやはり反省しなければいけない点だと思います。

戦前には「坂の上の雲」のように日清・日露の国家的危機を克服した時代があり、戦後には大きな経済発展の時代がありましたが、一つの成功体験がその後をかえって誤らせるという局面に、この20年があったのではないかという指摘がなされました。そのことを嘆いているのではなくて、東日本大震災を機に変わっていく、変わるチャンスがあるのです。それは、淡路のこの場でも、日本全体での日本社会のリーダーづくりでもそうであります。偏狭な、独善的な「わが国尊し」ではなく、穏やかな自信を持ちながらグローバル水準をこなし、多くの国々とやりとりをしながら、そのインターアクションの中で超えていくという局面に進んでいかなければならないのではないかという議論が多くなされた会議でありました。

今年のテーマ設定のときに、「日本の未来と人づくり」というのは途方もなく大きなテーマで、空中分解するのではないかという心配をわれわれは持っておりました。しかし、やってみたところ、皆さんの水準の高い識見によって、例年にも増して豊かな議論がなされました。皆さんに素晴らしいコントリビューションをしていただき、充実した会議となりました。

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