淡路会議声明 2013

2013年8月3日(土) 第14回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

1972年にローマクラブから「成長の限界」という報告が出て、翌73年には第一次石油危機が襲いました。中東の政治動乱が世界および日本の経済の存立を揺さぶるという事件から40年目に、エネルギーにフォーカスした2日間の討論を行ったことには、感慨深いものがあります。

十市先生、ハーバーグ先生、齊藤先生から、記念講演があり、その質の高い報告に2日間の議論が大きく支えられたことに、まず敬意と感謝を表します。

近年のエネルギーをめぐる世界の状況は流動的ですが、2011年には二つの出来事がありました。一つは「アラブの春」といわれる政治的変動が中東の政治的不安定をもたらしたことです。日本は今なお、石油の9割近く、ガスの4分の1をペルシャ湾にあおいでおり、もし中東におけるコンフリクトが激化した場合には、1973年の石油危機、さらにさかのぼって1941年の日本にとっての石油危機に劣らない重大な事態も憂慮されます。また、福島原発事故が大変大きな問題になっていることは、このたびの議論に示されたとおりです。

もう一つは、シェールオイル・ガス革命です。ハーバーグ先生から、アメリカにおいて頁岩(けつがん)層からシェールオイル・ガスを取り出す技術が実り、それが世界のエネルギー事情を大きく動かしているという現場からの話がありました。これまで巨大なエネルギー消費者であり続けたアメリカが、エネルギーの輸出国に転じていくわけで、そうなれば、国際的なエネルギー需給バランスは激変します。シェールガス、シェールオイルは、世界中に普遍的に埋蔵されているので、アメリカが開発を始めたら5~10年のうちに世界中が追随するという見方もあるけれども、複雑で洗練された技術やさまざまな条件が必要である上、大量の水なくしては取り出すことが難しいので、他国では意外に時間がかかるという認識も与えていただきました。

もう一つ論議されたのは、アメリカが中東への関心を低下させ、中東からの撤退的状況が生まれるかどうかです。アメリカにとって中東は、単に石油資源だけの問題ではなく、アメリカにおけるユダヤ人の社会的比重の大きさからしてイスラエルを見捨てることは極めて困難であるし、武器のマーケットとしても重要な地域であることは確かです。しかし、それでもアメリカの中東への関心は、エネルギー関与の低下とともに下降に向かうだろうとハーバーグ先生は指摘されました。他方、アメリカは貿易収支の大きな改善を得るであろうし、世界のシーレーンの問題、あるいはアジアへの関与は深まる方向に動くだろうと。アメリカは自己満足に走るのではないかという厳しい疑念もフロアから提起されましたが、アメリカが前向きな国際公共財的な役割を強めることを期待したいと思います。

さて、アラブの春、シェールオイル・ガス革命と共に大変重い問題が福島原発です。ヒロシマ、ナガサキですり込まれた核への恐怖から原発をヘジテートする面が強かった戦後日本です。だが、原発はむしろ安全で安価でクリーンなエネルギー資源であり、資源を持たない日本としては極めて望ましいエネルギー資源との認識にようやく到達しかけたところで福島原発事故が起こるという、大変皮肉な結果となりました。国民の間に大きく深い不安が広がっているのみならず、専門家と政府への不信感が根深く形成されたことが、会議で繰り返し指摘されました。

人々は正体不明の恐怖に動かされる、これをどう越えるかということについての齊藤教授の報告は、非常に示唆に富むものでした。教授は経済学者ですが、専門外の原発の実装について、社会科学者としてのメソッドの確かさと知的誠実さをもってアプローチされ、完全解のあり得ない問題である中で、可能な限りの考察を示されました。

また、分科会では、子どもを連れて福島から今なお避難しているお母さん方が持つ苦難への共感の重要さが指摘されました。この問題は、啓発という上からの一方性に立っていては解決せず、市民と共に考えて認識を共有していくことが不可欠です。その土台は、深い内容認識を識者が提供することにあると、この会議の議論の意義が指摘されました。また、国家レベルでは原子力委員会が頑張りどころですが、それは国民的な広がりの議論と相まって進められなければいけない。原発についての問題の難しさは、放射性廃棄物、特に使用済み核燃料の処理にもあり、これは容易ならない問題であり続ける。そして、何か起こったときのリスクの巨大さの問題とリスクの発生確率の問題は弁別して考えなければいけないという指摘がなされました。

齊藤先生からは、福島第一原発の1~5号炉は1970年代に稼働を開始した第1世代(MarkⅠ)のものであり、当初予期されていた40年という寿命を、2005年に60年に伸ばしたところを大地震津波に襲われたとの説明がありました。そういう意思決定がどのようになされたのかも関心を引かれますが、ともあれ、古くて性能の低いものがあのような悲惨な姿を呈したのに対して、1981年に基準が強化されて以降のMarkⅡでは安全性のレベルが全く違う。それとてヒューマンエラーが加われば絶対に安全ということはないし、もともと大変やっかいな代物であることは間違いないけれども、福島原発の衝撃の大きさに圧倒され、第2世代、第3世代のものにまで、そのイメージを被せて語ってはならないということを教えられました。

そういう弁別を了解した上で、世界各国の原発問題への対応には三つのグループがあると、十市先生が分析されました。一つは、ドイツやスイスのような脱原発派です。ドイツの場合は価格面での難しさもあるし、ヨーロッパには電力網が張り巡らされていて、ドイツだけで成り立っているわけではない。フランスの原発でつくられた電気を輸入することができる。そういうことに支えられてのドイツの決定であろうと考えられます。逆に、ほとんどの主要国は原発継続派です。再生可能エネルギーが50%を占めているスウェーデンも、藤井元大使の言葉を借りれば、恐ろしく現実的な決定をしたということですし、中国は安全性の高い第3世代の原発を大量にこれから造るということです。三つ目のグループは新原発派で、新たに原発国に加わるのがベトナム、トルコなどです。ヨーロッパ全体では、原子力、ガス、石炭、水力を含めた再生可能エネルギーがほぼ4分の1ずつの構成で、かなり望ましいバランスのとれたモデルを示しているという指摘がありました。

さて、この会議では、新エネルギーについて、かなりの希望も語られました。EV車(電気自動車)、燃料電池の開発・配備が案外遠くないかもしれない、創エネ、省エネ、蓄エネを、家庭、店、ビル、さらにはコミュニティ全体で進めるという対応が、非常に大きな変化をもたらし得るのではないか。また、水素エネルギー社会も案外遠くないのかもしれませんし、デジタルグリッドの説明から、新しい技術と結び付いた新しい生活スタイルが案外早く来る可能性があるのではないか。再生可能エネルギー(水力除く)は、この10年で2倍に増えている。といっても、ほんのわずかのものであったのが、全体構成の1.6%まで来たにすぎないけれども、これらの可能性をしっかり追求し、再生可能エネルギーの比重を高めることが不可欠であることは、ほとんどの人が一致して認めたところです。

そのことを踏まえて、日本にとって何がベストミックスなのか。一つは、日本はエネルギー源を多様化・多角化すべきであるということです。ペルシャ湾だけに依存するという在り方を改める中で、再生可能エネルギーの開発と省エネの技術と社会的対応を進めるという二つが、日本が頑張るべきところではないか。二つの石油危機の後には、エネルギーを欠いている日本がむしろ先端的な役割を果たしたわけで、現在の危機も、逆に積極的な展開の機会にしていくことが、多くの参加者の望むところです。

それに対して合意困難であるのが、原発の問題です。再生可能エネルギーの開発を急ぎながら、当面は天然ガスでつなぎつつ、古い原発は廃炉にし、安全性の高い原発は安全度を高めながら使ってつないでいくのが望ましいのではないかというのが、3人の報告者がほぼ示された線であったと思いますし、いろいろと疑念を呈する議論があっても、対処としてはそのあたりだろうと思います。

なぜかというと、1941年、1973年のようなエネルギー危機をまた繰り返せば、それは国民生活を危殆に陥れるからです。1980年に総合安全保障の研究会がまとめた報告書では、総合安全保障は、国防・軍事安全保障と、資源・経済の安全保障と、大災害から国民を守ることという三つの柱から成るとされていますが、今はそれを「大災害・大事故から国民を守ること」と読み加えなければならないと思います。そういう総合的な安全保障の観点に立てば、原発が怖いという実感の中で短絡的にストップをかけるのではなく、事故を抑えながらつなぎとして使っていく必要がありますし、廃炉にするとしても、そのためには人材と財源が不可欠です。直ちにやめてしまうということでは人材と財源も失われるので、しっかりと撤退戦を完成するためにも、安全性の高い一部は使わなければならないことが強調されました。また、中国沿岸や韓半島にたくさんの原発が並ぶことを考えれば、日本がやめたら済むという問題ではなく、国際社会での原発の安全を支える技術協力を日本がするという心構えを持つべきでないかという指摘もなされました。

ともあれ、当分の間、原発を安全性を確かめながら造るとしても、大事なことは、市民レベルの認識共有です。スウェーデンでは、政府と市民の対話の上で重い決定がなされたということですが、それが可能になる土台は、識者の確かな認識が提供され、それが信頼されることです。理解、認識の共同体を広げていくということがなくては、事は始まりません。その意味で、この2日間の会議は、簡単な合意・結論には至らないけれども、非常に有益な土台形成の場であったと思います。

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