淡路会議声明 2017

2017年8月5日(土) 第18回アジア太平洋フォーラム・淡路会議

私は聴衆として、最後までわくわくぞくぞくしながら聞いていました。新しく知ったこともたくさんあり、考えさせられる問題も数多く出てきました。本当に楽しく、また、知的な会議であったと思います。皆さんに本当に感謝を申し上げます。

今回のフォーラムでは、ロボット・AIの現場、現状を垣間見ることができた意義は大きかったと思います。ロボットといえば、我々世代にとっては1999年にソニーが発売したAIBOです。これは当時、25万円で売られていました。それから、今回初めて知ったのがGateboxの逢妻(あずま)ヒカリです。あのようなホログラムが毎日、「おかえりなさい」「いってらっしゃい」と言ってくれるというのはいいなと思いましたし、そのように和みを与えてくれるものも一つのロボットであると感じた次第です。ただ、一人暮らしを支える癒しキャラであるが故に、今後これが普及することによって独身者が増え、少子高齢化の日本には逆効果になるのではないかという心配もでてきました。そこで調べてみたところ、実は逢妻ヒカリはインターネット注文のみ受け付けており、販売期間は2016年12月14日から2017年1月31日でした。さらに発送は2017年12月以降であり、台数は300台オンリーということで、少子高齢化に影響するというのは杞憂に終わりました。

今回、いろいろなお話を聞いて、石黒先生が研究しているようなロボットを産業界が利用できるかというと、それはできないということを初めて知りました。AIというと、藤井聡太四段のニュースと共に話題になるのがBonanzaという将棋ソフトです。さらに碁ではAlphaGo(アルファ碁)がすごいということで騒がれていますが、AlphaGoを開発した会社が、そこまでできるAIなら他の業務もできるのではないかということで開発を命じたところ、全然うまくいかなかったといいます。つまり、現場を見て分かったことは、AI・ロボットは単機能を見ると本当にすごいのですが、総合力としてはまだまだであるという現実です。

しかし、私のわくわくどきどきする気持ちは、それで止まったわけではありません。昨日の国際シンポジウムでは4人の先生方にご講演いただきました。その中でどのようなことに私自身が興味を持ち、驚いたかということを最初にお話ししたいと思います。まず、石黒先生からは、PCからパーソナルロボットの時代になるというお話がありました。新鮮だったのは、アンドロイドは欧米ではウケなくて、日本で初めてウケるロボットなのだということです。また、もう一つ驚いたのは、現在のアンドロイドはまだAIを搭載していないということです。今後、AIを搭載するかもしれないけれども、まだその段階ではないということでした。そして最も驚いたのは、アンドロイドを作るのは人間を知ることが一番大きな目的だとおっしゃったことです。われわれ人間はやはりロボットより上なのだという認識に共感いたしました。

続いて濱口先生からは、四つのtaxonomyというお話がありました。横軸の右側にはA or B(どちらかを選択する)という世界、左側にはA and B(どちらも選択したい)という世界があり、縦軸は上がobjective、下がevaluationという4象限で、右上の第1象限にアメリカ、その対角線上にある第3象限に日本、第2象限に中国、第4象限にヨーロッパが位置するというご指摘でした。そして、石黒先生との対話の中で、アンドロイドは一番曖昧なところにあり、それ故に日本でアンドロイドが生き続けているというお話もすっと腑に落ちました。初音ミクはインドネシアで非常に人気があり、公演もしたと聞いて、東南アジアはやはり日本と同じ象限にあると感じました。ということは、このタイプの活動を日本が深めていくとすれば、それが売れるのは東南アジアではないかという気がしました。

その次が太刀川先生のお話でしたが、私はその中で出てきた「結合」というキーワードに非常に感銘を受けました。結合が革新を生むということで、そのような言葉をデザイナーから聞けたというのは非常に新鮮でした。殊にiPhoneに関しては、経済学者は中身を分解してそのパーツを全部取り出し、このプロセッサーはアメリカのもの、このモニターはシャープのもの、カメラはソニーのものというように分類し、そして鴻海が中国の工場で作っているということで、その付加価値(value added)を考えます。要するにiPhoneは中国で作られていますが、実は中身も全て中国で作っているわけではなくて、ほとんどのパーツが輸入されています。では、中国の付加価値は何かというと、本体の価格の5%の労働賃金だけです。経済学ではそのような分析しかしないのですが、太刀川先生はそれをビジュアルで見せる形で、見事にこの中身を分解されました。いろいろなものを並べて、これらが結合してiPhoneに昇華したのだ。それを可視化して、最先端のデザインとはそのような新結合によるものであるというご指摘でした。

同時に、その対極にあった説明が「過去に戻る」というお話です。山本山の事例がありましたが、昔の原点に戻るということです。デザインの造形や意匠は普遍的でタイムレスな古いものに近づいている。人は新しい発明や技術を享受する一方で過去に憧憬を抱いているというのは非常に深い言葉であり、今後、AI・ロボットの世界が大手を振って歩くようになったとしても、人間は人間の尊厳を持ち、そして昔を思い出すということをサジェストしていると感じました。

伊藤先生のお話には待っていましたとばかり食い付いて聞いていたわけですが、初音ミクが10代、それも17歳までの女の子に非常に人気があり、それが世界どこでも共通だということを知って、わが意を得たりと感じました。要するに、こういうことは先進国と途上国の格差ではなくて、世代の格差、あるいは男女の格差だということが分かったからです。そして、先ほど片山先生から山中教授のiPS細胞に似ているというコメントがありましたが、最も新鮮かつ驚きだったのはそのライセンスの工夫です。著作権を開放し、それによって非常に大きい世界的な渦になって発展しているということで、こうした試みに日本の代表選手として取り組んでいただけていることを誇りに思った次第です。

また、今日の基調講演では、まず山口先生にテンセントの対話ロボットについて非常に理論的に解説していただきました。それに引き続き、NHKの番組でAIが「40代一人暮らしが日本を滅ぼす」と言ったことに対する相関関係と因果関係の取り違えのお話がありましたが、これは実に良いメッセージでした。結論が独り歩きしてしまう危険性が指摘されたと思います。AIの在り方に関しては、私自身、いつも疑問に思っている点があり、それをうまく指摘されて感心したところです。つまり、ビッグデータを使ってディープラーニングをした結果、因果関係は説明できないのだけれども、40代独身と日本の経済の動きに相関関係があるということで、AIが「40代一人暮らしが日本を滅ぼす」という仮説を導き出したわけです。ここでAIを崇拝していると、「そうだ、そうだ」ということになってしまい、40代独身をなくす政策に打って出ることになります。それをやってはいけないというお話だったかと思います。従って、それを制御するような枠組みを付けなければならないということで、私なりに解釈すれば、AI・ロボットは因果関係を見つけてくれるので、それは利用しないといけませんが、それをどう利用するかは人間に近いところで見つけないといけないということだと思います。

実は経済学の分野でも、最近の若い人の研究は訳が分からなくなってきています。五百旗頭先生はご自身のことを石器時代人と称しておられます。私は経済学の最新の論文を読むと、自分が青銅器時代人のように思えます。今はコンピューターが発達するとともにソフトも発達し、データを入れれば、結果が出てくるのです。しかし、その結果についての説明は全く出てきません。私は大学院を出て最初のころは計量モデルを作っていました。昔の計量モデルは因果関係を非常に大切にします。例えばマレーシアの経済モデルを作り、マレーシア経済をこう動かすにはどうすればいいかというのは全て言えるわけです。しかし、どうもAI・ロボットと最近のブラックボックス化した経済学の計量分析は同じ道を歩んでいるようで、今後もやはり人間が説明できるということが非常に重要なのだろうと思いました。

吉田先生のお話も非常に興味深く、SNSからニュースを掘り出して新聞やテレビ等に売るSpecteeなどが登場し、SNSなしで取材できる時代はもう終わったと断言されていました。テレビ番組自体もインターネットを使って流す時代になり、今後、共存共栄を図るけれども、今までの古いメディアは大変な時代になっていくとのことでした。ここでは、フェイクニュースをどうするのかということも非常に大きな論点となります。一見、こうした話はロボット・AIと関係ないように思われますが、よく考えてみると、ルーツは同じであるように感じます。結局は珍しいものがニュースになるわけですから、先ほどのAIの相関関係のあるものを見つけ出すという話とは逆で、違うものを見つけ出すということになります。しかし、最終的に判断するのは人間で、やはり人間がソースをたぐってきっちり検証しなければ分からないということ、これを肝に銘じておくことが重要ということでしょう。

それから、先ほどから倫理の問題で大バトルを繰り広げられている塚本先生ですが、15年前の20の予言は全て外れたとは言うものの、よく見ると、幾つかは違った形で実現しているように思いました。同時に15年後の社会については、石黒先生の「PCからパーソナルロボットに」というご発言を受けて、「PCからウェアラブルに、そしてサイボーグに」という予言をされました。15年以内に自分はサイボーグになるという予言もされていて、驚いたところです。

もう一つ、来年の淡路会議には全員がHMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)を装着して参加しようという提言が塚本先生からあり、それについては五百旗頭先生が「やろう」とおっしゃったので、この点でも来年の淡路会議が非常に楽しみなところです。それから、歩きスマホ禁止に反対だとおっしゃっていたのは、恐らく歩きスマホの延長線上が今のウェアラブルコンピューターだからであろうと思います。この辺をどうするのかという技術も重要かと思います。

文化とテクノロジーについてはいろいろな見方があります。先ほどの金澤副知事と太刀川先生の議論で行政の規制が外れると非常にスムーズになるというお話がありましたが、まさにそうだと思います。ただ、今回、アンドロイドや初音ミクの現状を聞き、ホログラムのロボットを見て、さらに第4象限の一番曖昧なところに日本、アンドロイドがあるという石黒先生と濱口先生の議論を思い起こすと、日本での初音ミクやアンドロイド、ホログラムの発展というのは日本の文化に基づいており、それがテクノロジーに結び付いて、そこからさらに異なる文化を導き出しつつ、相互依存しているということが読み取れました。つまり、文化とテクノロジーは密接な関係にあるということで、それはテクノロジーと文化をそれぞれ単体で取り出して議論することへの警鐘であるようにも思います。

最初の開催趣旨説明で私は第4次産業革命の話をしました。そのときに三つばかり懸念事項を挙げましたが、その一つが雇用です。アメリカでは相当大変だったという話ですし、一部の業種では大変だろうという予測もあるのですが、AI・ロボット自体が単機能であることを考えると、それほど大きな問題ではなかろうと思っています。1985年にプラザ合意で円が一気に240円から120円になり、日本企業は相次いで中国・東南アジアに工場を設立して生産機能を移しました。日本は空洞化し、当時の雇用の喪失は、われわれが予測しているAI・ロボットによる雇用喪失の比ではありませんでした。従って、雇用については、それほど心配する必要はないのではないかと考えています。

AIで一番成功しているのはIBMのWatsonで、山口先生は1兆円の売り上げがあるとおっしゃっていました。しかし、日本のAI・ロボットはどうもまだそこまでの売り上げはありませんし、今後もそういったビジネス展開をできるとも思いません。Watsonのようなロボット・AIのビジネスを日本がするにはどうすればいいのかという議論では、そこで非常に面白かったのは、山口先生の指摘された言語の問題です。つまり、ビッグデータを集めてきて、それをディープラーニングさせようとしても、日本語という言語は主語が抜けたり、「あることはない」というように語尾変化が大きかったりして、難しいわけです。従って、これは文化と関わってくるのですが、曖昧なところこそ日本であると考えるなら、それを捨てなければ、ビジネスとしてのロボット・AIというのはないと感じました。

そして、確かに人材教育も必要です。私は同志社大学政策学部の所属ですが、恐らくそこで教えられる科目は政策学部が14年前に設立されて以来、一切変わっていません。ですから、例えば学生は最近話題のAIについて絶対に知っておくべきだと思っても、それを教える授業がありません。これについては機動力が日本には絶対に必要だと思います。アメリカではすぐに古い学部が廃止され、新しい学部やコースが出てきます。その身の軽さが日本にはありませんから、これも非常に重要ではないかと考えます。

それから、AIはまだオールマイティではないけれども、進化のスピードが速いので、そのうちに統合型AIも出てくるかもしれないから、その前にいろいろな試みをしていかなければならないという話がありました。ここに太刀川先生の指摘をつなげたいのですが、個別に非常に優秀なAI・ロボットがあるとしたら、それを結合するのも一つではないかと思います。例えば政策提言をするロボット・AIを作るのは非常に難しいかもしれませんが、碁や将棋では非常に優秀なものがあるわけですから、そういったロボット・AIを結合していく努力をこれからしていけば、日本はAI大国になる可能性が非常に高いと思われます。また、そのようにすると、AIは本当に使えるものになるのではないかとも思います。

アジア太平洋ということで言えば、AIの開発については中国が非常に進んでいます。5000億円もの研究開発費を投じており、それに対して日本は200億円にすぎません。さらにトランプ大統領は雇用削減に血眼になっており、それを応援するように動いています。AIが雇用を奪っているとの認識があって、補助金を大きく減らしました。そのような中、中国はヘッドハンティングをしながら、世界におけるAIのセンターになろうとしています。それは韓国もしかりで、日本は遅れています。従って、AIを作る側として言えば、日本は中国等の諸外国に追随する形となっています。ただ、中国が一強で非常に強くなっていくとすれば、日本はAIを使う国として生きる道を探るのも一つではないかと思います。言い換えれば、国民全員がAIを使える、武装するというのも一つの生き方であろうということです。

私は開催趣旨説明で、AI・ロボットにより少子高齢化が雲散霧消するのではないかと述べましたが、先ほどの議論で伊藤先生がベーシックインカムということで、ロボットによって生産性が上がれば、働かなくても生活できるだけの所得を国民全員に与えることができるという議論に言及されました。もしそのような社会が出てくれば、人類はみんな有閑階級となって、本当に創造性をもたらす活動に専念できます。それは絵画であっても、他の芸術であっても何でも構わないのですが、本当にそのようなユートピア的な世界がやって来るのか?来るまで是非とも生きていたいと思った次第です。

今年は私自身、本当に刺激を受けた淡路会議となりました。こんなに楽しい会議はありませんでした。出席者の皆さん、司会、同時通訳、事務局、座長、コーディネーターの皆さん、本当にありがとうございました。これで私の総括を終わりたいと思います。

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